前へ 伝の会TOP 次へ 戻る

鉄九郎の青?裸々な日常 第12号


平成11年7月19日〜7月31日
19日
ちょんまげライヴを観にきてくれた人から「痩せましたね」という言葉やメールを もらった。ダイエットを始めて二カ月がたった感じなのだが、5kgは痩せたかな。ダ イエットと言っても「我慢との戦い」というものではなく食事が簡単になって栄養のバ ランスが良くなって、健康になったと実感している。そういえば以前は昼寝がかかせな かったのにこの二カ月はまったくしていないな。なんかすごい。聞けば健康になるため のものだという。なるほど、太り過ぎ痩せ過ぎというのは不健康なことなのだ。世の中 には太りたいという人もいて、そういう人も飲んでいるという。僕はもともと体力の精 神力が無く、長唄という長い曲を何曲も引くことが困難だったが、最近は体力も精神力 も持つようになったようだ。もしみなさんの中で、太り過ぎ痩せ過ぎという不健康な人 がいたらお薦めします。メールをくれても良いですよ。
20日
お稽古日
21日
夕方、久々にfwd(美容院)へ。担当の伊藤くんが「痩せました?なんか肌も ツヤツヤだし、髪の毛も若返りましたね」と言っていた。そんなもんかな。伊藤くんは 背が高くてカッコイイ若者だが(なんかこの表現、年寄りくせー)脇腹の贅肉が気にな ってきているとのこと。実は僕が脇腹の贅肉から取れていったことを話すと「僕もお願 いしますよ」と言っていた。
22日
明後日、忠五郎師のゆかた会が日刊工業ホールであり、その下ざらい。やっぱり 「痩せた痩せた」と言われる。このところその話題ばっかり。正午から夜の7時まで弾 くが疲れず不思議に思う。午後8時、鉄十郎師と10月30日の打ち合わせを西麻布「 幸鮨」にて。ここの大将のユキオさんというのが師匠のお弟子さんで、僕も内弟子のこ ろから随分お世話になった。15、6年振りに再会。「あっちゃん変わんねーなー」と 懐かしい顔で言われる。「鉄九郎さん鉄九郎さん」と呼ばれるのがあたりまえになった このごろ、「あっちゃん」と呼んでくれる人に会う、このうれしさは計り知れないもの があるなー。上寿司を師匠が持たせてくれて帰宅。「納豆でごはんが食べれるよ」とい う娘に「お寿司があるよ」といったら、「この世にこんなにうれしいことがあるのか」 という位に喜んでいた。子供というのは全身で喜びをあらわすすばらしい生き物だ。
23日
昼から自主稽古を。すっごく暑い日だ。
24日
日刊ホールにて忠五郎師のゆかた会。正午開演、20時終演。いつもならクタク タに疲れるのだけど、どういうわけか疲れない。あっ、アレのせいか、すごいな。智ち ゃん(高橋智久・東音会三味線方)と奈緒(高橋智久夫人)を連れて赤羽の「美味香」 へ。高橋武久師(東音会三味線方・智久くんの父)ご夫妻のいきつけのお店というこの 中華のお店は、すっごくおいしいかった。ご夫妻もいらしていただいて、すっかりごち そうになってしまう。
26日
ば・か・ん・す・だー。スペースゼロ公演を間近に控え、遊びに行くのもどうか と思うが、以前からの決まり事なので、はりきって出掛ける。家元(忠五郎師)の蓼科 の別荘に集合。集合するメンバーは、忠五郎師ご家族、マサル(忠史朗)家族、チャー リー(忠七郎)夫妻、ヒロキ(忠次郎)家族、マサキ(忠一郎)、コロ(和寿三郎)と 鉄九郎家族の総勢17人。蓼科の別荘に行くのも何年振かと色々みんなで思い出して見 たら、12年前にさかのぼった。みんなでチンチリレンを毎日100本弾くという合宿 のために行った以来。ヒエー、月日の流れるのは速いものだ。ましてやこのメンバーが 揃うということは滅多にない貴重な時間だ、大事に過ごそう。とおもいきや、ワインを 飲み過ぎ就寝。
27日
別荘には、なんぼなんでも全員が泊まれないということで、すぐ上の「ナオ・ク ラブ」というペンションを、家元がわざわざ家族ごとにとっておいてくださり、朝食は そこで食べる。ペンションの朝は早い。8時、朝食。9時30分別荘に集合。茅野のプ ールに皆ででかける。チャーリーは凄い二日酔いらしく、蹴飛ばしても起きないのでお いていく。
