前へ 伝の会TOP 次へ 戻る

鉄九郎の青?裸々な日常 第104号


2004年6月1日〜30日
今月はいつもの三倍のボリュームよん スクロールちょっと長くてすみません。

新良幸人with伝の会 沖縄公演2004

6月1日(火) スペースゼロ
う。道がすいてる。ど、どうして?「五・十日」に道が混むというのは聞いたことがあるが、「一日」に道がすくとは聞いたことがないぞ。ともあれ、いつもは一時間はゆうにかかる新宿までの道を30分たらずできてしまった。な、なんでやろ?うーん。考えても仕方がない。お時間まで車内で昼寝。午後三時。邦さん、前田(古典空間)、斉藤(古典空間)と全員揃ったところでスペースゼロへ。ここで全労済のパーティがあり、アトラクションとして伝の会が出演するのだ。リハのあとたっぷりと時間があったので、伝の会関係の打ち合わせを充分することができた。よしよし。

6月2日(水)
本日も実に良い天気である。
じつは今が一番良い季節なのではなかろーか?
暑くもなく寒くもなく。
梅雨入りまでのひとときでかな。

6月3日(木)
娘がだいぶ感じが読めるようになってきて、習ってない字もどんどん読む。「我が子は天才ではなかろーか?」と、どの親も思うころなのでしょうか。僕は思ってませんけど・・・。車に一緒に乗っててもなんでも読んでみる。
「くつろぎのさと(里)」
「ほほぅ、里という字が読めるかよ、たいしたものだ」
「ひだり(左)や」
「え?・・・ありゃ左じゃないな、庄という字だな」
「ひだりって書いてあるよ」
「居酒屋風の字で書いてあると『庄や』が『左や』と読めるなぁ」
「うん」
「たしかにお前の言うとおりだ。あそこは『左や』だな」

6月4日(金)
朝、本郷三丁目の「鳳明館」を見学に行く。以前より都内の旅館でライヴができないかと探していたところ、事務所の平沼姉さんが「こんなとこあるよ」と教えてくれた。早速、邦さんと前田女史と見にいったということなんです。いやぁ、風格があってなかなか酔いですなぁ。玄関一歩入ったところで「ワッ!!」とした。来たことがある場所なのだ。デジャブか???いんや違う。何年か前、スペシャルドラマの「長崎ぶらぶら節」をお手伝いしたときに来た旅館だったのだ。 すかさず「青ララ」をひもといてみる。
41号2001/3/8〜9日(金)
「鉄九郎さんすみません、大変お疲れ のところ直行していただいて」「いやいや、全然大丈夫ですから」とスタッフと会話 をしていると、僕がどこへ行っていたかを知らないスタッフが「いやっ、午前中、ど ちらか行かれてたんですか?」と聞くので「あ、コペンハーゲンよ」と言うと「はっはっは」と笑って行ってしまった。
とある。コペンハーゲンから真っ直ぐに向かい、上の会話をしているところが鳳明館なのである。ははぁ、3年半前に来ているのかぁ。役にたったな「青ララ」。
といわけで、そんな懐かしさと建物と風情が気に入りましてね、来月末に「ちょんまげライヴ」をここですることに決めたのでありました。
前田女史と別れ、邦さんと二人でテアトル銀座へ。創作舞踊劇場公演『火の鳥 ー転生編ー』を観に行く。前から4番目に邦さんと並んで座って観ている姿なんざぁ、「伝の会仲がいいなぁ」と人々が思う光景であろう。楽しかったですよ。目の前でさまざまなことが起こる。パワーといいますか、迫力といいますか、ワーッとしたものが確実に出ている舞台だったなぁと思いました。
邦さんと別れ、待ち合わせた鉄平(注、鉄九郎の弟子の松永鉄平)と一緒に「三雅(お三味線屋さん)」へ。今日は頼んであった鉄平のお三味線が出来上がってくる日なのです。いやぁ、他人事ながらうれしいですな、新品のお三味線。僕にも弾かせて弾かせてーーー。

6月5日(土)
暑い!
今朝は良い天気だ。「時間だよ」と娘を起こすと「うんどーかーい!」と言って飛び起きた。イベント好きな娘である。田柄小学校運動会。二年生の娘は、日焼けどめをたっぷりとぬっているのに、おでことほっぺたを赤くして、旗を振って踊ったり、50メートル走ったり、大玉をころがしたりした。徒競走で6人中二位になったのには驚いた。足が速いわけはないのである。本人もうれしいらしく「二位だよ二位」と喜んでいた。

