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鉄九郎の青?裸々な日常 第107号


2004年9月1日〜30日

文我らくご・日本橋亭ライヴ・伝の会&あんみ通の韓国公演
今月も盛り沢山。いつもの三倍のボリュームよん。スクロールちょっと長くてすみません。

9月1日(水)
娘はキックボードが気に入っている。
「コンビニに行くぞー」
「キックボードでいっていい?」
「郵便局に行くぞー」
「いつしょにいきまーす。キックボードで」
とい調子だ。
恐がりな娘は、雨降りの後はマンホールの蓋を通らないようにしているらしい。
「ころんであたまうったらいけないからさ」
なかなかの慎重派である。
「ガタガタのみちをはしるとさぁ、はなのしたがプルプルふるえるよ」
満面の笑みを浮かべ、そういう娘の鼻の下はふるえているのだろう。

9月2日(木)
生活情報誌というのがある。いろんなお店に置いてあって無料で配布している冊子だ。僕の地域は「Kacce(月刊カッセ)」という情報誌だ。練馬区と板橋区で配布されている。記事があって地域のお店のコマーシャルがワーッと載っている。病院とか教室とか飲食店とか・・・。こんなお店が近所にあったのかと思うこともあったりする。何月か前から僕ん家の稽古場も載せている。
今日はカッセのの発行人の佐藤一水さんと編集桜井由美子さんが来宅して、お稽古の合間に取材をしていった。よくウケてくれるのでたくさんしゃべりすぎた。記事って数行だったりしてな。

9月3日(金)
鉄十郎師匠が僕ん家に来るという。来週の伝の会のお稽古のために。こちらから伺わなければいけないのに「お宅訪問も兼ねて」という。恐縮でございます。邦さんにも来てもらい「雨の四季」の稽古をする。そう言えば6月22日の師匠の誕生日のために沖縄で泡盛を買っておいたのだが渡しそ びれていた。ちょうどいいやということになり、酒盛りが始まる。

9月4日(土) 文我らくご邦楽撰2 国立演芸場
大好きな国立演芸場、二回目の出演である。いいよなぁ、ここ大好き。演芸好きの僕としたらもう楽屋に入るだけでワクワクする。ここに、あの、僕の大好きな、あの落語家さんが座ったのだろうか。こっち側に、あのビッグな芸人さんが座ってる映像を見たことがあるぞ。ヒャー、いいねいいね。
柳家小菊さんもご一緒でしてね。以前ご一緒したことがあるんですね。もう十年くらい前かなぁ?それ以来ですわ。
仲入りの前に伝の会をやらさせていただきましてね。なんか久々の伝の会っちゅう感じでね、6月以来かなぁ。お客さんは良いですな。以前も書いたでしょうが、なにせ笑いに来てますからね。顔がほころんでますから、楽しいですね。笑う気満々で見てらっしゃいますからね。こっちまで楽しくなってきますね。
仲入り後は文我師匠、小菊師匠、伝の会で座談です。こないだ京都で文我師匠と話したときにネタは仕入れていますからね、盛り上がりますね。
最後は文我師匠の「ほうじのお茶」という落語です。アラジンの魔法のランプみたいな落語でね。お茶をほうじると芸人が出てきて芸をするという話なんです。そこに出ましてね、楽しかったですね。
打ち上げのときに、文我師匠の年齢聞いたら同い年でしたね、ネズミでね。なんかうれしいですね。それから事務所に行きましてね、本公演の「よくわかる長唄」の打ち合わせですわ。帰りは1時すぎましたね、いやぁ、おつかれさま。

9月5日(日)
父親の祥月命日だわ。長らく行ってなかったお墓に行くと決めていた。駒込なので近いのだが、忙しさにかまけてお墓参りにしばらく行ってなかった。申し訳ごさいません。その足で鶯谷の妻の家系のお墓参りも。その足で浅草のお墓にも。駒込〜鶯谷〜浅草とほぼ一直線に菩提寺がある。三つお参り終えると、スッキリした。浅草でご飯食べる。浅草は祖母の町。子どもン時、仲見世の石畳によく足をとられて泣いたと言っていた。もう百年近く前の話になる。 仲見世はかわらない。浅草寺も変わらない。

9月7日(火)
9時、京橋プラザ区民館の前で前田さん(古典空間)に迎えてもらった。「入り口がわかりずらそうなので」ということで外で待っていてくれたのだ。今日は伝の会の下ざらい。京橋プラザ区民館は初めて使う所なのです。ほほぅ、まだ新しくてきれいですねぇ。気に入りました。
9時30分から勝彦くんで「勧進帳」「吉原雀」11時から鉄十郎師匠で「雨の四季」「綱館」「勧進帳」
ふと気がつきました。いつも2,3曲を同じメンバーで何回か公演してますでしょ。同じメンバーで同じ曲を4回公演したって、リハーサルは一回で済みますわね。だって、同じメンバーなんだもの。今回は唄方が一人でさぁね。すると4日分の曲を全てやらなきゃいけないんですね。唄方が毎日かわるんだもんね。 「勧進帳」一回弾いたから良いのでなくて、回数分弾かなきゃいけないのだね。もう既にお昼ちょいすぎまでに「勧進帳」二回弾いてます。
13時30分からナベ(渡辺)さんで「雨の四季」「勧進帳」15時から六ショーゴさんで「綱館」「吉原雀」
はーーーーー。良く弾いた。当たり前だけど全部邦さんと二人なんですな。大曲ばかり。くたびれたーーー。
でもねでもね、精神的には全然くたびれてないのです。だってね、それぞれの唄がすばらしいの。僕がタテを弾く「勧進帳」「綱館」はね、唄聴いてればスススーっと弾けちゃうの。めっちゃ気持ち良かった。いやぁ、スゴイ方たちに出演してもらってるなぁ。いやあ、長唄ってすばらしい。

