前へ 伝の会TOP 戻る

鉄九郎の青?裸々な日常 第144号

東映のお正月作品「茶々 -天涯の貴妃(おんな)- 」に毛利勝永役で映画俳優デビュー!?
2007年10月1日〜31日

「鶴瓶のらくだ」公演に参加

10月3日(水)「鶴瓶のらくだ」最終稽古
朝、邦さんが来て、伝の会本公演のスライドのための音入れ。そして12時、新橋で鉄六・鉄駒・Tと待ち合わせて、お台場の湾岸スタジオへ。笑福亭鶴瓶さんが、古典落語の「らくだ」という噺をひっさげての全国八ヶ所公演する「鶴瓶のらくだ」に僕も出演させていただくことになった。その最終稽古。スタッフキャストが全て揃っているので、めっちゃくちゃたくさんの人。そんな中、両手に弁当もったオッサンがいる。あ、鶴瓶さんだ。
テ「おはよーございます」
鶴「あはっ、こんなカッコですんません」
テレビと同じじゃーん。鶴瓶さん、ワタクシ名乗るのは初めて。だけど、今までも、ものすごい数、同じ現場にいたことがある。僕が舞台にいて、客席の鶴瓶さんを見たことだって、ものすごい数ある。そうなのです。勘三郎丈のお友達ですものね。歌舞伎もしょっちゅう来られてますからね。
さて、いよいよ通し稽古が始まります。アタシャ、生意気にも音楽監督なんぞもやってるもんですから、いろいろと楽しい。工夫をすると、鶴瓶さんが「ホホォ、オモロイ」と言ってくれる。人を乗らせるのが上手なお方だ。ヤンヤヤンヤで稽古が終わった。こりゃ、楽しみだぞ。ツアーは、6日の嘉穂劇場からスタート。

10月4日(木) 
昨夜、練馬文化センターのあたりにいたら、「テツクロー、どこでも通りかかるんじゃない」と、大きな声が。え? 志の輔さん、まだ高座だと思ってたから、ものすごく驚いて、
テ「落語会は?」
志「九時五分に終わってんだよ、とっくに。いいから行こう」と、打ち上げに連れて行ってくださった。落語の昔昔亭桃太郎さんの独演会のゲストだったのだ。そして桃太郎さんに紹介していただく。
桃「朝は、11時くらいまで寝る」
志「一度も起きずに?」
桃「いや、7時ころ一度起きるね、トイレ行ってまた寝るの。でもさ、二度寝すると怖い夢とか見るよね」
テ「ははははは」
志「ははは、子供じゃないんですから」
テ「ははははは」
志「そんなこと言われてもなぁ(笑)」
志「オレンジ色の錠剤なんです」
桃「あ、僕知ってるよ。ピンクのやつでしょ?」
志「あ、いや」
桃「赤いやつだ、ね」
志「え、ええ(笑)」
テ「ははははは」
桃「酒飲んでさ、記憶なくすことあるでしょ?」
志「はい、ま、全部ではないですけど、何喋ったのかとか、飲んでる間の記憶は間違いなく無くなりますね」
桃「僕は飲まないでしょ」
志「はい」
桃「記憶が無くなるってことがないのよ」
志「…」
テ「ああね…」
志「…」
テ「師匠、なんかコメントないんですか?」
志「ないよ(笑)」
テ「適切なコメントが僕には出てきませんが(笑)」
志「俺にも出てこない(笑)ずっとこうなんだもの、対談を見せたかったよ、おまえに(笑)」
桃太郎さんが、すごく面白い方だとは知っていましたが、生の会話も妙に楽しい。

10月5日(金)  飯塚
明日から始まる、鶴瓶のらくだツアーのため、嘉穂劇場へ。鉄九郎社中、総勢八名なんですが、羽田から行くのは四人。あとの四人はさまざまな場所から嘉穂劇場に向かいます。なんかゲームみたい。今は博多から、嘉穂劇場のある飯塚に移動中。羽田空港での朝ごはんは麻婆豆腐丼。あたしゃ、麻婆豆腐が大好き。

10月6日(土)  飯塚〜函館
昨日、五時から九時まで舞台稽古。鉄九郎社中が揃っているので、あたしゃ音楽監督をつとめる。ははは、生意気だー。舞台をつくり上げてくのって楽しいったらない。
フジテレビのHさんAさんと飲む。数時間後(6日朝)「めざましどようび」のお天気コーナーを飯塚からやるという。お天気のお姉さんと会いたかったが、6時すぎに福岡空港に向かう。羽田空港から函館行きに乗り換えるころ、嘉穂劇場は、初日が開場したころだ。
函館のY師匠は、大事な大事な私の師匠で、今日は師匠の仕事で函館にやってきた。
Y「お腹減ってるね、ご飯食べて、○○に行って、▲▲に顔だすよ。で、今夜の曲さらってね、で、ホテル行きなさい。お休みくださいよ、いいね、疲れた顔してるよ。で、四時にきてね」
もう、気持ちのいい仕切りで、その通りに進む。
三時にホテルにチェックイン。15分仮眠。師匠んとこで着替えて出発。師匠のお弟子さんのお仕事のパーティ。お弟子さんのサポートして弾いて、しばらくしたら鉄九郎さん、なんかやってくれと言われている。ははーん、そのために函館に呼ばれたのだなぁ。さてなにしよ。ま、師匠もいることだし、なんかしよ。
Y「なにすんのさ、やだよ、急にこれ弾けっていうの、やだよ、ね、わかってるね」
はいはい。さてはて、20分くらいやりましたかな、もっとかな?三味線弾いて喋ってね、喜んでもらえたと、たぶん。
Y「どうする?遊び行くかい?」
テ「今日は、お風呂入って寝ますわ」
Y「はい、わかったよ。函館の空気吸ってね、よく寝るんだよ」
プラプラとホテルまで函館の空気吸って歩く。気持ちがいいわい。
嘉穂劇場から電話がかかってくる。初日、昼夜無事にすんだということ。ご苦労様、過酷な状況の中、みんなよくやってくれた、お疲れさま。さて、寝よう。