6月6日(日)
お稽古してもらいに出かけました。行くときはたっぷりしてもらいます。

6月7日(月) 杉並区第三小学校
伝の会で年に何本か小学校での演奏をしている。九時に到着。校長室に行き校長先生との雑談にもだいぶなれてきた。一・二年生の部、三・四年生の部、五・六年生の部の三ステージ。楽しんで聴いてる子供達。良いですな。校長室で校長先生と一緒に給食を。おいしいですな。

6月8日(火)
昨年11月に引越した。荷物は適当におさまるところへおさめた。あとでなんとかすればいいと思って・・・。
「人とは慣れる動物である」すつかり慣れてしまった。着替えるにも、着物は寝室、帯は稽古場、足袋は二階・・・・てな不自由さにもなれてしまっう。新しく増えた荷物はそこいらにしまう。手紙をかこうとする。便せんをさがす。心当たりのある引き出しをいくつかあけてみる。ないので買う。またそこいらにしまう・・・。この繰り返しではモノは増えるばかりでお金は減るばかりである。これではイカンのらぁ。ついに、拙者は立ち上がったのである。とりあえずは稽古場のモノの整理である。何ヶ月か暮らしてみて、自分の動線も見えてきた。三味線入れはここにあった方が便利なのだ。譜面も一緒にあった方が良い。着物は着物でまとめて、資料は資料でこことここ・・・・。とにかく、構想は練った。途中、娘が「パパ、ひまだったらあそんで」と言い寄ってきたが丁寧にお断りをしながら。

6月9日(水)
今日も一日、モノの移動と整理である。構想どおりはいかないものだ。いやさ、構想どおり行ったとしても、こっちの方が良いなぁという考えが出てくる。またやり直しである。遅々として進まず。うーーーん。
杵勝会を観に聴きに行く。勝三郎師の「舌出三番叟」に感動して帰宅。感動の中、モノの整理を。

6月10日(木)
昨日一昨日とお稽古はお休みだったが、今夜から再開である。今稽古場は、ダーーッとモノにあふれている。今夜お弟子さんがくるまでには、なんとか納めてしまわねばならぬ。夕方、なんとか終わる。まだ整理たりないが、あとはゆっくりと。と、この考えがこわいのである。あと何ヶ月もそのままになる恐れがある。掃除をしたら鉄平がきた。「何か弾いてけ」お稽古をしているとかゆい。鉄平もかゆがっている。二人して蚊にさされた。蚊がまぎれこんでおったかぁー。夕方の掃除の時だなぁ。

6月11日(金)
午後雨になった。邦さん来宅。CD用のMD録音。こないだの録音分とあわせると結構な数となる。これを元にみんなで構想を練るのだぁ。小野木さん来宅。新築の我が家には初めてだ。録音を見守るということもあるが、僕らを迎えに来た。新しく古典空間を手伝ってくれることになった、前田さんの歓迎会のため。

6月13日(土)
久しぶりに中村獅童くん宅に来た。ここでのお稽古を、ここ何年か鉄平にまかせっきりにしていた。「たまには顔だしなさいよ」ということで、久々にやってきた。はてさて、確かこの辺だと思ったのだが・・・。いくら方向音痴の僕でも獅童くん宅を忘れることはないのだが、あるべき場所にあるべき形の家がないのでとまどった。やはり方向音痴の自分なのだろう。一本通りを間違えたのだろう。と思って、引き返そうとした時「小川」という表札を目の端でとらえた。・・・・・・。うぬ!!ここだ。玄関が変わったのだ。というか、立派な門ができている。えっ? ウーン、「売れる」とはこういうことなのか。ははぁ、ステキな感じになったものだわ。

6月14日(月)
「ワープロをうってるおとがすきなんだ」
「ははぁ、ま、今どきワープロっていうのもなんだけどな、たしかに心地よい音かもな」
「うん。あとさぁ、はさみ、よくきれるハサミのおともいいよね」