9月8日(水)
本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
昼/「勧進帳」「吉原雀」
10時30分までに日本橋亭に着きたいのだが、ちょいと無理かなぁ、と渋滞の道を走りながら思った。18号だか19号だかの台風を気にしていたが、雨も風もなくおだやかな日になっている。良かった。雨や、ましてや台風になっていたらお客さまの足が遠のいてしまうだろうし。
会場で邦さんと顔を合わせるとまずは「おまけ合方集」の稽古。実は「おまけ合方集」の内容は昨日決めたのだ。間際にならないと内容が決まらない二人である。しかも内容だけ決めて一度も浚っていない。二回くらい浚ってみる。なんとか手の内に入ったかどうかという状態にしておく。
前回の本公演から開場音楽としてお弟子さんたちに幕内で弾かせている。今日からは鉄平と鉄駒のコンビ。前回に比べるとなかなか上達しているように感じる。
開演。たくさんのお客さまがいらしてくれている。事務所(古典空間)に聞くと「勝彦さん人気」なのだそうだ。なんでだよーーー俺たちのお客はいないのかよーーと騒いでみる(笑)。
勝彦くんと「勧進帳」。良い意味でガクッと疲れた。さすがの勝彦くんも唄い終わったあと、楽屋の椅子にボーッと座っていた。アハハハハ。
終演後僕の家で「魔法のバチ」の稽古。アイデアたくさんでる。二人っきりでやろうと思っていたが、やっぱり黒みす音楽入れることにする。台本書き直しに夜遅くまでかかる。でも楽しい作業。

9月9日(木)
本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
昼/「雨の四季」「勧進帳」
今朝も渋滞だ。天気ウマクいってる、よしよし。今日はナベ(渡辺雅宏)さん。今回より「よくわかる長唄」は一言一句意味を解説するのでなく、だいたいのストーリーの解説にとどまっている。その分、調子のことに触れて話しているが、お客さんには違和感もなくうまく行っているようだ。六ショーゴさんが観に来てた。客席が近く、観る方も恥ずかしいだろうがやるほうも照れる。

9月10日(金)
本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
昼/「綱館」「雨の四季」 夜/「雨の四季」「勧進帳」
昨日一昨日と9時に家を出て日本橋亭到着が10時40分。13キロの道のりにそれだけの時間がかかる。が、本日10時に家を出発したらやはり10時40分に着いた。どうなってんのや?ハナからそれがわかっていたら、昨日も一昨日も10時に出たのにぃ。たまたまかな?いやいや、単に9時ごろの道がめちゃ混みということなのだろうか?なんだかよくわからないまま、不思議な気持ちで楽屋入り。
鉄十郎師匠に出演していただくというのは、弟子としてこんな幸せなことはないのである。師匠も邦さんと僕のために力いっぱいのライヴをしてくれる。唄はもちろん、そのあとのトークのおもしろさに多くのお客さまは師匠のファンになって帰って行く。今回の昼夜もご多分に漏れずそういう結果になった。「ライヴ」というのは良い。その時その空間そこに集まった人たち、そして出演者。どれがかけても成立しない時間。
昼夜の間に「魔法のバチ」の稽古と舞台稽古。汗びっしょりかいた。喉は痛いし頭も痛い。こんなんで夜の部出来んのかいなと思って舞台に出ていったら、目一杯のお客さまにびっくり。テンションワーっと上がって気持ち良くできた。お客さまはありがたい。

9月11日(土)
本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
昼/「綱館」「吉原雀」 夜/「雨の吉原、綱に勧進」「魔法のバチ」
ヤホーッ、最終日。楽しいことをやっているのだから、最終日は悲しいのかと思うが、やはりうれしいのだ。何かから解放される時間が迫っているうれしさか。4日間、緊張しているのだろうな。六ショーゴさん。楽しい。「綱館」ステキだった。
夜の部は企画の公演。今回やった四つの曲をウマイ具合にシャッフルしてくっつけたものを六ショーゴさんに唄ってもらうことになってます。とってもおもしろいものができてました。聴けた方ラッキー。
それと伝の会名作劇場から「魔法のバチ」これは「甚五郎泣三味線」の続編なんですが、邦さんも僕も三役ずつ演じるというやこしいもの。動きをつけて芝居仕立てでやってみました。大いにウケて良かった良かった。

9月12日(日)
はぁ。
昨日までの疲れがドッと出てしまった。
お稽古日です。
それに出かけもしました。
ボーッとしてしまいました。
おつかれさん。
今日も良い天気となった。

9月13日(月) 墨田区曳舟小学校
給食を食べさせてもらう。うれしいですな。おいしくてね、懐かしくてね、大好き。子どもたちに興味を持って観て聴いてもらうのはうれしいことです。集中力を持続させるのがこっちの技なんですけどね。ここの小学校の子どもたち、良い子でした、素敵な子どもたちでした。

9月14日(火)
さーて、てんの会に向けてガンバッテお稽古してちょーよ、みなさーーー ん!!10月16日がメインですが、17日の寄席の部にほとんどのお弟子さんたちも出るので、そっちの稽古もある。ぐわんばるーんだぞーぃ、弟子たちよォ。

