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鉄九郎の青?裸々な日常 第15号


ロシア編(序幕・発端)
1999年9月14日〜9月15日(たった二日でこのボリューム)

「歌舞伎ワークショップ」ロシア公演(9月14日〜9月24日)とは
前進座・西宮小夜子(舞踊)さん、藤間多寿彰(舞踊)さん、杵屋五功次(長唄)さん、杵屋邦寿(長唄三味線)さん、松永鉄九郎(長唄三味線)、乙部順子(製作)さん、窪田丈和(舞台監督)さん、高久照敏(舞台監督助手)さん、という8人にタチアナ・リハチョハ(現地通訳)さんを加えたたった9人でデモンストレーション(舞踊公演)とワークショップ(歌舞伎教室的なもの)という公演をハバロスク、ウラジオストーク、モスクワで、計6回の公演をするという企画。

 そもそもの発端は、今年の春頃だったろうか、ニヤニヤしながら邦さんが僕に、
「アツシ、9月14日から24日ぐらいまで空いてないか?」
「“ぐらい”って言うのが気になるな、ちょっと手帳見てみるわ・・・あっ、残念だなー、ひとつ仕事がはいってるよ、またこの次の機会に、そいじゃー」
「ちょっと待てよ、なんとかならないか、二人じゃないとダメなんだよ。」
「エーッ、まあ、俺じゃなきゃいけないの?、どうしても俺じゃないとと言うんなら、まあ、なんとかするか。」
「いやーっ、たすかるよ、アッちゃん。移動とか予算の都合で、お前じゃないとな。」
「な、なんだってー、それでいったい何の仕事なの?」
「うん、舞踊だよ」
「舞踊。長い期間だね、どっか地方へ行くのかい?」
「あー、ちょっとロシアでも行こうかなって」
「ハハハ、またー、冗談じゃなくってさ、ね、どこっ、どこ行くの、南の方かいっ、いいねあったかくて、えっ、違うの。じゃあ北の方かいっ、いいね、そばがうまくて、えっ、もうちょっと北?、いよっ、北海道。待ってました。いいねー、いきやしょダンナ。えっ、海外?、海外なの?。へーへー、よござんすよ、パスポートあるし、あんまり長時間飛行機に乗らないとこがいいですね。」
「だからロシアだって」
「えーっ、ロ、ロシアっ」
「その代わり飛行機乗ってる時間は短いぞ、北陸からあっと言う間だ」
「ほ、北陸ー」
ってなことで、いつしか僕の知らないところで話はトントンと進んでいった。
 間近になり、スケジュール表が手元に届いたとき、ツアーの本当の出発日は13日であること、 14日に出発するのは僕と邦さんのたった二人であること。なおかつ、二人でハバロスクまでたどり着かなくちゃ行けないこと。そればかりか13時間も列車に乗らなくてはいけないことなどなど、僕を驚かすには充分すぎるほどの要素が入っていた。
 おまけにこの仕事を引き受けた途端に、この期間内に仕事が3つ4つ入った。もちろん体が二つあるわけでもなく、全部断わったのだが・・・。廻りの人からは「今、ロシアは危ないから充分に気を付けてね」とか「ロ、ロシアに行くんですかー、帰って来れますか?」とか「無事で帰って来てください」さらに「生きて帰って来てくださいね」とか。オイオイそんなに大変なとこなのかよーと、気の弱い僕はドキドキしてきた次第で。なんだかイヤーな予感がしてきたものの、東京でのリハーサルを重ね、ミーティングをし、国際交流基金の方々の話などを聞くうちに、「なーんだ、全然平気じゃん」という気持ちにだんだんなってきた。なにせプラス思考の僕である。
「えっ、13時間も列車に乗ると言っても寝台個室ですか、なんだ寝てればいいじゃん、平気平気」
 「車掌さんだからと言っても気軽に信じちゃいけませんよって。大丈夫大丈夫、」
 「トイレに便座がないことがありますよって。はいはい、大丈夫大丈夫、便座がついてることもあるんでしょっ」
 「トイレットペーパーは殆どついてませんよって。平気平気、トイレットペーパーのついてるトイレを見つけたら、めっけもんと思えばいいんでしょっ」
 「ホテルの部屋に荷物を出しっ放しにすると不用心ですよって。大丈夫大丈夫、いつもスーツケースに入れて鍵しめとけばいいんでしょ、部屋が広く使えていいじゃない。」