6月15日(火)
娘がここんとこ「逆あがり」の練習に余念がない。「女の子なんだから、逆あがりなんて出来なくたっていいよ」と言うのだが。学校から帰ってくると「あとちょっとでできるとこまできたよ」とか「一回できたよ」とか「いきおいつけたら出来るよ」とか言っている。僕がソファで猫をヒザに乗せコーヒーなんぞ飲んでると
「パパぁ、じかんあるの?さかあがりのれんしゅうみてくれない?」
「ん。今コーヒー飲んでんだよ」
「うーーーん、ねぇ、じかんあんでしょ?あっちゃん(注・鉄九郎の本名は「あつし」)、ちょっとみてよぅ」
コーヒーもゆっくり飲めない。近くの公園に行き、
「ヨーイ、アクション」 とか声をかけて練習を見る。
そんな数日が過ぎていた今日。学校から帰ってきた娘が
「三回できたよ!!」
と言う。それじゃあってんで、妻と三人で小学校に行きやらせてみることにする。
出来た。炎のランナーのテーマを歌ってやった。スローモーションになんなくちゃな。

6月16日(水) 新良幸人with伝の会 沖縄公演2004
興奮して5時から起きている。沖縄に行くのだ。楽しみにしていた沖縄に。中国で友だちになった新良幸人が呼んでくれたのだ。こんなうれしいことはない。出発時間二時間前に羽田空港についてしまった僕は、一人でコーヒーを飲みながらワクワクしていた。

11時40分、邦さん登場。早々チェックイン。出発までなんか食べるかということになり、一杯くらいなら飲んでもいいかなということでテンションの高い二人で飲みはじめる。
ふと時計をみると出発5分前だ。「ゲッ」ここまで来て乗り遅れてどうすんだー。「キネヤクニトシサマ、マツナガテツクロサマ」とアナウンスは繰り返している。係の人が僕らをみつけてチケットを奪って行く。ちっちゃなマイクロバスに乗りいざ搭乗だ。機内に入ると小野木(古典空間社長)ちゃんが近寄ってきて
「どうしたんですか?なにか事故でもあったんですか?」
「いやぁ、アハハ、一杯飲んでて乗り遅れそうになっちゃったよ」
「マジっすか!」
なにはともあれ無事に沖縄に向けて出発した。

那覇空港に降り立つと、これからいろいろ面倒を見てくれる野田隆司さんと新良幸人くんが出迎えに来てくれた。我らが幸人くん本人が現れたぞ。再会再会、うれしいな。
あ、わすれちゃいけない、沖縄舞踊にこの人アリ、我らが(またかい)志田真木ちゃんもわざわざ日程を合わせて沖縄入りしてくれて迎えてくれた。
このときの感動は伝の会にとっては忘れることのできないものである。というのは、数年前、中国演奏旅行で初めて顔を合わせ、旅をするうちに意気投合し、「いつか必ず一緒にライヴをやろうぜ」「沖縄にも呼ぶぜ」と言い合い、ジョイントライヴ用の写真まで中国で撮ってきたといういわくがある。幸人くんが本当にその約束をかなえてくれた。僕が興奮して五時から起き、邦さんも興奮して羽田で飲み過ぎたのもわかるであろう。
「兄貴ぃ、五時から起きてんだってぇ」幸人くんの第一声である。なんと情報の飛び交うのは早いものであろうか。ここで役者は揃った。「新良幸人with伝の会 沖縄公演2004」のスタートである。キャッキャッ言いながら一同はワゴンに乗って沖縄市へと向かうのであったぁ。
モッズに到着。ここは僕でも知っているよ。高田渡とか友部正人とか僕の好きなミュージシャンたちがやったりする沖縄市の有名なライヴハウスでしょう。ワクワクしながらライヴハウスに続く階段をのぼる。そうそう、いわゆるライヴハウスっていう感じの階段。階段の壁は、黒くてチラシとかがいっぱい貼ってあって、そうそう、こういう感じだよ。10代後半の頃、こういうライヴハウスによく聴きにいったよなぁ、ワクワクしながら。
モッズ内、意外にこぢんまりしてるのね。まぁね、こんなものか。へぇー、かっこいいなぁ。店長の顔、見覚えあるぞ。よく雑誌とかに出てるんだなきっと。
なんと、中国公演を一緒に旅したスタッフの(浜端)英作と埼浜(秀司)さんに会う。キャー、懐かしいーーーーーっ。英作は音響してくれて、埼浜さん照明やってくれるんだって。ワーッあの時のまんまじゃん。なんか中国にいるみたいだ。ていうか、時間が戻るというのか、あれから数年たってんのにそんな気がしない。この人たちのあったかさなのか、沖縄というところがそうさせているのか。え?あれから何年たっているんだ?青ララひもといて見ようっと・・・。ははーん、第81号/2002年9月なんだ。約二年前ぶりかぁ、ふーん。短いのか長いのかわからん年月だ。