9月15日(水)
駒場東大前駅に午後一時の約束。なんかヘンな気持ちなんだよな。遅刻しそうというか、日を間違えている感じというか・・・。手帳を見る。今日で間違いない。乗り継ぎナビで駒場東大前までの乗り継ぎを調べる。うむ。一時間あったらたっぷりだわい。12時14分の地下鉄に乗れと出ている。なんかイヤな感じがするので11時40分に家を出る。早く着く分にはかまわないのだから。トントンと渋谷まで来た。井の頭線かぁ。乗ったことあったかなぁ?駒場東大前は二つ目なんだな。ということは急行に乗ってはいけないのだな。いつもの俺なら来た電車に乗ってしまって、下車する駅をとおりすぎちゃったりするのだろう。ははは、そうはいかないのだ。

なんかイヤな予感がするので、チト慎重に行動しているのだぞ。各駅電車に乗って無事に駒場東大前駅に着く。ハハハ、約束の時間にはまだ15分もある。この駅の改札出たとこで待ち合わせなのだ。先に出てお茶でも飲んでいようかな。改札はこっちだな。あれ?あっちにも改札があるぞ。端と端に改札がある。確か、改札はひとつだと言っていたようだが・・・。僕の思い違いで手帳には北口とかなんとか書いてあるかな。

手帳を見る。

汚い字で「駒大」と書いてある。
フムフムそれはわかっているの。改札は書いてないかしら?改札は書いてなかったが「田園都市線」と書いてある。????井の頭線だぜ・・・・・えっ?
「駒大」って「駒場東大前」ではないのかな?田園都市線ってやつに「駒大」と略する駅があるのか?「駒沢大学」かな?あっ、そうだ。駒沢大学って聞いたのを「駒大」って略して書いたんだ。んで、そばで勝彦くんが「田園都市線ですよ」って言ったんで「田園都市線」と書いたんだぁ。
し、しまった!!

田園都市線はどこから出ているのだろうか?携帯を出す。乗り継ぎナビ、乗り継ぎナビ。あっ、渋谷行きの電車が来た。こ、これに乗って渋谷に戻った方が良いのだろうか?はたまた、もっと先の下北沢とか明大前とかまで行った方が良いのか?はやく回答を出してくれ、乗り継ぎナビーーー。うーーー。遅いのぅ。回答でぇへんがなぁ。ええい、渋谷まで戻ってしまえ。やっと乗り継ぎナビが出た。田園都市線は渋谷から出ているそうな。そうだよな、確かそんな記憶があるのだ。ははは、とにかく勝彦くんに連絡しておこう。ちょいと遅れそうだ、トホホ。

改札のにいちゃんに、「間違って乗っちゃったよ」と言って切符を渡しながら「にいちゃん、田園都市線ってぇのはどこっち行ったらいいんでぃ?」と聞き、走る。なあんだ、田園都市線ってのは半蔵門線なんだ。半蔵門線が渋谷から先が田園都市線になるんかぁ。なんか昔もこんな事があったような気がするなぁ。

駒沢大学近くのアンテンドウの喫茶室で勝彦くんと谷川さん(床山さん=「とこやま」と読みます。お芝居のかつらを結う人)が待っていた。

「どうして間違えたんだ?」
「ボーッとしてたんじゃないんですかぁ」
今日はてんの会でやる「源氏店」のかつら合わせなのだ。忙しい中、僕と勝彦くんのために時間をあけてもらっている。三人で小山さん(=かつら屋さん)宅へ。「いらっしゃい、駅間違えるなんてめずらしいねぇ」口の軽い(失礼)谷川さんは小山さんにも連絡済みである。

9月17日(金)
足の裏のホクロは良くないと言う。本来ホクロが出来るところではないようなことを言う。手のひらも同様。僕は右足の裏にあるのである。以前、渋谷の有名な皮膚科の美馬先生にも「はやくとったほうがいいよ」と言われていた。ついに本日メスを入れたのです。診察台にうつぶせになって、もちろん麻酔かけてね。さすがにこれっぽっちの手術では全身麻酔はしてくれませんでしたけどね。とったホクロは検査にまわされたのです。
事務所で伝の会の会議。12月のマンダラライヴと3月の本公演。小野木さんはじめ、平沼女史、馬瀬女史、前田女史、渡辺女史。ここにいない社員は斉藤だけか。

9月18日(土)
三味線がない。
獅童くん宅のお稽古である。稽古場になっている部屋にはところせましと書類とかが置いてある。とくに20日から三越劇場で写真展をすることになっているし、一家でごったがえしになっている。どこを探しても三味線がないのである。どっかに移動したのかな?お弟子さんが「ありましたー」「どこにあった?」「押し入れの奥にぃ」なんじゃとぉ、お、押し入れにはいってたんかい。壊しちゃいけないと思ったんだね。 まあ、あって良かった、稽古しよ稽古しよ。

9月19日(日)
日大の原先生、勝彦くん、邦さん、俺と集まれば何がはじまるか。そうです、芝居の稽古です。めっちゃくちゃ忙しい我らが時間さいて集まることと言えば芝居です。源氏店です。我々は好きなのです。寸暇を惜しんでも集まって芝居の稽古をするのが好きなんです。「大変ですね」と言われますが、それは違います。ただ単に好きなのです。そんな大人が集まってしまったのです。大の大人が4,5人集まって、もくもくと浴衣に着替えている姿なんぞ、涙が出るくらいウキウキしているのです。ともあれ、源氏店の初稽古です。僕なんぞセリフもはいっちゃあいません。動きだってぜーんぜん。それをイヤがりもせず丁寧に教えてくれる原先生。立派な人なのは間違いありませんが、芝居が好きなのです。だってイキイキとして教えてますもの。