10月7日(日)  函館
今日はフロントの電話で起こされるまで寝て、ブラブラとY師匠のお稽古場に。お弟子さんのお稽古始まっていて、元気な師匠だなぁと感心する。僕も稽古をつけてもらう。「三味線を弾く」ってことの難しさ、長唄の奥の深さ、そしてなにより楽しさを学ぶ。
最終前の飛行機に乗る。東京は湿気があることに気がつく。ほんに、函館は良い気候だっただなぁと、このとき初めて気がつく。
さて、帰ってきた。明日は、ほんとの僕の師匠、芸の父親、鉄十郎師匠のお通夜。長男の忠次郎と段取りをする。いない間にいろんな荷物が届いている。全て本公演のためのもの。時間は過ぎて行く。

10月8日(祝)  鉄十郎師匠と27年
大学三年・20歳の時に内弟子に入りました。27年前のこと。師匠が46歳の時だった。今の僕より一つ下。長唄の「な」の字も知らないで入っていった僕に、いろいろ教えるのは大変だったと思う。「まぁ、暇があったら弾いてなさい」くらいかな。カバン持ちで仕事についていくが、なんにも気がつかない僕は、楽屋に入って師匠の支度をしたあとは、ボッとしているだけだった。なーんも気が利かない。気が利かないっていうよりはつっぱっていた。「お茶が飲みたきゃ自分でいれなさい。あたしゃ、女中さんじゃないんだから」みたいな。ひどい弟子だねどーも。師匠も「しょうがねぇなぁ」という気持ちだったんだと思う。仕事が終わると、みんなを連れて飲みに行く。何軒も。そこで、カラオケ歌わされたりもする。イヤだったなぁ。でも楽しかった。三年間、内弟子をして、その後二年間、近所に住んで通い弟子していた。20代前半は師匠とべったりだったわけだ。ただただ毎日に追われ、なーーんもしなかった。三味線もろくに弾けないし、礼儀も知らないまんまの五年間だった。
師匠は五年前くらいから「伝の会本公演」にレギュラーとして出てくれることになって、スゴイ唄聞かせてくれていた。伝の会のお客様はみんな師匠のファンだった。フリートークは笑いの渦だった。昨年の11月末に癌の摘出手術をした。それから二ヵ月半後の「伝の会本公演」に出演が決まっていたが、誰もが無理だと思った。師匠は「大丈夫」と言った。無理もさせたくなかったが、師匠が言うのだからとしかたがない。本公演初日「蜘蛛拍子舞」のタテ唄で見事に復帰した。考えられない。胃と腸と摘出してガリガリになったのに、あんなに立派に唄いきるなんて。今までどおりの唄声とボリューム。イヤ、酒とタバコをやめたから、今まで以上にキレイな声だった。その後のフリートークの時、目を真っ赤にそめていた。ご自分でも、ちゃんと唄えるかは不安だったのだろう。それから、三月の末には、師匠主催の会をやり、五月には徳島での松永会でも唄い、七月末には札幌でも唄った。最後まで唄っていた人生だった。幸せだったと思う。まだ、生きたかっただろうけど、つらかったろうけど、最後まで唄えて良かった。
今週の土曜日「伝の会秋の本公演」に師匠の名前があります。72歳、大病したけど、まだまだがんばるんだという思いを込めて「木賊刈」を唄うことになっている。一人で唄って、師匠の次男の忠一郎と僕とで弾いて。二月に見事に復帰した師匠だからか。 余命はわかっていたんだけど、今週の土曜日には唄うと思っていた。伝の会のお客様の前で。満員の紀尾井ホールの舞台に立ってもらいたかった。「アツシ、こんなにたくさん入ってくれて良かったなぁ。みなさん、これからも邦さんとアツシをよろしくお願いいたします。」と言ってもらいたかった。ま、でも、もういいやね。ここまで師匠、がんばったんだから。よく師匠は言ってた。「アツシは俺のとこだったからやっていけたんだ」と。僕はよく言ってました。「師匠は僕みたいな弟子だったから育てることができたんだ」と。僕が20歳の時からの父親。よく本当の親子に間違えられた。そう思っている人もたくさんいる。ま、親子であることは間違いないので。