モッズでやるのは21時からだそうだ。さすが沖縄。夜九時開演なんてのはいいね。仕事終わって、家帰って、ご飯食べて、いろんな用すませて、あとはもう寝るだけという状態になってから出てくるんですかね。で、快い気持ちで夜を楽しむ。なんと優雅な。終電とか関係ないしね、いいですね。

と、感慨に耽っている間にプラザハウスショッピングセンターというところに連れてこられました。ここも由緒あるショッピングセンターなのです。ここで18時からやるらしい。ただいま開演一時間前という感じの時間ですかね。普段ならあわただしく着替えなんぞするところですが、さっそく沖縄時間になれてしまいましたね。優雅にカレーなんぞいただいてね。5分前くらいに着替え終わったら、さっきまでだーれもいなかった客席がちゃんと埋まってんの。沖縄の人たちは、のんびりかまえているのかせっかちなのかわからんなぁ。けっしてルーズではないのですな。

またまた中国を共に旅した、舞台監督やってたツカチン(津嘉山弘)と、制作で今回の実現にものすごく努力してくれた、照屋(幹夫)さんにお会いする。
幸人くん登場。「待ってましたー」もうそこにあるのは沖縄文化一色。お客さんは唄に酔い、三線に酔い、そして踊る。
「次は東京から来た僕の友だちを紹介します。長唄三味線を聴いてください」
と幸人くんが紹介しても「出てこなくていいよー」ってな調子。 ヤダヨなぁ。この空間に出ていくのわなぁ。正直、覚悟はしていたけれど、今現実に目の前にいるお客さまたちは、もっともっと三線でのりたいのですな。幸人くんの音に酔いたいのです。そこに我々が出ていくのわなぁ。すると、気のイイ人がオリオンビールをジョッキで渡してくれました。ええいっ!とにかく飲んでしまおう!グイグイひっかけて、サーッと舞台に出ていきました。するとどうでしょう。紋付袴姿のあまりに場違いな我々が珍しかったのでしょうか?三線にくらべて、やたらにデカイ三味線を持ってる二人組が奇妙なのでしょうか?すわった途端、曲も弾かずにしゃべりだした我々に度肝をぬかれたのでしょうか?気がついたら、笑い声につつまれていました。沖縄のお客さんはや・さ・し・い。余所から来たオッサン二人をいとも簡単に受け入れてくれました。最後には合方で踊ってしまうオバサンも。なんでもいいんかいっ!どんなんでも踊れるんかいっ!と言ってしまっても良い空気になっていました。幸人くんを呼び込んでの即興ジョイントで盛り上がり、終了。またどこからともなくビールを渡され飲んでるうちにサインもさせていただき、うつつのうちに、この野外ステージをあとにしたのでした。今日の日記は長いなぁ。

さてモッズに戻ってきた僕らは、楽屋でおにぎりとかビールなんぞも少々いただきながら出番まで雑談をします。九時になり幸人くんが一人で出ていきます。いつもの波の音がかすかに響く中、イイ感じの唄を歌っていきます。こりゃあいいねぇ、一杯飲みながらゆっくり聴きたいねぇ。紋付き着て楽屋で聴いてんのもなぁ、ちょいと違うやなぁ。イイ感じのステージが終わり、伝の会の出番です。もうドキドキはありませんね。さっきで慣れちゃった。気持ち良く弾かせていただいてね。沖縄で弾く「廓」の音楽なんざぁ、ちょいとオツなもんでゲスよ。最後には幸人くんとジョイントやりましてね。やればやるほどツボにはまるといいますかね、気持ちいいですよね。ますます気心がしれてくるしね。