 「英語が殆ど通じないですからって。平気平気、こっちもしゃべれないんだから。」
 「それから・・・いやっ、もういいですよ。だ、大丈夫ですから、と、とにかく、邦さんと僕がウラジオストーク空港に着いたら、ウラジオストークの日本領事館の人に、ただちに僕たちを見つけてもらって、まちがいのなくハバロスクに行く列車に乗せてもらってハバロスクに着いたら、ハバロスクの日本領事館の方に素早く僕たちを見つけてもらって、みんなのとこに、いいですか、余所に連れて行っちゃいけませんよ、西宮さんたちのいる僕らの一行に合流させてくださいよ、くれぐれも。ぼ、僕はなんにも心配してませんから、ねー、く、邦さん」
 「う、うん」


9月14日
 9:00a.m. 邦さんと僕はANA803便にて富山へ向かうために羽田空港にいた。 羽田空港の手荷物検査とは相性が悪く、ここ何年もピンポーンと鳴っている。今日も財 布・鍵の束・携帯電話・たばこ・ライター・小銭・ペットボトルとホルダー・ポールペ ン・ノートetc・・と、ポケットに入っている、ありとあらゆる物で山盛りのトレイをこ しらえたあと通過するが“ピンポーン”とご陽気な音が鳴った。
 搭乗口に向かっていると“そは”と書いた暖簾がみえる。「ヤッター、邦さんちょっと 食べてこ」「えーっ、しょうがないなー、一杯だけだぞー、へへへ」と勇んで駆け寄る が“準備中”の札が。「うちのめされたな」「ったく、準備中だったら暖簾もしまっと けよ」「まーまーアツシ、機内でなんかでるよ」「いやっ、俺はそばが食べたいんだよ 。だって邦さん、10日間食べられないんだよ」「えっうそっ、ないかなー立ち食い」 「あるわけねーだろー」
 9:30a.m.(ANA803)10:30a.m.富山空港着。国際線乗り場に行って、なんか食べようと思 い、国際線のビルに行くが、あれっ、しまっている、やってないの?今日は休み?ま、 まさかー、あっそうか、まだ時間が早いんだ、んなアホな、国際線ってそんな時々しか 出てないの?んー、どうりで小さなビルだと思った。さてどうしようか。ま、富山市街 にでも行くか。日本通運(空港ビルの隣)で、送ったスーツケースが届いているかを確 認し、三味線と手荷物をコインロッカーに預け、いざタクシー乗り場へ。「運転手さん 、ちょっと賑やかなとこに行ってください。」「デパートがあるようなとこ」「ダイエ ーとかトポスとか」「トポスって邦さんっ」「あっ、ダイエーならありますよ」「ほら アツシ言ってみるもんだろ。そのそばに立ち食いとかありますかね」「さあー」「あり がとう邦さん、もういいよ、立ち食いそばはあきらめるから」「いやっ、俺が食べたい んだよ」
 11:30a.m. ダイエー着。僕は普段腕時計をしないが、海外に行くときには腕時計があっ た方が便利と思い、してきたのだが、時計の電池が切れていて使い物にならない。2,000 円くらいの安い腕時計を買って行こうかなー、と思い時計コーナーをウロウロしている と「アツシ、そんな高い時計をかうのか?」「えっ、2,000円ぐらいのだよ」「馬鹿だな ー、お前東京じゃしないんだから、そんな高いの買ったってしょうがないだろー」「だ ってダイエーだから安いだろ」「素人だな、あのなー、こういうとこにはな、必ずファ ンシーショップとか100円コーナーがあるんだよ、ちょっと来いよ」・・・「あっ、ある あるここ安いよ、1000円で売ってるよ」「まだまだ、もっと安く売ってるはずだ」「あ っ、500円で売ってる」「なっ、はやまんなくて良かったろ」「う、うん。あんた、何か のプロだね」「お前はなにしても似合うなー。いいよドナルドダックの時計」「・・・ 」
 近くの中華料理店でランチを食べるとちょうど良い時間となり、富山空港に戻る。
 1:20p.m. こじんまりとした国際空港の待合室で待っていると同乗するであろうと思わ れる人達がポツポツとやってきた。そう“ポツポツ”なんです。なんといっても僕らの 乗るウラジオストーク行・アエロフロートXF#883便は、なんと20人乗りの飛行 機。