9月20日(祝)
17日に足のホクロを取るために、身体にメスを入れたんでさぁね。ちょいと痛いんでさぁ。昨日一日芝居の立稽古とかしてたからかなぁ。今日はジッとすることにしました。なにせ明日から韓国に行きますからね。
パソコンが壊れました。ギャフンとしました。動かないんです。なんかバッテリーがきれちゃったみたいなの。中のデータが心配です。ドキドキです。
夜になったらめまいです。めまいって初めての経験です。カミさんはめまいのオーソリティなのでいろんなこと言ってくれるんですが、とにかく吐き気がします。気持ち悪ーーい。めまいって大変なんですな。などと感心してる場合ではないのです。明日行けるかなぁ、とにかく寝ます。

9月21日(火)伝の会&あんみ通の韓国公演
6時に起きました。めまいしています。気持ちはそんなに悪くないです。支度をして、地下鉄に乗ります。ラッシュの時間になるとイヤだから早めにでました。池袋から座れた。良かった。ウトウトしたらしく、アッという間に有楽町。モノレールも一本待って座っていきました。ウトウトしたらしくアッという間に羽田です。まだフラフラする。バスに乗って国際線ロビーへ。集合一時間前に着いちゃった。ウトウトしたみたい。気がついたら、あんみ通が到着してました。声をかけると、はやく来たことがない僕がいたのでビックリしていた。サイトー(古典空間)、邦さんと到着し、5人でチェックイン。
「俺、めまいでフラフラしてるから、気圧の変わる飛行機に乗るのが怖いんだ。なんかあったら頼むな」とサイトーに告げる。「わっかりましたぁ。気を付けて見ときますから」と、あまり励みにならないことを言われ機上に。ウトウトしたらしい。飛び立っていた。あっ、大丈夫だ。生きている。フーッ良かった。隣で邦さん、グーグーと寝ている。たたき起こしてランチです。ビール飲んでみようかな。大丈夫だねぇ。うまいねビー ル。めまい治ってきた感じがあるねぇ。

金浦空港に着きました。午後1時間55分だってさ。2時間以内についちゃうんだから近いねぇ。日本大使館の深野(正一)さんが待っていた。一年ぶりの再会である。やんややんや。今回は今から25日に出国するまで、ずーっと深野さんがついていてくれる、頼もしいのだ。 金浦空港から真っ直ぐソウル駅まで館用車(日本大使館が用意した車という意味なんだな)で45分くらいですな。昨年来たとき、ソウル駅は工事の真っ最中だったが今年はすっかりきれいになっている。高速鉄道KTX19号に乗ります。韓国の新幹線ですな。なんと300キロ出すんですから。50分で大田と書いてデジョンに到着です。昨年はデジョン駅も工事していたなぁ、今年はきれい。

韓南大学の先生と生徒たちが迎えにきてくだっさって、何台かの車に別れて出発です、行き先は韓南大学校。ここのゲストハウスに伝の会、あんみ通、古典空間の5人が3泊するのである。真ん中にひろーーいリビングダイニングがある(ちょっとしたコンサートができるくらい)。両側に寝室。僕と邦さんはそれぞれツインの部屋を振り分けられた。いやぁ、合宿みたいなのかなぁとちょいと心配していたけど、ホテルよりいいねぇ、みんな一緒だと話も早いしねぇ、いや、結構結構、めまいもなくなってきたぞぅ。ちょいと休んで学校へ。明日のライヴ会場見たりね。会場が構内にあるんですね。とにかくデカイ学校。

あ、そうそう、どうもね、話していてわかったんですが、大学校と大学とがあんのよ。この違い何?僕らの言うところの「大学」というのが「大学校」のことで、僕らの「学部」が「大学」という感じらしいですよ。で、ここに僕らを呼んでくださったのは、韓国大学日 語日文学科の方たちというのだそうです。つまり「韓国大学」というのが「文学部」みたいな意味なんでしょうね。

で、先生たち(つまり教授たちですがね)、当たり前のように日本語が上手なんですね。学校長(学部長)、学科長、その他いろいろな教授がみんなひとなつっこくてね。とくに愛想の良いおじさんが、スタスタと構内をいろいろ案内してくれるのです。ゆかいなオッサンやなぁ、と思っていたら立派な教授だったんですね。源氏物語をめっちゃ研究している方でね、大阪に8年くらいいたと言うことですわ。べ先生といいます。だからときどき大阪弁がでたりしてね。なんだか風貌も米朝門下にいそうな感じなんですわ、アハハハハ。べ先生の部屋で「ピタ500(オロナミンCみたいなやつ)」をごちそうになりましてね。「これはもう、いまじゃ韓国の若者に大人気なんですよ」「へぇそうですか」とこっちも感心して飲んでるところへ、ミサトさんという日本から来てこっちに住んでる若い女性が来ましてね。べ先生が「な、これ流行ってるよな」と聞いたら、首かしげていましたからね、とぼけてるわ。とぼけてるといったら、このミサトさんっていう子は学生なんだとばっかり思っていたら先生だそうでね、びっくりですわ。広島から来ている美里昌子さんと言って日本語専任講師ということでしたわ。同じく教授の、ウ先生が広島の学校にいたんだそうで、その縁なんだそうですわ。シン先生という方も紹介されましてね、文学博士なんですがとぼけた兄ちゃんでね。名古屋に住んでいたそうです。
なんですか、韓南大学は関西なんだね、とにかく、ノリもそんな感じで。学校長主催のお食事会が開かれました。さて、初めての食事です。もちろん焼肉。ハハハハ、ンマイ。韓国良いとこーーー。学校長は日本語はほとんどしゃべれなくて英語なんですね。この方の隣りに座ったものですから、やっと関西から外国に来た感じになりました。