ホットスパというコンビニがありますよね。沖縄はホットスパがめっちゃたくさんあるんです。そのCMに幸人くんが出てるんですな。沖縄滞在中に是非見たいのですが。ジョイント終わって「ありがとうございました」の挨拶のとこで、お客さまからいきなりホットスパのお総菜をいただきましてね、びっくりしました。
初日2ステージも無事に終わり乾杯でございます。ああ、ビールがうまい。
「ホテルはどこなの?」
「京都観光ホテルです」
「小野木ちゃん、アアタね、空気を読みなさいよ空気を。今ね、沖縄ですよ。ここは沖縄。なんで京都の話をしなきゃいけないのよ」
「そうだそうだ!」
「邦さんは出てこなくていいですからね、飲んでてくださいな。今日泊まるホテルはどこなのと聞いてんですよ」
「ですから京都観光ホテルなんですよ。近くの」
「アハハハ、おもしろいねアアタは。おもしろい。へへ、ビールちょうだい」
「兄貴ぃ、よく飲むねぇ」
「ヒック。アツシは東京離れるとよく飲むぞー」
「てやんでぃ。そんなに飲んじゃいねーよ。なんつったって五時から起きてんだからよ」
「兄貴ィ、それはもう何度も聞いてるよ」
「あれ?言ったっけ?真木ちゃんには言ってないよね?」
「もう何回も聞きました」
「そうだそうだ」
「邦さんは黙ってなさいよ」
「テツクローさん、ホテルなんですけどね」
「あっ、そうそう、どこなの?」
「京都観光ホテルなんですよ、すぐ近くです」
「だ・か・ら・・・」
「いやいや、京都観光ホテルっていうんですよ。ここは沖縄ですよ。知ってます。アタシだってぇ、んなこたぁ知ってますけろね」
「『けろね』って小野木ちゃん酔ったね」
「酔っちゃいねーよぉ」
「なんだなんだぁ金馬の『居酒屋』かぁ」
「邦さんは黙ってなさいって、ピエーーーってな」
「アハハハハ」
「アハハハハ」
「兄貴ィ、沖縄に京都観光ホテルっていうホテルがあんだよ。すぐそこだっつーの」
「アハハハハ」
「アハハハハ、邦さんはおかしいねー」
「アハハハハ、アツシもおもしれーよ」
「アハハハハ」アハハハハアハハハハアハハハハ・・・・
「新良さん、伝の会とやることを後悔しないで下さいね」
「だ、だいじょうぶです。明日も、よ、よろしくぅ」
本日覚えた単語=うっちん茶(うこん茶)、さんぴん茶(ジャスミン茶)

6月17日(木) 新良幸人with伝の会 沖縄公演2004
さすが沖縄だ。梅雨があけたかあけてないかは知らないが、ホテルから一歩外に出た途端、あまりの暑さに歩くのを忘れてしまう。小野木さんが邦さんと僕を骨汁を食べに連れていくと言う。昨日から「ホネジルってなによ?」と何度も聞いているのだが、小野木さんはニヤニヤ笑って「食べればハマリますよ」と言うだけだ。「アツシは好き嫌い多いよ」と邦さんが言っても「大丈夫ですってテツクローさんだってきっとハマリますから」とニヤニヤするばかりである。「歩いていきますか?タクシーで?」 と言われても困るのである。邦さんと僕は店までどれくらいの距離かはわかんないわけだし。「どのくらい歩くの?」と聞いても「じゃブラブラ歩いてみましょうか」と回答になっていない。「邦さん大丈夫かね」「シャチョーが、ああうかれちゃってる時はもうダメだよな、とにかく歩こう」と歩きだした。タクシーで行くかと聞くくらいなのだから、五分か十分歩けばつくあたりではないのだろう。仕方がない歩くか。

小野木さんは沖縄が大好きなのである。第二の故郷どころか、ここに住むのだと言って、いくつかマンションを見て回っているという情報もあるくらいだ。そして「古典空間沖縄支部」というのを作るという構想まで持っている。その小野木さんが沖縄に来るたびにかならず食べるという「ホネジル」にありがたくも伝の会を連れていってやるぞというのだ。炎天下の中、もくもくと歩く伝の会とニコニコしながらしゃべっている小野木さん。「このあたりはネェ、○○なのサー」とか言っちゃって、すっかり、なんちゃって(古い)沖縄人だね。屋根とか門に必ずシーサーがいる。そのシーサーがまた実にさまざまな形というか表情というか、している。小野木さん突然「タクシー拾いますか」と言い出した。「オイオイ待てよ待てよ。もう随分あるいてきて、『もうそろそろです』っていうのならわかるが、ここへ来て『タクシーの乗りますか』ってどういうことよ」「アツシ、覚悟しろ。まだまだだぞ」 相変わらずニコニコしながら「テツクローさん、ウチナワきたら、カリカリしちゃアいけないサー」などと言っている。