10月9日(火) 
雨がパラパラ降る中、師匠鉄十郎の告別式へ。昨日今日とたくさんの方に送られて、タキシード姿で写っている師匠はうれしそうだった。寂しさはだんだんやってくるだろう。家に帰ってきてゴロンと横になる。
どれくらい寝たんだろうか?電話で起きた。「鶴瓶のらくだ」の製作からだった。実は「鶴瓶のらくだ」は全国八ヶ所で公演を行うことになっている。そのうち、鉄九郎社中が関わるのは四ヶ所。つまり、僕らの関わるバージョンとそうでないバージョンが存在するのだ。そして、僕らの関わらないバージョンの公演が、13日に金丸座である。関わらないはずなのだが、「ちょっとご相談なんですけど・・・」という電話。こういうのはうれしい。だって、鉄九郎社中が関わった公演が、好意的に受け入れられたってことだもの。いくらでもアイデアは出るんだけど、なににせよ、日が迫っている。しかも、僕は、「伝の会本公演」の当日だし。「うーーーん、ちょっと努力してみます」と電話を切ると、しばらくしてやはり違う方から電話が来た。これがまた、「鶴瓶のらくだ」の製作の違う方からの相談。それも、ちょっと時間がなぁぁぁ、でもなんとかしたいなぁ。今までも乗り越えたんだから、今回も行けるかなぁぁぁ。うーーん、なんとかしたーーーい。と、電話を切ると、ついに、「あ、鶴瓶です」かかってきますナァ、ひゃはっ、うれしいねぇどーも。こないだの嘉穂劇場、たいそう気に入ってくれたらしい。うれしい。スゴイスゴイと言ってくれた。で、最後に
鶴「あ、でね、あのぅ、たのんますよ、ホンマ。たのんます」
テ「はい」
わっっっ!! 「はい」って言っちゃったジャン。どの口が?ワイの口が。♪いーーちゃたぁ、いっちゃったぁぁ。ワーイの口が言っちゃったぁぁ。どーしよ、どぉーしよぉ、しーらないぞ、しらないぞっ。いーろんなとこに、でーんわをかけまくろーー♪わーー。明日からは「伝の会本公演」のことだけ考えていけると思ったのにーーー。ぐわんばるぞーーーーっ!!!

10月10日(水) 
最終リハーサルと書いてありますが、私どもで言う、いわゆる「下浚い」というやつで。何回か稽古はあったのですが、アタクシ、見事に出席できずにいました、主催者なのに・・・・。イカンですね。国立稽古場で「黒塚」と「俄獅子」とをやりました。あとは本番です。
そのあと、打ち合わせ。一度帰ってきて、夜、ヒロキ(忠次郎)宅へ。忠次郎君は鉄十郎師匠の長男です。で、「木賊刈」を稽古して、帰宅。
猫のトイレが新しくなった。今まで使っていたやつをキレイに洗ってマサキ(忠一郎)ん家へ運ぶ。忠一郎くんは鉄十郎師匠の次男です。国立稽古場で会い、忠次郎宅で会い、今日三度目の遭遇です。自分の父親の告別式の翌日に、猫のトイレが運び込まれるとは・・・。
本公演まであと三日よん。

10月11日(木) 
起きられない・・・・電話。
ふにゃ、「鶴瓶さん」と出ている。
ニャッ!!
テ「もしもし」
鶴「いました?」
もう、僕に電話するときには名乗らないぞ、そこがうれしい。用件から入る(志の輔さんもそう)。
テ「いないのです。最後の人の連絡待ちではあるのですが、今日の昼までがリミットだと思ってます」
鶴「そりゃ、しゃあないわなぁ、はははは、やっぱそうやろなぁ」
鶴瓶さんの第一希望がかなえられないと決まったので、次の手を打つことにした。
鶴「ふむ、ほな、そのせんでいきましょか」
はいな。さぁ、次の手にかかります。電話かけたりかかってきたり、ヤンヤヤンヤの騒ぎです。本公演の打ち合わせやら確認の電話もかかってきます。頭ん中は、「本公演」と「鶴瓶のらくだ」で行ったりきたり、それに、11/3の松山の公演で「二人椀久」を踊っていただくのです。その練習のことも決めなきゃいけない。今日がタイムリミット、やりとりやりとり。ま、忙しぶってますが、楽しいのです。メチャメチャ楽しい。

10月12日(水) 
ゴミ収集の日、稽古場からも45リットルのゴミ袋がゴミ集めの場所に持って行かれる。今までゴミ袋があったところが、なんかシューッとする。気持ちがいいですな。でね、新しいゴミ袋をすぐに出して用意すればいいんだけどね、なんとなく、その行為が出来ないのね。「次にゴミが出たときにゴミ袋だせばいいじゃん」って思ってるのね。で、次にゴミがでると、「ホラ、ゴミが出たんだからゴミ袋出しなよ」って、頭のどこかでは言ってる。でもね、くずかごに捨てるんです。「まだ、くずかごに入るじゃん、くずかごに入らないくらい大きなゴミが出たときにゴミ袋だそうよ」って、頭ん中で言ってる。で、大きなゴミがでるじゃん。「さ、いよいよ、ゴミ袋を出すんだぞ」となりますね。そこで、僕は何をするかというと、大きなゴミをくずかごに入るくらいに小さくする作業をする。俺は何と戦っているんだろ?