学校長主催の食事会のあと学校長は帰りました。すると次に偉いウ先生の出番です。

「カラオケに行きましょう」
「は?」
「カラオケでね、うたいましょう」
「は、はぁ」
食事したビルの4階が高級クラブの用な場所で(ホステスらしき人がいないのですが)、ボックスに入ると、なんだカラオケルームなんですね。ここで日韓友好カラオケ大会がはじまりました。 まあ、うたうわうたうわ。
まあ、おどるわおどるわ。
まあ、さわぐわさわぐわ。
10人くらいでね、盛り上がっちゃって。解散ということになりました。ゲストハウスまで送っていただいて、それではというところで、ベ先生が
「一杯行きましょう、おとこだけで」
「は?」
「一杯だけいきましょ」
「は、はぁ」
邦さんとサイトーとベ先生とシン先生と僕で近所の居酒屋さんに。
先生の序列がはっきりわかりましたね。学校長→ウ先生→ベ先生→シン先生ということなんでさぁね。いかに鈍い僕でもわかりました。ここでは深い話になりましたね。韓国事情とかね、日本との比較とかね。なにせ通訳いらないですからね、話が進む進む。
実は韓国の人とお友だち感覚で話すの初めてですからね、楽しい楽しい。徴兵行ってるときってなにしるんですか?とかね、日本語ってむずかしいんですか?とかね。考えてみたら、こんなに偉い方たちとふざけて話なんてできませんからね、普通だったら。三味線弾いてて良かったなぁ、なんて。話の途中で年齢が明らかになりましてね。べ先生は僕のひとつ上でイノシシ年でシン先生は8つ下の猿年だったんですな。40代は邦さんとべ先生と僕ということですな。
さて解散ということになりました。もう0時は過ぎていますね。と、その時、べ先生が
「もう一杯いきましょう」
「は?」
「40代だけで、もう一杯いきましょう」
「は?」
「40代だけでね」
「は、はぁ」
「おいっ、シンっ、サイトーくんを送ってかえりなさーい」
「はーーーい」
てなもんでね。
邦さんとべ先生と僕はタクシーに乗って、べ先生の行きつけのクラブへと向かうのでした。
ここは、ママがいてホステスの方がいてというクラブです。ただ、部屋が別れています、各部屋がキレイで広いカラオケボックスみたいになってるんですね。だから他のお客様と顔を合わせません。べ先生は僕がひとつ年下だということをはっきりと認識したようですね。 二つ年上の邦さんには丁寧語、僕には命令口調になってきましたね、ハハハハ。「おまえなんか40代じゃないっ」なんてわけのわからないこと言ってます。とにかく、楽しい時間でした。

9月22日(水) 韓南大学実験劇場

リビングでみんながしゃべってる声で目が覚めた。昨夜帰ったのは4時すぎだったような。仲間のシャベリ声で目が覚めるというのは気持ちの良いものだ。ノソノソリビングに出ていくと、あんみ通・邦さん・サイトーの全員が揃っていた。朝ご飯を食べたりお茶飲んだりしている。「コーヒーが飲みたいなぁ」というと、「ほら買ってきてやったぞ」と邦さんがスティックコーヒーをくれた。なんと気のつく先輩であろうか。

今晩演奏する「文化学科実件劇場」へ。昨日見たときは、散らかり放題散らかっていたが、見事に片づいている。どうやら学生たちが、朝から頑張ってくれたらしい。頼もしい学生たちだ。

こちらとしては音響をとても気にするのだが、希望するとおりに機材も揃えてくれ、サイトーも安心していた。この学生たちの働き、それを指揮するべ先生の実力に、僕は感動した。昨夜、あれだけ僕らとつきあいながら、やることはきっちりとしている(当たり前と 言えばそれまでだが)。
昼食の後、特別授業ということで、あんみ通とのライヴを教室でやる。4年生の教室と3年生の教室の2公演。さすが日本語学科というだけあって、どんなシャレでも通じる。すっかり気を良くしてしまった。
一度ゲストハウスに戻り、衣裳に着替えて再び劇場へ。300余の客席は超満員。補助席や立ち見でごった返している。学生ばかりなんだと思っていたら、そうでもない。大人が多い。逆に日本語学科の生徒たちは、明日日本語劇の本番があるというので、ほとんどいないようだ。それでこれだけの人たちが集まるのだから、韓南大学の僕らに対する期待度がわかるというものだ。念のためにとべ先生が通訳を買ってでてくれた。普通、通訳を入れるのに消極的な伝の会も、40代の会の人なら(笑)と快く受ける。ステージは三人のトークバトルになるのである(笑)。

伝の会〜あんみ通〜ジョイントというステージ構成。まあ、よくウケてね、僕らも楽しみました。終わったら終わったで、みんながステージに下りて来て、サインじゃあ、写真じゃあと大変な騒ぎ。