 2:40p.m.無事離陸。機内は真ん中の通路を挟んで2列ずつに椅子が並び、なぜか一番前 の1列目の席だけが後ろ向で2列目と向かいあわせになっており、間にはテーブルが置 いてある。乗客は13人、スチュワーデスも一人同乗している。出国もなんだか拍子抜 けするくらい簡単なもんだったし、こんな(失礼)小型機でひょこっと飛んだら、そこ はもう海外なんて、ちょっとヘンな気持ちだ。外国に行くときは成田から出国するもん だと漠然と思っていた。出国イコール成田、飛行機イコールジャンボジェットという先 入観があったことに気づいた。いつのまにか便利で快適な生活に慣れてしまい、先入観 に犯されている頭の中、いかんなーこれは。
 二時間半の飛行でウラジオストーク着。見よう見真似で税関を無事抜けると、ウラジオ ストーク在日本総領事館の覚張(がくはり)さんが出迎えてくれた。いやー、もうこの 人に会えたらオーケー、黙っていても僕らをウラジオストーク駅まで連れて行ってくれ て、ハバロスクを通る列車に乗せてくれるのだ。ヤッター。 ウラジオストーク駅近くまで車で一時間くらい走る。成田〜東京という感じかな。走っ てる車を見ると、どれも見たような車ばかり。聞くところによると9割近くが日本車と いうことで、中には「◇◇水産」とか「○○会社」とペインティングされたままの車も 多数走っていて、なんだか妙。
 ハバロスクに行く列車は0:05発で、それまでにはまだ随分と時間がある(時差が2時間 プラスなので、ただ今20:00くらい)。覚張さんに、ここでほったらかしにされたらと心 配していたが、ちゃんと僕らを列車に乗せるまで、お付き合いしてくださるということ 。ホッとするね。「どっかでお茶飲んだり食事したりしましょうか」ということになり 、ヒュンダイホテルへ。ドルからルーブルに両替をしなければならないが、あいにくホ テルの両替所は終わっていた。しかし心配するなかれ、ガードマンのお兄ちゃんが個人 的に両替してくれた。50ドルが1200ルーブルに、相場も悪くなかった。さて、ホ テルのレストランに落ち着き、ビールを飲みはじめたら、もう動きたくなくなって、「 出発までここにいましょう」ということになった。「じゃあなんか食べよう」と思った 僕は「プルコギ」の文字をメニョーの中に見つけた。「プルコギって韓国料理の?」「 ええ、このホテルは韓国資本なんです。それに韓国とも近いし、韓国料理はけっこうあ ります」へーっ、こりゃいいや。さっそく注文。これがメッチャおいしい。なんか定食 になってんだけど、ごはんもすっごくおいしいし、キムチも良い。韓国料理好きの僕は 、「ここから離れたくない」と叫んでいた。なんか結構三人の会話は盛り上がり(覚張さんが気をつかったのかも)、気が付けば出 発の時間が迫っていた。
 ウラジオストーク駅で水を買い、列車(たぶんロシア号という のだろう)に乗り込む。二人部屋の寝台個室は、普通の寝台車を個室にしたような感じ。
 さて、問題がひとつある。覚張さんのおかげで無事、我々はハバロスクに行く列車に 乗ることはできたのだけれども、あくまでも「ハバロスクに行く」というだけで、「ハ バロスク行き」の列車ではないということだ。えっ、まわりくどいでしょうが、大事な ことなんです。この列車はモスクワ行きの列車で“僕らはハバロスクで降りなければな らない”ということだ。「えっ、降りたらいいじゃない。」誰だっ、そんなことを言っ た奴は。自慢じゃないが、邦さんと僕はロシア語が話せないばかりか全く読めない。え ー読めませんとも。アルファベットに似ているだけに、なんだか余計にわかんないです 。あっ、私、見栄を張っていました。英語だってしゃべれません。邦さんだってニコニ コるだけで、語学に関しちゃ、なーんにも頼りにならないただの陽気な日本人です。ど ーすんのよ。“ハバロスクに着いた”ということを僕らはどうやって知るのよ。駅に着 いたらカタカナで「ハバロスク」って書いてあんのかよ。そうは書いてないということ ぐらいは僕らでもわかるよ。そこで覚張さんがいうには、「ハバロスクというロシア語 の綴りは“X”から始まるんです。“X”から始まる駅名だったら降りてください」「 ハ、ハイっ、わかりました。でもそれだけじゃ不安なので車掌さんにハバロスクに着い たら“ドンドンドンドン”とノックをしてくれるように頼んで下さい。必ずノックする ようにって。グスン」と気が付けば、涙声で覚張さんに懇願していた。人の良い覚張さ んは出発前に車掌さんをつかまえて伝えていたようだ。ノックするジェスチャーを繰り 返している覚張さんと、「ウンウン、わかったわかった、そなにくどく言わなくたって 大丈夫だよ、はいはい」とうなずく車掌(車掌さんはみな女性だった)さんを遠目に見 て、ちょっとホッとした。