10月13日(土)  伝の会秋の本公演
まずは、いらしていただいたお客様ありがとうございました。そして、チケットを買おうとしてくださった方々、行ってやろうと思ってくださった皆様感謝しております。先ほど、無事に終わりました。唄方、囃子方、三味線方、多くの仲間とともに、出来たことはとてもうれしかったです。「黒塚」では、筝の白木さん、尺八の善養寺さんと11年振りの共演も出来ました。「木賊刈」を唄う予定の鉄十郎師匠はロビーで写真となって居てくれました。長男の忠次郎くんが、立派に父親の穴を埋めてくれました。みさなまに感謝です。

10月14日(日) 京都太秦
昨日の興奮もさめやらぬまま、始発の新幹線に乗って京都太秦へ。東映のお正月作品「茶々 -天涯の貴妃(おんな)- 」という作品に出演のために京都太秦に行っていたが正解です(はなからクイズにしてないやないの)。実は、獅童くんが徳川家康役で出演している映画なのです。それで、「あんたも行ってらっしゃい」と送りだされたわけなのです。ただ、僕のスケジュールがあまりにもめちゃくちゃなので、本来の役とは違った役になりました。なにせ、一日で撮れる役にしなければならないのですから。それで、毛利勝永という役になりました。なーんにも知らない僕は、毛利勝永というのは、架空の人物だと思っていたわけです。無理やりこさえた、セリフもないことだし。だんだん撮影していくうちに仲良くなった、エキストラにきていた戦国時代がメッチャ好きなのお方に、「マツナガさんの役は・・・・」と、説明してもらい、大変な人物だと認識したわけです。三味線弾かないですよ、演技してますよ。おもしろかったですよ。とにかく、本公演の翌朝、ボーっとした状態で始発の新幹線に乗り、初めて行った太秦。プロデューサーの方が待っていてくれ、すごく丁重にもてなしてくださいました。なんのことはない、ただのエキストラにそんなにまでしてくれなくても良いという丁重さで。いや、うれしかったですけど。獅童くんの力って。楽しい一日でした、チャンチャン

10月16日(火)  松山
昨日は一日稽古日でした。
今朝飛行機に乗って松山に来ましたよ。全校生徒が21人という、五明小学校で伝の会。みんなで給食食べました。16日に松山で伝の会学校シリーズを。五明小学校、全校生徒21名の可愛い学校。給食食べて旭中学校へ。ここは、全校生徒142名。中学生ってませててイヤなんだけど、純粋な皆で良かったってホッとしたのです。三味線を触らしてあげた女の子に「将来なんになるんですか?」と聞いたら「ゆくゆくは鑑識の方を」と答えが返ってきた。私、ツボでした。いや、スゴイよ。彼女スゴイ。おそるべし中学三年生。愛媛のCATVがずっと着いて回っていた。この場面は撮ってたかなぁ?放送したのを見て見たい。
夜は、偉い人たちとおいしい魚料理を食べる。22時に解散。スゴイ、やっと、たっぷり寝られる。と思いきや、ワタシの部屋に邦さんとデンキチが来て、打ち合わせが始まった。そりゃそうだ、イヤっと言うほど仕事がある。打ち合わせだって、今夜しなかったら何時するんだいってイキオイだ。伝の会の11月は松山の公演と大阪の公演がある。もう迫っているのだ。話ても話しても足りない。それでも12時には終了。よっしゃーー、寝るぞーーーい。明日は10時に起きりゃぁいいんだーーーっ。

10月17日(水)  松山
10時30分出発。伊台小学校へ。「伊台」と聞いたとき「医大」だと思ってしまい、医大付属の小学校だと思ってしまった。ここは、五・六年生91名が対象でした。

10月18日(木) 京都 
京都の稽古に。なんか、すっかり、もう、京都は、日帰りが、定着した。なんでも慣れればなんともないものだなぁ、と。新幹線の中でも熟睡できるし。ただ、ここんとこ自宅にいる時間が極端に少ないので、自宅でやるべきことを他所いって考えている。そうしないと自宅での作業がおっつかないうちに、外へ出ることになる。自宅に帰っているのか、自宅に行ってるのかが微妙になってきたぞ。明日も早くから出るので、手際良く自宅で仕事して就寝。

10月19日(金)  浅草
昨日、高熱で倒れていたカミさんも元気になり(ほんとか?)、仕事に出かける。地下鉄に乗り、一緒に途中まで行く。地下鉄の中で、お互いの情報交換を。僕が向かった先は、リバーサイドスポーサセンター。浅草ですね。行ったことがないとこだからと、鶯谷から車で向かう。あっと言う間に到着。
運「つきましたよ」
テ「え?」
運「ここですよ」
テ「え?ここ?イメージと違うなぁ」
運「ははは、どんなイメージを持ってたんですか?」
テ「だって、ここ、来たことあるもん」
運「じゃ、良かったじゃないですか、ははは」
そうなのである。最初に中村座をやったときに、中村座の小屋を作った隣の施設だった。 よく知っているとこだ。11月の日舞のリサイタルのしたざらい。邦さんと一緒。合間合間に、伝の会の打ち合わせ。もう、来年の二月の本公演のことも決めなければならない。仕事終わって、邦さんの車で僕ん家へ。25日の伝の会浜松編でやる新曲を稽古する。むずかしーーーーっ。でも、稽古してよかった。だって、この曲、とっっっても難しいってことがわかったから。その浜松の公演が載っている新聞が来た。19日の夜八時。雨降ってきた。着物とお三味線持って地下鉄に乗って青山へ。11月の松山でやる「二人椀久」のツボ合わせ(リハのリハみたいな)。(花柳)翫一さんと(七々扇)左惠さんに踊ってもらう。左惠さんは、同い年で僕の踊りの先生。2002年に「棒しばり」を踊ったときに10ヶ月みっちりと稽古をつけてくれた恩人。 翫一さんは、その時「指導」ということで何度もお稽古していただいた。つまり、僕にとっては両師匠なわけです。胸を借りて「椀久」を弾かせていただくのです。うれしいことです。