伝の会とあんみ通の4人で、三人は日本人の顔で、僕は韓国にいそうな顔なんだそうだ。へぇー、うれしく思いましたね。ロシア行った時も、マケドニア行った時も言われた。不思議である。まぁ、韓国はわからないでもないが、東欧の顔って・・。結局、どこにでもいるような顔なんですな、最近はそう思うようになりました。でも、海外に行って、そこの国の人にいそうな顔と言われるのはうれしいことですよ。
ライヴ開始時には来ていた小野木さん(古典空間社長)が終演後から合流。教授達とやけに親しく話す我らにビックリしていた。
ライヴを感激してくださった、ウ先生が「とにかくお食事をご招待します」ということで、みんなでワーッと出かける。大学側も昨日とほとんど同じメンバー。なんかもう、十年来の友だちみたい。年齢もはっきりしたので、シン先生などは僕のことを「兄貴ぃ」と呼んでいるし。年上の邦さんはちゃあんと上座に座っているし。食事のあとは、また飲みに連れてってもらいました。今夜はシン先生が仕切っています。あんみ通も一緒に。やっぱり深夜遅くの帰宅でございました。

9月23日(木) 培材大学21世紀コンサートホール

「昨日は感動いたしました」とべ先生が朝やってくる。深野さんも毎朝きてくれる。ゲストハウスは集合場所としても良いところだ。本日は韓南大学から30分くらい離れた培材大学に行くことになっている。

ずーっとお肉を食べているので、今日のお昼はうどんにしましょう。そうね、そう言えば、今までそういうものを食べたことがなかったな。本当は「うどん」ではないのだそうだが、「うどん」としか言いようがないのです。と、べ先生は言っていたが、うどんでいいんじゃないですかね、という感じでしたよ。ヨモギが入っていてね、緑色なんです。
ここで培材大学校日本学科助教授のス(チョン・スンブン)先生と合流。ス先生は「枕草子」の研究で有名で、早稲田大学の博士号を持っているという才女。べ先生とも仲が良く、べ先生が言うには僕は「源氏物語」、彼女は「枕草子」、この二人で韓国の日本文学をひっぱってるんだそうだ。
培材大学校は近代的な建物だ。韓南大学校はでっかい大学って感じだが、ここはオフィスビルのような感じがする。「総長に会います」と言う。「総長」という言葉から、つい長ラン来てリーゼントで、 声がやたらに高い人を連想してしまうが、学長のことですね。めっちゃ忙しい人で、滅多に会えないということらしい。東京の打ち合わせの時から、小野木さんが「邦さん、培材大学の学長に会う予定がありますから、絶対に短パンと雪駄は履かないように」と、きつく言っていたほどだ。海外で(しかも日韓友好という大事な役目があるのに)短パンと雪駄という格好をしてしまう邦さんも邦さんなんだが・・・。総長は気さくな方だった。

無事に面会も終わり、リハーサル。700人くらいのキャパのきれいな会場だ。ここも学校内の会場で「21世紀館コンサートホール」というところらしい。

「ここでぜひ甚五郎を」
また小野木ちゃんが言い出した。
「エーーーーーッ。ヤダナーーーーッ。」
「大丈夫ですって。みーんな日本語わかるんですから」
「エーーーーー」
と言い続けたが、邦さんと小野木さんの話し合いでやる方向に進んでいる。邦さんは小野木さんの言うことだからやってやろうと言うことなのだろう。邦さん自身がやりたいかどうかは疑問である。とにかく時間は迫っている。やるのやらないのと揉めていても仕方がない。やるとなったら通訳にだいたいのあらすじを最初に伝えてもらっとかなければいけない(らしい)。邦さんはその作業に入っている。二人でごねると物事進まないからね。いいですよ、やったって。ぜーーんぜんかまわないです。ウケるとかウケないじゃないですから。絶対にウケますから。だってウケるようにやるんだもの。ここが大事なんだなぁ。結果は絶対ウケるよ。でもさ、ウケるようにやることに僕はもうあんまり興味がないのです・・・。まぁ、ここは小野木ちゃんの意向どおりに事を運んでいきましょ。

韓南大学と違って学生たちが作るライヴというのではなく、先生たちが走り回っている。とりわけ若くてカッコイイにいちゃんの篠田専任講師は、気持ちの良いくらい走り回って音響やら舞台やらを作っている。その姿を見たら、「なんでもやりまっせ」という気持ちにもなろう。

よいステージだったと思います。お客さんもノッテくれました。 終演後、サイン会の用意が、ちゃあんと出来ていて、ロビーに出ていくと長蛇の列が出来ていた。後ろに並ぼうかと思ったら、そうではなく、僕らのサインを待つ列でしたね。

この学校は青山学院と繋がりがあるのです。日本に宣教師を送り青学を創り、韓国に宣教師を送り培材大学院を創ったのだそうです。・・・たぶん、そういうことだと思います。・・・違ってたら勘弁してください。

なにがいいたいのかと言いますと、終演後にここの学校内の食堂(といっても学食という感じではないですよ。高級レストランという感じのとこです)でお食事会があったんですが、お酒が出せないのだそうです。なるほどねぇ、そう言えば、食堂にも、創立した宣教師の写真が貼ってありました。僕の前に座っていたカッコイイおじさんと気安く話をしていたのですが、金良柱さんという韓国人の先生でした。どう見たって日本人なんですよ(伝の会 写真集参照してくだしゃい)。文化人類学者の方なんですねぇ。高知にいたんだそうです、8年居たとか言ってたかな。よさこいが大好きなんですって。今でも毎年のように、よさこいに踊りに行ってるんだそうです。おもしろい人がいますなぁ。