やっと着いた。邦さんは水でもかぶったような状態だ。「亀」というお店。 「ホネジル」とは「骨汁」。豚のナカオチをコトコト煮て塩で味付けしたようなものだった。それとライス(どんぶりごはん)を食べる。実にウマイ。確かにウマイ。めっちゃ好きな味だ。しかし流石に量が多い。小野木さんと邦さんはきれいに平らげたが、僕は無理だった。「さぁ、おいしいものを食べたサァ、ブラブラ歩いてかえるサァ」確かにホネジルはおいしかったが、小野木ちゃんの妙な沖縄弁にハラがたってきた伝の会であった。

野田さんが迎えに来てくれて那覇市に移動です。リウボウホールというところ。駅ビルの中に入っているホール。映画館とかもある。ここのホール、なかなかステキですね。音響照明はもちろん英作にヒデジー(埼浜)さん。今日はサンデーも一緒なのです。「ヤアヤア、サンデー。ハハハハ」ってな挨拶ですな。

五月のマンダラライヴを一部始終聴いてくれたサンデー。あの時に「この曲サンデーとやったらどんなんかな?」というのがあったんです。それは「吾妻八景」の三味線のみバージョン。佃とサンデーの太鼓がなかなか合うのではという心づもりがあります。はたして吉とでるか凶とでるかですな。

リハ終わると退屈なのです。プラプラと店内を見ていると、ホールを出たところがすぐメガネ屋さんでね。気に入ったサングラスがあるんですわ。買おうかなぁ?どしよかなぁ?と何度も行き来してね。何度もかけましたね。で、やっぱり買っちゃいました。

幸人くんのあと伝の会。「甚五郎泣三味線」までやってしまいましたよ。だって、もう、沖縄、安心なんだもーん。お客さまあったかいんだもーん。すっかり慣れちゃった。 ここにいたらウケすぎてダメになっちゃうかも・・・なんて逆に思うくらいです。 「二人椀久」の「お茶の口きり」から最後まで唄いながらやっちゃいました。サンデーにも打ってもらってね。どんなんだったかなぁ?やってるとよくわかんにいんだよね。見てみたいですわ。幸人くんとのセッションも絶好調。今夜も良い酒が飲めるぞーーい。

本日覚えた単語=てびち(とんそく)

6月18日(金)
今日はオフなのです。お昼ごろ真木ちゃんが我々を迎えにきてくれて、幸人くん宅近所の「あきそば」に行きました。幸人くん推薦の沖縄そば屋さんです。うむ、おいしい。実は僕は、何年(十何年)か前に沖縄に来たときに食べたそばが気に入らなかったのです。そばに限らず何を食べても口に合わず「沖縄って料理がおいしくないとこだなぁ」とずっと思っていたのです。ところがどうでしょ。今回、ハズレがひとつもないどころか、何を食べても「私の味」なのですよ。これはどういうことか?以前きたときに、よっぽど妙なお店ばかり入ってしまったのか?僕の味覚が以前はとても幼稚だったのか?うーむ、どうも後者っぽい。まあいい。沖縄の料理はどれもこれもおいしいものだということがわかったのだから。

幸人くんにしても真木ちゃんにしても、せっかくのオフの日を我々のために時間をさいてくれてくれています。ありがたいですな。昨年できた国立劇場の視察に行きました。丁寧に案内されました。ここでやってみたいと思うような会場でした。 楽器屋さんにも連れていってもらいました。三線がどういう風に作られるのかを教わりました。僕らの楽器とどう違うかがちょっとわかりました。

国際通りに「てんぷす」というお土産屋さんが何件かあります。「おへそ」という意味なんだそうですな。そこの社長さんがステキな方で、幸人くんをむかーしから応援してくださってるのだそうです。看板を幸人くんが書いてたりしてます。こういうおつき合いというのがステキですなぁ。僕らもとても良くしていただきました。沖縄に行かれましたら「てんぷす」に行って下さいね。国際通り歩いていればすぐわかりますから。きれいな社長さんに「新良幸人のともだちの伝の会から聞きましたー」と言えば、きっとサービスしてくれますよ。