10月20日(土) 
今日は稽古日。ずーっとお弟子さんのお稽古していました。おさらい会「てんの会」も12月に迫ってきましたからね。あと一ヶ月ちょいとなのです。

10月21日(日)  志の輔らくご 新宿明治安田生命ホール
うむ。安田ってここだよな。と、思ってしまうほど久々の安田の会だ。ま、二ヶ月振りなんですけど。しかし、この二ヶ月は濃かった。志の輔さん、本多があり国立大があり。僕も個人的にいろいろやった。まるで、一年が過ぎたようだ。安田の前にきたら、どっかで見たようなおじさんがデッキ足元に置いて、頭抱えていた。今日は14時開演なので、お昼のNHKニュースを録音しながらネタを考えている、ザ・松元ヒロさん、その人でした。
わーーい、ヒロさーーん、一服しましょーーーーっ!
ヒロさんは禁煙中。
いつもの楽屋。志の輔さん登場。いつもの安田の会が始まろうとしていた。
テ「はい、お呼びで」
志「あ、俺でるから『梅咲き』じゃないやつ弾いて」
テ「へーい」
いつもは、お弟子さんが出て、志の輔さんが出る形。時々、最初から志の輔さんの時がある。 それって、いつ決まるのか?。本番直前に決まるのです。ほんっとに直前。はい、もう、慣れました、今日も楽しい安田の会でした。打ち上げも陽気でした。僕らも陽気。来年のパルコの話もしました。ドキドキしてきたぞーー。鉄九郎社中は関わるのか?関わらないのか?

10月23日(火)  志の輔らくご浜松
7時の新幹線に乗ると、志の輔さんがいて、一緒に浜松にきました。ゴルフ場です。志の輔さん子供みたいにはしゃいでます。私、ゴルフデビューなのです。ドキドキするよー。志の輔さんたちとゴルフをすることになったのですが、さすがに、初心者が入ってご迷惑をかけるといけないということで、志の輔さんの次の組でまわることになっていました。お弟子さんでもあるU社長とS社長。この二人が、ああだこうだとコーチしてくれながらのラウンドです。最初の印象。「ドライバーって軽い」とにかく、七番アイアンしか振ったことがないんですから。やっていくうちに、だんだんわかってきて楽しくなってきました。そりゃそうですな、こんなに見守ってもらいながらやってるんですから、楽しくならなかったらアホですな。
時々、前の組の志の輔さんも気にしてくれてます。「ナイスショットッ」とか「おお、それでいい」とか言ってくれます。キャディさんが、「そろそろ当たるこですから、これ使ってください」とクラブを渡してくれるのには笑いましたな。
ハーフのあと食事。いやぁ、ビールのおいしいことったらない。18ホール終わったらクタクタになるのかと思ったら元気元気。お風呂入って落語会会場のフォルテへ。ラーメン食べて会場入り。浜松での志の輔らくごは23回を重ねている。僕が弾きますよ、出囃子。
ただ、今夜はちょいと志の輔さんを喜ばせようと、二挺のお三味線で弾こうと思ってたのです。こっそり鉄六を呼んでました。案の定、メチャメチャ喜んでくれ上機嫌の独演会でした。終演後、浜松の僕のお弟子さんたちとも談笑してくれ、志の輔さんは最終の新幹線で帰っていきます。考えてみたら、志の輔さん日帰りなんだな。
志「お前は泊まりか?」
テ「はい」
志「稽古して帰るのか」
テ「はい、明後日伝の会ですし」
志「あ、そっか・・・・えっ、三日も泊まってくのか?」
テ「はい、26日に帰京して、そのまま巣鴨の会ですね」
志「へーー、なんだよそれぇ、三日も泊まれるのかよー」
テ「ありがとうございました」
志「おお、とにかく六(鉄六)連れて帰るから(笑)お前はもう東京に帰ってこなくていいから(笑)」
テ「それではみんなで志の輔師匠をバンザイで見送りいたしましょ」
志「うるさいっ!するなっ!」
このあと、私は浜松のお弟子さんたちの待つ、ウマイ焼き鳥屋さんに行き、おいしいお酒を飲みました。

10月24日(水)  浜松
「初めてのゴルフの翌日はマッサージに行ってらっしゃい」という浜松のお弟子さんたちの意見で、これまた、生れて初めてマッサージなるものに連れて行っていただきました。足裏マッサージだとか、肩をもまれるとかはありますが、全身マッサージは初めて。ドキドキでしたが、一時間たっぷりとやってもらい、心地よくなりました。
そして稽古。そうなのです、今日は浜松の稽古日なのです。15時開始。機嫌よくやってたんですが、だんだん調子が悪くなってきました。寒気がしてきてクシャミが出始めて・・・・・。途中で風邪薬やら栄養剤やらを投与して続行。マッサージでほぐされた身体が休息を求めているってな感じ。食事もそこそこに、22時に就寝。

10月25日(木)  伝の会浜松編
10時起床。なんと12時間寝た。結果は元気。風邪もひいてないし、身体も痛くない。良かった良かった。やっぱり睡眠は大事だなぁ。
午後から邦さんと合流して、伝の会の稽古。今日、新曲をやることになっている。というのも、浜松で昔からオセワになっている方が、伝の会のために曲を書いてくれた。それを、ご当地浜松で発表したいと思ったのだ。こころざしは立派だが、この曲がメッチャクチャ難しい。なかなか、身体に入ってこない。
19時開演。楽器博物館のホール。思えば12〜3年前に伝の会をやったとこである。懐かしい。。。。200人という人たちが集まってくれた。演奏していて気持ちの良いホールだった。感謝感謝。
邦さんが最終で帰るというので、一昨日の志の輔さんの時のように、駅まで送る。そしてまた、僕はお弟子さんたちが待つ美笠に行き、「おつかれさまーー」を。