僕はちょこっと東京に仕事にでかける。いやいや、ほんのちょこっとってい うことで、へへへ、ハハハ、トホホホホー。なんでバカンスに来てるのにわざわざ往復 5時間かけて仕事にいかなきゃならねんでぃー。まあ、自分で決めたことだからしかた がないか。というわけで、10時27分発「あずさ58号」に乗った。なんだっ、けっこう混 んでるぞ。ゆったりとMD(「たぬき」「廓丹前」)を聴いて勉強しようと思ってるの に。えええーい、こうなりゃ、自分に投資だー。「ヘーイ車掌さーんっ。グリーン車は 空いてるかーい」・・・・・空いてました。二人くらい。こりゃいいや、「たぬき」と 「廓丹前」を完璧なものにできるぞー・・・・・グーッ・・・・えっ、もう新宿っ。や っぱグリーン車は寝ごこちがいいやィ。
午後2時に出番で10分弾くだけだから15時ちょうどの「あずさ61号」に乗れるな。よしよし、帰りは指定席でいいだろう、買っとこ。
丸ノ内線で10分で新高円寺駅へ、徒歩5〜6分でセシオン杉並へ。今日ここで「第八回 ・気軽にオンステージ」という邦楽演奏会をやっていて、特別ゲストということで伝の 会が10分ステージをやることになっている。僕は手ぶらで楽屋入りラッキー。着物は2 、3日前に邦さんに預けて持ってきてもらい、ついでに三味線は邦さんのを借りること になっているという、僕サイドからすれば、とてもとても都合の良い話で、邦さんサイ ドからすれば、たわけた話なのだ。邦さんはもう来ていて、僕用の三味線もセットされ ていて、「このバチはアツシ向きだ」とバチ・指かけ・ひざゴムという三味線弾きの三 種の神器まで用意してくれている。あー僕はなんてことをしたんだろー。自分の都合ば かり考えて、手ぶらで楽屋入りがラッキーだなんて。先輩に全部頼んでしまって、しか も嫌な顔ひとつしないばかりか、僕用にと三種の神器まで用意してニコニコ待っていて くれるなんて。
あー僕はまちがってました、僕がいるから伝の会はおもしろいんだー( おもしろいんだというところが情けないが)と心で思うばかりか、ちょくちょく人前で 言っていたようなー。邦寿先輩がいるからなんだー。この人がいるから伝の会はここま できたんだー。
すいませんでしたー。と、心で思ったかどうかは別として出番も迫っているんだけど、 とりあえず、とても暑いのでハダカになり、「邦さん、なんか冷たいもんでもない」と か言ってみました。
「何時のに乗るの」「3時。2時30分に出れば間に会うでしょ」 。主催者の方がいらっしゃって「2時2分になったら舞台袖にきてもらえますか」とい ってきた。よし、順調順調。あわてて支度して2時2分に舞台袖にいったら、司会の人 が舞台に出てきて「主催者のあいさつかございます」とか言ってる。オイオイ、ほんと かよ、ハハハッ、7〜8分しゃべんじゃないでしょうね、勘弁してくださいよー、ハハ ハッ。と邦さんと笑いながら馬鹿っ話を舞台袖でやっていると、ほんとにあいさつが終 わらない。2時13分になった。終わった。司会の人が僕らの紹介を始めた。「さあ邦 さん出ちゃおうよ。椅子を2脚用意してくださーい」。司会の方の紹介はとても丁寧で 、僕らが舞台に出てスタンバイが終わってもいっこうに終わらない。
司会「それでは伝の会、キネヤクニヒサさんと松永鉄九郎さんの演奏です」 エーッ、クニトシですけどー、と突っ込みたくて仕方がなかったが、もはや2時16分 、こりゃー大変だぜー、「弾こう邦さん」と心で叫ぶ僕と「あー司会者に突っ込みたー い」と望む僕がいて、どっちにしても時間がなーいという結論になんとか達したので、 「瀧流し」を弾いた。次に「衣替闇連弾」をやるのだが、これを弾くにはツナギの説明 をしなければならない、まっ邦さんがスラスラッとやってくれるだろう。オイオイやけ に丁寧に説明してるぞ、あかんやん。2時25分、演奏が終わって邦さんが「伝の会の 杵屋ク・ニ・ト・シと松永鉄九郎でした」といって逃げるように楽屋へ。