ではではということで、韓南大学に帰ることになりました。向こうでは、日本語学科の生徒たちの劇も終わり大宴会が開かれているというのです。そこに合流するのだという段取りがついているようです。いざ、韓南へーーー。

「ワーーーッ」「ただいまー」「よおよおー」「もうよっちゃったよー」「あにきぃー ーー」大変な騒ぎですね。気がつくとス先生や金先生も篠田講師も来ていたんです。韓南と培材の先生たちが集まってドンチャン騒ぎです。 もちろん学生たちもあふれんばかりにいましてね。そしたらね、金先生がビールを七分目くらい入れたグラスにね、真露を入れたちっちゃ なグラスをチャポンと入れるんです。それを一気で飲めと言うことを始めたわけです。乱暴物ですなぁ。ついに僕の番が回ってきましてね、イヤイヤ飲んだら意外にウマイんです、これが。あんみ通もやったらしく、ベロベロに酔っぱらってましたね。あんみ通が普段飲んだのを見たことがありませんからね。ビックリしましたねぇ。僕の前に、左から邦さん、由佳ちゃん、公美ちゃんと座ってんですがね(伝の会 写真集参照してくだしゃいね)。そいで「ドーンドンドン、ベタベッター」などと騒いでるんです。あたしゃ、安田大サーカスを見てるのかと思いました。

無事にお開きになりますと、シン先生が「今夜は僕がおつれします」と言うことになりました。もう慣れてきましたね、なんかね、宴会が終わりになってもこのままじゃないんだろうなぁ、とね、わかってきました。シン先生と、その後輩の先生と美里先生、あんみ通、邦さん、小野木さん、サイトーと僕という顔ぶれ。

しばらくして帰宅したんですが、安田大サーカスチームは酔っぱらってリビングでバタバタと寝っころがってはグルグル回ってる次第、見てるこっちが気持ち悪くなる。一同、2時か3時には寝たんだと思うのですが・・・。

9月24日(金)
大田からソウルへ ソウル日本人学校・ニューセンチュリーホール

・・・ピンポーン・・・深野さんが来たようだな・・・・ピンポーン・・・あ、誰だろ?・・・べ先生かな?・・・・・。ガサゴソガサゴソ・・・う、気持ちわりぃ・・・・目が回る・・・・これはめまいのせいではなさそうだ・・・・・。

リビングに出ると深野さんべ先生がソファに座っていて、一同はあたふたと支度をしていた。僕もあたふたとする。スーツケースに荷物を詰め込まなあかんのやでー。
シン先生も来て、7時30分、いざ出発。韓南大学校と、そしてゲストハウスともお別れである。大田駅までべ先生とシン先生が見送ってくれるのだ。べ先生とは、40代の会の友情がいつまでも続きますように堅い握手を。「また会おうぜ兄貴」「ああ達者でな」シン先生と抱擁をし、はずかしいので涙を隠しながらのサヨナラ、また会える日を楽しみにしています。

高速鉄道KTX104号に乗る、アッという間にソウル駅に到着。館用車に乗りソウル日本人学校へ。昨年に続き二度目の来校です。昨年11月頃だったか、この学校で不幸な出来事が起こったことがテレビで報道されていた、悲しい事件でした。偶然にも昨年来校したのも9月24日だったのです。元気な子供たちを前にあんみ通と伝の会はとっておきの演奏をしました。

今回ソウル日本人学校でお世話をして下さった、石川正人国際交流ディレクターの案内で食事をし、いつもの宿SAVOYホテルへ。小一時間休めるというので僕はサイトーを連れて出かけました。実は、僕のスーツケースがついに動かなくなってしまっていたのです。車輪がね、回らないのですな。もう随分と国内や国外に行ったスーツケース。昨年くらいから真っ直ぐ動かなかったのですが、今朝ゲストハウスで車輪も壊れ、ついでに取っ手もとれてしまったのです。運んでくれるサイトーは、こわれた大きなスーツケースを抱えて運んでくれていたのです。あまりにもサイトーに申し訳がない。 ということで、一人で行けばいいものを、小心者の僕は、やっぱりサイトーについてきてもらってスーツケースを買いに行くことにしたのでした。
やっぱり南大門(ナンデムン)でしょ。むかしもここのどっかでスーツケースを買ったことがあるのです。14万ウォンのスーツケースを7000ウォンまでにして買ってまいりました。いやぁ、よい買い物をした。
日本大使館の公報文化院に参ります。ここでやるのは今年で三回目。いつもやりやすいステキなホール、ニューセンチュリーホールです。なんか古巣へ帰ってきた気分。ただ、通訳してくださる方が毎回違うのですな。ははーん、どうやら、僕らのライヴの通訳は型にはまったものではないし、ライヴの途中でいじられたりするしで、きっと二度と来てくれないのだなぁ、という怪情報まで流れています。

19時公演開始。今回はやたら若いお客さんが多い。なんでも、高校生や大学生がたくさん来ているというのです。考えて見ると今回のツアーはずっと若者がお客さんだったのですね。韓国の若い人たちはここ数年でグッと日本に興味を持ったということは知っていましたが、それがついに爆発した感じですね。なにしてもウケる。アンコールまで楽しいライヴでした。もちろんサインと写真の儀式もたっぷりと。最後に伝の会とあんみ通の記念写真を撮り、無事に韓国公演を終えたのでした。いやぁ、楽しかった楽しかった、盛りだくさんだった。