10月26日(金)  志の輔らくご 庚申塚
さっき横になったと思ったら、もう目覚ましが鳴った。シャワー浴びる。伝の会事務局と化している所へ行き荷造りを… するのでなく指図を。(生意気だー!いつからそんな生意気になったんだー!)ま、とにかく感謝して浜松駅へ…送ってもらう。(生意気だー!前から言おうと思っていたが、生意気すぎるぞー!)新幹線に乗り熟睡。あっという間に東京駅。危うく降りそこなうとこだった(終点だろ)自宅に帰り、雑用を。ああ、自宅稽古場にも事務の人が欲しい。(生意気だー!いい加減、腹立ってきたぞー!何様だー!)
支度をして出かける。
ああ、荷物が重い。
カバン持ちが欲しい。(…)
ああ、欲しい。(…)
あれ?
カッコ、なんか言わないのか?
「生意気だー!」みたいのは?
(…)
コラッ!シーンとするなぁ。カッコがつかないと、ものすごく俺が生意気なやつみたいだろ!ん、エヘン!
皆様に感謝しながら帰宅して、また着物と三味線を持って出かける。三味線と着物を持つということは、お仕事があるということだ、イヤイヤ、ありがたいなぁ。今日も頑張るぞー。
庚申塚スタジオフォーへ。雨ですなぁ。小降りだったので傘無しで出てきちゃった。先日、立川流に九人の二つ目さんが誕生した。今日は、そのうちの昼夜で二人ずつ、都合四人がゲスト。で、通りがかった、(寒空)はだかさんも来てる。
テ「どういう感じで行きます?」
志「えっと、まず弟子が出て、俺が出てらく里、談大と出て、はだかで俺だな。よーし、今日は数で勝負だぞー(笑)出囃子もたくさん聞けるぞー(笑)」
昼の部、賑々しく終了。
テ「ラーメン食べたくなっちゃったから、ちょっと行こうよ」
六「え?今、志の輔師匠が広東麺を3つとってましたよ。一つは師匠(鉄九郎)のじゃないですか?」
テ「え?だったらうれしいなぁ、でもそんなわけないだろう。でも、もしもってことがあるからな、お弁当食べて待ってよっか、へへへ」
しばらくすると、
志「おーい、はだかくーん、テッツァーン」
は・テ「モゴモゴ、はーい」
志「弁当食べてんのかー?良かったら…」
テ「はーい」
志「いや、テツクロはいい、はだかくーん」
テ「はーい」
志「だからテツクロは弁当食べてろっ!」
おいしい広東麺でした。

夜の部
志「えっと、弟子が出て、俺が出て、談奈くんと、えっと…」
立川キウイ「僕ですよ、昼からずっといるんですから忘れないでください(笑)」
志「あ、そうそう、キウイキウイ。もう、溶け込んじゃうからさぁ、わかんなかったよぉ(笑)」
キ「どういう意味ですかっ。溶け込むって(笑)」
テ「で、はだかさんで師匠ですね」
志「はい(笑)」
夜の部も無事に終演。巣鴨の打ち上げ、久しぶりだなぁ。お客様も交えての打ち上げなんですがね、お客さまとお会いするのも久しぶりってな感じ。ま、会ってるんですけど、ちょくちょく。 そうじゃなくて、お客様と一緒に飲むってことがね、久しぶりで。楽しかったです。

10月27日(土)  東海村と歌舞伎座
朝の6時すぎに邦さんが迎えに来てくれた。常磐自動車道を100キロくらい行った東海村へ。途中から結構な大降りになってきた。東海村のコミュニティセンターで一時間の伝の会をやる。今日明日で4公演。10時30分のステージが終わり、次のコミュニティセンターに移動。昼ごはんもそこそこに昼寝する。すっきりして、もう一ステージ。無事終了。
今夜はホテル泊まりになっているが、僕は通いにした。その理由は、今日明日と「鶴瓶のらくだ」が歌舞伎座であるから。責任者としてね、やっぱ、いかなきゃね。鶴瓶さんにも会いたいし。 東海村から特急に乗り上野経由で歌舞伎座へ。どうやら台風らしく、ジャンジャン降りだわ。花道から出てくる鶴瓶さんに感激。かっこいいー。感動の終演後。
鶴「おお、テッチャンこれたんか」
テ「はい、一席目あたりから観られました」
鶴「そうかいな。いやぁとってもいいですよぉ、お囃子さんたち」
テ「そうですか、ああ、良かった」
鶴「しかし、アンタ、忙しすぎでっせー」
すると、勘三郎丈登場。
僕らは楽屋を出て、鉄九郎社中と乾杯して帰宅。帰りは雨もやんでいた。