遠くで司会者の人の声が聞こえた「・・・・伝の会の杵屋クニヒサさんと・・・」。
やさしい邦さんは、「楽器も着物もそのままでいいぞ、はやく着替えて行っていいぞ」といってくれたので、お言葉に甘えてサッと着替えて「そいじゃー」とダッシュした。あーシンド。ラ ッキーなことに新高円寺に走って行ったら、すぐ電車が来たので無事に「あずさ61号」 に乗れた。「ちゃんと間に合ったよ」と心配してると思われる邦さんに電話し、さーて と座るかなー。アレアレ、混んでるな。「車掌さーん」。
17時15分、茅野駅着。ペンションに戻ってシャワー浴びて、家元の別荘に行きみんなと 合流。すごいみんな焼けてるじゃん。聞けば曇りですこし肌寒かったので、こんな天気 じゃ日焼けもしないだろうと、たかをくくってプールサイドでおしゃべりをしていたら しい。復帰したチャーリーと今夜もベランダで語らう。静かで空気がおいしくて良い気 持ちだわ。
28日
昨夜はさすがに飲み過ぎることもなく、全員集合して「白樺湖ファミリーランド 」へ行く。遊園地というのは大人も子供も楽しいところだ。我が娘なんぞは、「オーッ 」とか言って興奮している。ラクダに乗ったりイカダに乗ったりして遊ぶ。昼食を全員 でいただくと、ここで今回のバカンスは解散となった。後は各家族、まだ遊ぶもよし、 東京へ帰るもよしということになった。我が家族はもっと遊ぼうということになり、チ ャーリー夫婦とコロと一緒にゴーカートやらお化け屋敷やらと遊び惚ける。午後4時、 そろそろ帰ろうかということになり、諏訪インターに向かう。
他の世界と同じく長唄界 にも流派というものがある。松永流は決して大きな流派ではない、ないゆえに家元と僕 たち弟子たちの繋がりが大きく、とくに家元が僕たちへの気遣いや愛情は、他流派の人 達がうらやむほどのものがある。もちろん僕らも感じているが、家元は家元としてのご 苦労がたくさんあるはずなのだが、そんなことは僕たちには一言も言わずに可愛がって くれる。こんな親分を持って僕たちは幸せものだとつくづく感じる。僕たち一人一人が 努力して芸を磨いていき「松永」という御家をもっともっともり立てていかなければと 思った。僕はこんな話をよく和佐次朗さんに話したことがある。孝次郎師・和佐次朗師 ・鉄十郎師・忠五郎師(順不同)でもり立ててきた「松永」を鉄九郎・忠史朗・忠七郎 ・忠次郎・忠一郎・和寿三郎(順番どおり)でもっともり立てて、次の家元に繋いでい くことが御恩がえしだと思ってますと。別にヨイショではなくて本当の気持ちだ。和佐 次朗さんも「おお、そうかそうか」と言っていた。そんなことをしみじみ感じた3日間 だった。こんどはいつ皆が揃えるかが楽しみだ。
29日
6月に取材を受けた記事が24日の東京新聞に載っていた。見開きでかなりのスペースだ。おもしろいなこりゃとか思って読んだ。邦さんとその話をした時、「俺、高校中退になってんだけど、ちゃんと卒業してんだよな」と言っていた。あっ、そういえばそうだな。相方にまちがいを気づかせない文章だったのかな。
30日
「さらしなの里」(編集部注:蕎麦屋さんの名前。ここの和室はよく邦楽関係者のお稽古や勉強会などに用いられている。)で川島さん、清之さんと「三絃と太鼓〜」の稽古。今回は和佐次朗さんの作調の部分を古典的な手法に大幅に変更した、作調/川島佑介バージョン。僕た ちの満足いくものにできあがっていた。和佐次朗さんもきっと納得してくれることだろ う。
31日
獅童くんとこのお稽古日。以前獅童くんが取材された「演劇界」の別冊を見せて もらう。なかなかおもしろいね。僕も一緒に写っているのでご覧になりたいかたは「演 劇界七月臨時増刊特大号/花づくし若手歌舞伎」を。

ということで、いよいよ暑い夏真っ盛りですが、みなさん紫外線に気をつけてお過ごし ください。次のこのコーナーの更新は、「伝の会99夏特別編」も終わり、「徳島阿波踊りバカンス」の後ということになるでしょう。


前へ 伝の会TOP 次へ 戻る