ホテル帰って、ワーッとシャワーあびて、明洞の街へ。もう馴染みですからね、この街は。方向音痴の僕でさえ、一人で歩けるくらい色々知ってますから。おいしい焼肉を食べ、プラプラしてホテルへ帰りました。韓国に来て初めてゆっくり寝られる晩です。ベッドに入って0時30分。来年は「日韓友情年」なのである。また来られるといいなぁ、今回知り合った多くの人たちにまた会うことができるかなぁ。

9月25日(土) ソウル

昨夜は1時前には寝た。8時起床、いやぁ、ぐっすり寝た感じだ。荷造りをして9時にロビーにおりていく。全員でお買い物に。深野さんもついてきてくれるのだ。南大門へ。とにかく市場ですよ。でもここも最近じゃ、観光客用の値段なんですがね。でも奥へ入れば、日本語通じない安いとこがある。稽古場用の小さな机(というかテーブルというか)を見つけ真剣に悩む。値段も安いしなぁ、そばで小野木ちゃんが「お師匠さん、決まりだな」とつぶやく。うーーーん、「やめとこ」。

さて、バイオセリシンですな。今回出発前のめまいでふらふらしているところに、妻からのメールが「石けんはバイオセリシンです」と届いた。女性用の石けんなんであろう。美容にいいとかなんだろなぁ。健康のためなら命もいらないという妻の姿勢は有名で、あんみ通も「とにかくマリさんがそういうならなんとしても探しましょう」と言っている。昨日久々に自宅に帰った深野さんは、奥さんに聞いても知らないというのでネットで調べてくれたそうな。申し訳ございませぬ。薬屋、化粧品屋と片っ端からあたるがバの字もない。やっぱないんだねぇと明洞間近で「てつくろさーん、ありましたよー」とニコニコした深野さんが手招きをする。ワーッと行って見ると、今まさに段ボールをあけている店主の姿。たった今届いたのだそうだ。

「7000ウォンなんですが、このあたりでは5000ウォンで売ってます」
「よっしゃ、おっちゃん、10個買うから30000ウォンにしよ、はい決まり」
「お客さん、それはできないのです」
「なに、できない、んじゃいらねーよ」
と立ち去るが店主は追っかける様子もない。こりゃほんとにマケないんだな
「あはは、10個くれい」
「あたしは2個」
「あたしも2個」
「僕も2、3個」・・・
パオセリシン大流行である。
昨年も行ったおいしいチヂミがあるお店で昼食。深野さんの奥さんと8カ月の娘さんに会う、かわいい。我々は深野さんとは3年のおつき合い。おととし奥さんを紹介され、昨年その奥さんのお腹は大きかった。今年は娘さんと三人連れ。時間といのはおもしろいなあ。

金浦国際空港まで送ってもらい、深野一家とはさようならです。また会う日まで。羽田に着くと、小野木ちゃんが送ってくれるという。ではお言葉に甘えて。「てつさん、今日はみんな一緒に帰れてうれしいでしょ」とあんみ通が言う。なに言ってやがんでぃ、そのとおりさ。グループで動いてて、急に一人になって帰る時っていうのは、結構さみしいものなのだ。あんみ通を送って邦さん降ろしたところで小野木さんの車、運転させてもらった。

「今回どうでした?」
「楽しかったね」
「ステージの方は?」
「うーん、どうだったんだろ?そっちで見ててどうだった?」
「いやもう、こっちとしてもお客さまとしても大オッケーですよ」
そんなら良かったですな。こっちはやりづらいとかなんとかはないわけだし。ただ、お客さんがどう感じて見て聴いてくれたかだけが気になるとこなんですよ。それはいつも思います。海外だからとか関係ないですね。国内でも海外でも小学校でも同じ。僕らのステージの時間がお客さまにとって楽しい時間であって欲しいと願うばかりです。日韓交流や邦楽の普及とかいろいろあると思いますが、根底は楽しんでくれたか どうかだけです。それはいつも思います。あんみ通もそう思ってるに違いありません。これからも色々な土地に行くことと思います。その都度その都度、チームの和とお客さまとの和でステキな時間と空間ができたらなぁと思いますね、マジで。

9月26日(日)
韓国は近い。海外と言っても2時間足らず。したがって海外帰りの疲れというものがない。ないないないない。あっても寝不足くらいなものだ。

9月28日(火)
韓国行く前に足の裏のホクロとったでしょ。今日は抜糸に行きました。五針くらいぬってあったんですね。診察台をギューッとつかんで耐えました。痛くはないのですが、そういうのはとにかく苦手です。

9月29日(水)
てんの会もうすぐなんですよねぇ。お弟子さんもがんばってるんですが。僕は与三郎のセリフが入らないんですよ。「しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どうとりとめてか木更津から」のあとの「めぐる月日は三年越し」が出てこない。イーーーーッとなります。

9月30日(木)
てんの会もうすぐなんですよねぇ。お弟子さんもがんばってるんですが。僕は落語の演目が決まりません。いろいろ候補はあったんですが。やっぱ「寿限無」にしよーかなぁ。前座だしなぁ。どうしようかなぁ?と悩んでるヒマはないのですけどね。けどね、けどね、けどねーーーー。


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