 覚張「また二日後に会いましょう」
 鉄九郎「みんなとうまく合流できたらウラジオストークに戻ってきますよー」
 邦寿「ウラジオストークに一行が到着したとき、僕らがいなかったらモスクワまでいっ ちゃったと思ってくださいねー」
列車は無事出発した。13時間でハバロスクに着くらしい。列車は結構揺れるが寝つき の良い僕らはアッという間に眠りにはいった。

9月15日(水)
 12時近くに起床。邦さんは早くから起きていたらしい。窓の外は、なんと言 ったらいいんだろう、“広大な大地”としか言えないような、ずーっとずーっと地平線 まで見えるのに木とか草とかの他は何にもない。「すごい景色だね」「おお、こんなの が何時間も続いてるんだぜ」「へー」。僕らの持っている日程表によると、13時34分に ハバロスク着となっている。13時を過ぎると町並みが見えて来て列車の速度がグッと落 ちてきた。オイオイ、早いじゃないか、もう着くのかな。あわてて支度をし、いつでも 降りられる準備で待っていたが、なかなか止まらない。13時34分になっても止まらない 。「オイオイ、ハバロスク、過ぎちゃったんじゃないの」「んなわけないだろう」なん だか不安になってきた。僕が起きてからは駅に止まってないし、それ以前に止まってた としても邦さんが目をさらのように「X、エックス」とつぶやきながら駅名を確認して たろうから、降り損なってるんじゃないんだろうな。じゃあ、遅れてんのかなあ。それ にしちゃ、こんなにチンタラ走ってるのが気になる。そんなこんなで1時間も走ったろ うか、他のお客さんたちが降りる支度を始めたり、車掌さんが切符を返しに来た(乗車 したときに車掌さんが切符を持っていっていた)ことで、単に列車が遅れていることに 気が付いた。
 14時40分、駅名は「X」から始まっていたことを確認。無事ハバロスクに 到着。「ねえ邦さん、これモスクワまでいくんでしょう。ハバロスクまでで1時間以上 遅れてたら、5日間くらいかかるモスクワに着くまでには随分と遅れるんだろうね」「 おおかた、2、3日は遅れるんじゃねえのか」と軽口が出るほど、余裕がでてきた。
 在ハバロスク日本総領事館の人達(本池武司副領事ほか)が迎えに来てくれた。予定表 によると僕と邦さんは“ハバロスク着のあと、ホテルにチェックインしてから会場に向 かう”とあるが、本池さん曰く「列車が遅れてしまったので、ホテルに行かずに直接会 場にいらしてくださいと言うことなので、このまま直行いたします。」と有無を言わせ ない言葉。えーっ、シャワー(13日に自宅でお風呂入ったきり)も着替えもできないの。 と、ブツブツ言いながらも車は一路ミュージカル・コメディ劇場へ向かう。実は一行は 、この劇場で昨日、ワークショップを一回やっている(三味線がなくたってできちゃう んだぜ)。まあなんとかワークショップは出来ても、デモンストレーションは舞踊たっ ぷり(黒髪・吾妻八景・連獅子)なので長唄三味線がなければ、とうてい幕が明けられ るはずもなく、みんなは邦寿と鉄九郎が一刻も早く元気な顔を見せてくれることを心待 ちにしているのだろう。しょうがねーか、まっ俺たちが来るのを今か今かと待ちわびて いるんだろうからな。いや、心待ちにしていてくれなければイヤじゃ。心待ちにしてい てくれよ。だってシャワーも浴びず楽屋入りするんだぜ。俺たちゃハバロスクに“乗り 打ち”なんだぜー。
 さて一行は僕たちを心待ちにしていてくれるのだろうか。つづく

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