三線も買いました。なにせプロを連れて歩いてるんですから買っとかないとね、小野木ちゃんにお金借りて買いました。

夜はまたまた幸人くんにごちそうになってしまいました。この店の看板の字も書いているという「いつ世」で。紅豚というのがありましてね、しゃぶしゃぶとかしておいしいのです。 台風が近づいてます。雨風が。でもおいしいものを食べ、充実した時間をとった我々はゆっくり眠ることができました。

本日覚えた単語=むとぅびぃれ(もとつきあってた)

6月19日(土) 沖縄公演2004 新良幸人presents 第14回一合瓶ライブ
「え?帰るの」小野木さんが帰京すると言う電話です。明日の夜の便で帰る予定になっていたんですが、台風の影響で明日の便が欠航になりそうなのでと。月曜の朝にどうしてもぬけられない用事があるというのです。僕らは月曜にどうしてもという用事がないので余裕です。「ま、そうね、大丈夫な気もするけど万が一ってこともあるからね」小野木さんは帰ってしまいました。小野木さんも残念だったでしょう、なにせ今夜の「一合瓶ライブ」を楽しみにしていたのですから。幸人くん、ローリー、やちむんが14年続けているライヴに伝の会が出演するのです。那覇・クラブDセットはホテルから歩いても行かれるほどの近さで大きなライヴハウスって感じのとこです。

開演19:00、泡盛飲み放題。良いですね、一杯のみながらいろんなミュージシャンの音を聴こうというライヴです。ここは緊張いたしました。神谷千尋さん、内里美香さん、NUU。すごいね、じつに。25年前の自分に戻るね。ライヴハウスで唄う、ノルという感覚が。こりゃあ、伝の会が出ていったら石なげられそうだぞぉ。しかもみんな盛り上げるんだなぁ。 きっちり演奏するし。伝の会なんてなにやるかを出ていってから決めるスタンスだしなぁ。もうドキドキで幸人くんに「大丈夫かなぁ大丈夫かなぁ」と言いっぱなし。 「兄貴ィ、大丈夫だよ、紋付き着てるんだから」と幸人くんもわけのわからないなだめかたをしています。こういうとき邦さんは平然としてるんですな。まぁ、二人でドキドキしても仕方がないですからね。邦さんが平然としているから、僕も安心してドキドキできるんです。おかしなことですが、本当のことなんです。コンビってのはおもしろいですね。

さてNUUがめっちゃめっちゃ盛り上げてしまった後に伝の会の出番です。NUUが「がんばってくださーい」と僕に声をかけます。「ありがとうね、盛り上げてくれてね、うんうん。こっちの気も知らないでね、首しめたろかー」と言って舞台に出ていきます。

ものすごい歓声でした。紋付が。紋付姿がめっちゃウケてます。カッコイイーとか聞こえてきます。幸人くんもトンチンカンななだめかたじゃなかったんだと初めて知りました。こうなっちゃうと、てつくろさん、話がとまりませんね。「隣の人の声も聞きたーーい」と客席からヤジられるほどしゃべりますね。越後獅子唄ったりと他ではあんまりやらないネタになりました。

「ありがとうございました」ドカーン。 アンコールの拍手がすごいですね。司会が出てきて次の人を紹介しようとしてても鳴りやまないすね。いやぁ、すごいパワーだなぁと。じゃあということで舞台に戻って一曲やりましたよ。いやあ、あったかいですなぁ、こっちのお客さまは。

幸人くんが三味線持ってくれて楽屋にかえりました。「興奮したねぇ、はじめてだよアンコール」14年やっている一合瓶ライブでアンコールは初めてなんだそうで、えらく感激してくれています。ああ、良かった良かった、とにかく喜んでもらって良かった。

ステージが終わった人たちは客席にまわって飲んで良いことになってるそうで、伝の会も客席後方に陣取った幸人くん関係者席で飲んで騒いでであります。やちむん、ローリー、音楽にしびれましたね。最後に新良幸人withサンデーがやってくれて、那覇の最後の夜に泡盛と素敵な音楽に酔って、気がつけば今日初めてあったミュージシャンの人たちともうち解けて話をしていたりして。そういえば、僕らのステージの時は、やっぱり秀司(照明)さんと英作(音響)がやってくれていたんです。これもうれしいですな。いやぁ、良いツアーだった。