10月28日(日)  東海村と鶴瓶さん
台風は通り過ぎて、良い天気となった。さて、東海村にどうやって行こうか?六時すぎ上野発の電車で行こうと思っていたが、車で行くことにした。気持ちの良い朝である。道も空いている。ただ、眠い。眠いのはいけませんよ。SAで昼寝。30分くらい寝たかしらん。すっきりしたところで、再び走行。うーむ、お腹が減った。SAでおそば。よっしゃあ、これでいいぞ、走行。まもなく東海村というところで再び睡魔が。まったく忙しい100キロだぜぃ。再び昼寝。10分チャージですっきりした。
コミュニティセンターに到着。昨日泊まった、ウチの社長と邦さん。二人で早くから遅くまで飲んだのであろう。社長はともかく、邦さんシンドイらしい。そりゃそうだろーなぁ。一ステージやって、違うコミュニティセンターへ移動。おそば屋さんで昼ごはんの後、ぐっすり昼寝。あたしゃ、何度目の昼寝じゃい。
無事終演して、いざ歌舞伎座へ。スイスイ走れるし、この調子だと「鶴瓶のらくだ」開演60分後くらいにつきそうだ、しめしめ。でも、途中で睡魔が。仕方が無い、SAで昼寝。気がついたら60分くらい寝ていたらしい。うす暗くなっていた。それでもまだ大丈夫さ。時間はたっぷりある。三郷から首都高になる。渋滞。え?ま、大丈夫だ、ちょっとだけだろ。たっぷりだった。5キロ走るのに一時間。ムムム。着いたら終演後10分くらいだった。鉄九郎社中の皆様には会えたが、鶴瓶さんと会えない。ま、仕方が無いかと車に乗って帰宅に向かったところにフジテレビのAちゃんから電話。
テ「志の輔さん、昼の部に来たんですってねぇ」
A「おっ、情報が早いですねぇ。鉄九郎さん、今どこに?」
テ「ああ、さっき歌舞伎座に着いたんですけど、皆帰っちゃってる感じなんで帰ろうかと」
A「いやいや、今鶴瓶師匠も楽屋にいますよ」
テ「おやっっっ!!」
ということで歌舞伎座に引き返す。ちょうど楽屋口で鶴瓶さんとバッタリ。
鶴「おおー、テッチャン。よかったでぇ、バッチリやでぇ」
テ「良かったーーっ」
鶴「な、ちょっと打ち上げいくから、な」
テ「へーーい」
車を駐車場に入れて、打ち上げに参加。もうみなさん飲んでいた。
鶴「ああ、テッツァーン、ここややここ」
テ「あ、はい」
鶴「ま、一杯」
テ「あ、車なんですわ、残念」
鶴「なにっ!おーーい、みんなー、テッツァンに飲ましたらあかんでー。ウーロン茶ウーロン茶。飲ましたらアカンアカン」
めっちゃめちゃキッチリ仕切っている。笑瓶さんもいるぞーー。師弟だ師弟だーーー。 どんな風に師匠と接しているんだろう。興味津々。プロデューサーのKさんと鶴瓶さんといろんな話できた。いやいや、来て良かったぞーっ。帰宅はやっぱり午前さま。

10月29日(月) 
うー眠い。午前中、久しぶりに家にいるので、雑用雑用。銀行行ったり郵便局行ったり。お昼になると出かける。国立劇場の稽古場へ。
4日に松山で、伝の会が案内する「古きよき芝居舞踊・長唄・黒御簾音楽の世界」というのをやる。今日は長唄と舞踊の下ざらい。長唄は「勧進帳」を邦さんのタテで、僕は舞踊の「二人椀久」をやらせてもらう。踊っていただく花柳翫一さんと七々扇左惠さんは、大好きな師匠たち。良い舞台が出来ること間違いなしなのだ。めずらしく夕方に家に戻った。お風呂入って、今日を終えてしまおうかと思ったが、なんだかんだとしているうちにいつもの時間に。