このあと、どこかのスーパーマーケットに寄って買い物をして、幸人くん馴染みのお店にいったもようです。

6月20日(日)
台風の影響も午前までで、午後から飛行機は普通に飛ぶということらしい。 野田さんからそんな電話をもらった朝の10時、まだ頭がクラクラしていた。 5時まで飲んでいたのだ、無理もないことだ。午後2時に野田さんが迎えにきてくれて、那覇空港へ。野田さんにはとてもとてもお世話になりました。野田さんと別れて14時40分。15時40分発までには時間があるが、とにかくゲートまで行ってのんびりしようと、歩いていると14時50分の飛行機に乗る予定のNUUが走って行った。小野木ちゃんも慌てて帰んなくて良かったんだよなぁ。

6月22日(火)
台風が行ったのだろう。ものすごく暑い日がやってきた。32度だそうだ。ものすごく陽のあたる二階で二匹の猫はダラーーーーッとしている。シャワーでも浴びたような汗でびしょ濡れの娘が帰ってきて「パパーーっ、さかあがり100パーセントできるようになったよぅ」「おっ、やったなー(握手)」さっそく田柄公園に行き成果を見せてもらう。おお、なるほど、お尻がスッとあがってる。すごいすごいと何度もやらせたら、疲れたのだろう、出来なくなった。

6月23日(水)
昨夜7時から何も食べず何も飲まずでやってまいりました、鈴木病院。胃のポリープを二つとるのです。内視鏡でササッととるんでしょうな。そんな軽い気分で行ったら、先生に結構脅されてドキドキものでした。結果、麻酔欠けられる前から寝てしまっていたようで、お昼前に起こされ帰されました。帰っても眠い眠いでお稽古中止にしました。ああ、眠い。そういや、邦さんが来宅したんだなぁ。ボーッと覚えてます。

6月24日(木)
歌舞伎座楽屋口へ。来年の「松永会」「関西同門会」のことを話し合うためみんなで集まった。その「みんな」とは、マサル、チャーリー、ヒロキ、マサキと俺。つまり、忠史朗、忠七郎、忠次郎、忠一郎と鉄九郎。 あ、俺だけ「鉄」がつくのか!なにをいまさら。和寿三郎は欠席。ちなみに和寿三郎のことはコロと言う。

このメンバーは同門でありながら仕事場で全員揃うことはまずないのだ。だから寄り合いするのも時間合わせが大変だったりする。今回、忠七郎くんが歌舞伎座出演中のため、楽屋口で集合し、近くの喫茶店での話し合いとなった。こういう機会を持ったことは今までなかった。全部家元まかせにしていたところがある。自分たちで話し合って、少しでも松永の役に立って行くことが我々の使命であるのだろうと言う気持ちにみんながなっているというのは良いことだ。有意義な時間だった。

6月25日(金)
4時。目が覚めた。腰から下がヘンだ。こってるというのか、だるーいというのか、とにかく同じ姿勢をとってらんない。つらいのだ。8時30分までガマンして吉村診療所へ急ぐ。肩こりとかをあんまり感じない体質なので、こりがたまりにたまって身体が悲鳴をあげる。今回も腰から下が座骨神経痛のような感覚になっているそうな。めっちゃ治療してもらう。

6月26日(土)
娘の独り言
「パパは、うんどーぐつ。ママはサンダル。ゆうはピーチサンダル。モモのサンダル」

6月27日(日)
「パパぁ、くものす(蜘蛛の巣)さわったことあるよ」
「へぇ、気持ち悪くなかったかい?」
「うん。フワフワとして、あれみたい」
「なに?」
「うーんと。シャミセンのイトとかつくる・・・」
「ああ、おかいこさんか」
「うん」
「へぇ、おかいこさん知ってんのか」
「うん」
「へーー」
・・・・・別にオチはない。

6月29日(火)
家元宅にお稽古をつけてもらいに行ってきました。ピリッとしますね。

6月30日(水) 大阪
なんだかんだと中身の濃い六月でした。これから夏がやってくるのですなぁ。と考えながら、大阪にやってきましたよ。まだまだ中身の濃い月は終わっていないのですね。松竹新喜劇の稽古なのですよ。ああ、あこがれの松竹新喜劇。藤山直美さんってどんな人なんだろう?小島慶四郎さんって普段はどんなんだろう?ああ、ワクワクするーーーっ。

前へ 伝の会TOP 次へ 戻る