10月30日(火)  長唄協会旅行会
むーー眠い。朝、八時すぎの羽田空港。今日明日で今月が終わる。なんとあわただしい月であったことか。しかも、その忙しかった月の最後を飾るのが今日明日の「長唄協会旅行会」って。アタシャ、忙しいんだか、時間があるんだかわからんぜ。27年、長唄協会に所属しているが、旅行会に行くのは、もちろん初めて。大抵、偉いお師匠さんたちが行くのですよ。会長・副会長をはじめ役員の人たちがね。いや、あくまでもイメージですよ。ただ、今回の旅行会はウチの家元(松永忠五郎師)が仕切ってるのですな、で、どっかで一緒に飲んだときに
家「アツシも来いよな」
テ「はい」
の会話で決まってしまったのですね。
第一ターミナルの待ち合わせの場所に行くと、すでに、偉いお師匠さんたちが揃っておりました。僕はまだ電源オフ状態です。
家「アツシ、今晩の宴会のことだけどな、○○してな▲▲が××になるから、で、飲み物が■■だから、その間をうまく見て◎◎をやりたいんだよ、だから◇◇さんを引っ張り出すからな◆$△%◎○◇×&%◆%・・・・・・・・な、だからお前が司会やれ、なんかおもしろいことしゃべってさ、な」
目が覚めないうちにお酒飲まされちゃった感じ。二日酔いになりそうな。なにも、朝一番に宴会の話をしなくても良いものだが。飛行機に乗ると、途端に寝てしまったらしく目がさめたら神戸に着いてた。
家「よく寝てたな。昨日遅かったのか?」
テ「そうでもないんですが、まあ」
家「飲み歩いてんだな。俺は最近行かなくなったなぁ」
遠い目をする家元。かわいいけど。 アタシャ、飲み歩いてないって。この決め付け方が実に家元らしい。
神戸空港から観光バスに乗り換え、新神戸駅に行きました。 東京からの新幹線組参加者の方たち、大阪・神戸から参加の方たちと合流して、総勢45人の「長唄 協会ご一行様」の出来上がりです。ここから徳島の鳴門を目指すのですな。」
観光バスというものに数十年振りに乗りました。バスガイドさんがずーっと話してくださる。神戸から橋渡って淡路島通って徳島へのコースってのは、ワタクシ、イヤっていうほど通っているのです。そのコースの名所やなにやかやを丁寧に説明してくださるガイドさん、これは新鮮です。だって神戸に住んでる人が「へぇ、そういうことやったんかぁ」と驚いていましたから。アタシャ、バスに乗ったら、とにかく寝ようと思っていたのに、一生懸命、話を聞いていました。
淡路島に渡りましてね、大鳴門橋記念館に来ました。淡路人形浄瑠璃館で人形浄瑠璃を観ました。「いやぁ感動したわぁ」と神戸から参加の我が流派の師匠たちと雑談しながら会場を後にする私たち。古典芸能の世界にどっぷりつかっていて、一般の方たちよりはこういう古典のものに詳しいしなじみがあるのに、なんで観光バスで来ると、こんなにも盛り上がれるのだろうか?16時ちょい前に宿泊先のエクシブ鳴門に到着です。ここ着たことあります。泊まったことあります。好きです、ここ。今夜はゆっくり眠るつもりでいるのです。ここで合流する人たちもいます。ま、全員、松永の人ですが。さらに人数が増えて、総勢6、70人になるのですな。和寿三郎くんも合流。とにかく家元と三人でお風呂に行って、宴会の段取りをして、18時の宴会に備え部屋でビールを飲み始めます。ワタクシ、この時点で酔っ払ってしまいました。
家「アツシは昨日飲み歩いてたから、酒がでてきちゃったんだよ」
いやいや、家元、違いまんがな。決め付けたらアカンって。アタシね、多分ね、このところ疲れがたまってんだと思いまっせ。今夜はそれほど持ちませんぜ、アタシャ。と、声に出して言えないくらいまわってしまいました。
いざ宴会。いろんな芸があって、気がつくとアタシは阿波踊りの太鼓を叩いていました。それから二次会三次会となり、「もう寝ます」と言ったのは・・・。

10月31日(水)  鳴門〜淡路〜神戸〜東京
テ「なんですか?」
家「七時だよ」
テ「えっ」
家「まだ寝てていいぞ、コイツ(和寿三郎)とメシ食ってくるから」
テ「あ、おきますおきます」
和「まだ、寝てていいですよ」
家「何時に寝たんだ?」
和「二時くらいだったと思いますけど」
テ「シャワー浴びてきますから」
家「ゆっくり来い」
シャワーを浴びたら目が覚めた。二日酔いではないらしい。結構結構。シャトルバスに乗って朝食会場へ。素晴らしい眺め。これで気持ちが悪いわけがない。
八時半に出発。今日のメインは鳴門のうず潮を見ること。車の中からは観たことがあるが、歩いて見るのです。「渦の道」ってのがありましてね、高速の下に歩道があって途中までいけるんですね。 こんなに空が広く見えるなんて。気持ちが良いわーーー。
新神戸で大阪・新幹線組とお別れして、我ら12人は神戸空港へ。出発までは結構な時間があったので、家元と焼酎のみながら天ぷらを。
テ「あれが僕らの乗る飛行機ですかね?」
家「そうだろな」
店「夕焼けがとてもキレイですよ今」
家「ああ、きれいだね」
テ「ホッとしますね」
家「今夜はガクッと寝れるだろうな」
テ「ゆっくり休んでくださいね」
家「お前は忙しいのか?」
テ「いいえ、明後日松山に行きますけど」
家「えっ!じゃ残ってれば良かったじゃないか」
テ「明日は稽古日なんです」
家「そっか、じゃ、しょうがないな」
テ「天ぷらでお腹いっぱいになっちゃいましたわ」
家「俺もだ、そばもらうか?」
テ「もうやめときます」
家「そうだな、俺もやめとこ」
テ「夕焼けあっと言う間でしたね」
家「もう暗くなってきちゃったな」
テ「酔っ払っちゃいましたよ」
家「そば焼酎はな、クックッ入ってっちゃうからな、あぶねーんだ」
テ「よく寝れるわ」
家「お前は、ほんっと飛行機でよく寝るな」
テ「おかげさまで」
家「お前がさっき買った週刊誌、俺に渡しとけ、どうせ読まないんだから」
家元が仕切った長唄協会旅行会も好評のうちに終わり、家元もホッとしたことだろう。
この頃、新宿末広亭ではヒロさんや志の輔さんや、立川の家元が高座にあがってるんだなぁ・・・などと思いながら、飛行機に乗ったわけで。

実は、3日の午前0時すぎに、師匠鉄十郎が亡くなった。書こうか書かないかは迷ったんだけど。。。何人かの知人の方たちからも、そのことを知って、メッセージをいただいたりしているので、内緒にするつもりはなく、かといって。。ファンの方たちにお伝えしないと。
師匠は愛されてました。闘病生活をしていたので、急ということではないのですが、それでも、急なことで13日の伝の会本公演の出演者でもあったわけで。ファンの方たちに、師匠の唄を聴いてもらえないことは非常に残念なことで。今はそれだけです。ただただ、師匠が亡くなったということだけをお伝えいたします。72歳でした。イノシシ年でした。

前へ 伝の会TOP 戻る