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鉄九郎の青?裸々な日常 第16号


ロシア公演編(その2)

1999年9月15日〜12月26日(今回はかなり長編だぞ)

注:「歌舞伎ワークショップ」ロシア公演(9月14日〜9月24日)とは 前進座・西宮小夜子さん(舞踊)、藤間多寿彰さん(舞踊)、杵屋五功次さん(長唄、愛称アオちゃん)、杵屋邦寿さん(長唄三味線)、松永鉄九郎(長唄三味線)、乙部順子さん(製作)、窪田丈和さん(舞台監督)、高久照敏さん(舞台監督助手)、という8人にタチアナ・リハチョハ(現地通訳)さんを加えたたった9人でデモンストレーション(舞踊公演)とワークショップ(歌舞伎教室的なもの)という公演をハバロ スク、ウラジオストーク、モスクワで、計6回の公演をするという企画。

9月15日(水)のつづき
 バタバタバタ「いやーっ」「よーっ」ガラガラガラガラ「あーっ、着いたねー」「はい」ドカドカドカ「大丈夫だったー」「えーなんとか」「無事でしたかー」「あっ、ご心配をどーも」・・・歓声はつづく。ガラガラ「あー着いた着いた、良かったねー」「あっどうも」「てつくろーちゃーん、この人が通訳のタチアナさーん」ピタッ「あっ、はじめまして」ゴロゴロガタガタ「五功次さんが心配してたよ」「あっ、アオちゃん一人で気の毒しました」「五功次さんが心細いから早く来るようにって騒いでたよー」ドガドガゴロゴロ「えーっ、なにー、アオちゃんが淋しいからというだけで、俺たちゃ乗り打ちかー、こらーっ、アオちゃーん、どこだ、隠れるなー、おまえのせいで俺たちゃ、風呂なしだぞー、こらーっ」ドラガドガラガ・・「あっ鉄九郎さんっ、おはようございます。無事に着いたんですね」「オッ、アオちゃん、あっおはよう、なんだいもう紋付着てんの?あーそうか、淋しかったんだな、こんなに早くから支度しちゃって、うんうん、心配してたんだな、うんうん、大丈夫、もう着いたから、邦さんも一緒だから、もう心配ないから、うん、昨夜は淋しかったろーなー、役者や大道具の連中は冷たいだろっ、うんうんわかるわかる、やっぱ長唄連中でつるんでなきゃーな、おーっヨシヨシ、恋しくて、こんなに早くに紋付着ちゃったのか」「いやっ、あの、やることなくて」「ガクッ」
 邦さんがとにかく浚いたいというので、話もそこそこに「黒髪」「吾妻八景」「連獅子」を楽屋で浚う。僕といえば、なんか物珍しくてウロウロしてみる。「なんか照明が暗いね」「えー、こっちはなんか暗いみたいっスよ」「てつくろちゃん、公演が終わった直後に昨日停電したのよ。私たちが電気いっぱい使いすぎちゃったみたい」「えーっ、電気ないの?」「そうじゃなくてもともと照明は暗いのよ、ホラこっち人はみんな目が青いでしょ、だから明るいのが苦手なのよ」わかったようなわかんないようなことを言われたが、なんかこのうす暗いというのは、活気がなくていけない。
 舞台に行ってみるとやはりうす暗い中で窪田と高久がターニャ(通訳)をつけて現地の舞台関係の人達とやり合っていた。「窪田ちゃん、現地スタッフとうまくコミニケーションとれてるか?」「なんっとも言えませんねー」「なんだい、大丈夫なの」「いやっ、大変っスよ、いかんともしがたいですよ」確かに大変で。だって日本からの舞台関係者は窪田と高久の二人だけで、あとは各会場のスタッフに全てをやってもらわなくちゃいけない。できればあまり仕事をしたくないと考えている(たぶん)現地スタッフを動かすのは、いや動いていただくのは、こりゃ大変な苦労があることだろう。  そんな中、なんとか状態が整いリハーサル開始。リハーサルが終わると領事館からサンドイッチの差し入れが来た。うれしいーねー。水の2リットルペットボトルもあり、ホッとする。とにかくあたしゃ水だから。今、一日6〜8リットルはへーきで飲むから。気温は日本より10度くらい低いといわれていたんだけど、せいぜい5度マイナスという感じ。聞くとこによればこっちはこのところ暖かいらしい。楽屋のトイレはトイレットペーパーはもちろん便座もない(聞いていたとおり)。うちのメンバーの誰かさんは、しゃがんだらお尻がズボッとはまってしまったらしい。あたりまえだよね、と大笑いはしたものの、ハテ、ではどうやって用を足したら良いのだろう、と真剣に考えてしまった。
 6:30p.m.「歌舞伎デモンストレーション」開演。まず「黒髪」は、西宮小夜子さんの立方で邦さんの(なんと)弾き語り、日本のお客さんにも聴かせたいね。多寿彰さんの「吾妻八景」はアオ(五功次)ちゃんの独吟で、邦さん立三味線、僕が上調子。
 さてさて、お次はなんと邦さんと僕、つまり伝の会の20分ステージなのです。えっ、やりましたよ、日本と同じように、通訳つきで、ウケたウケた、「ハラショーハラショー」よ。最初はシーンと聴いてるから、ダメかと思ってたら、弾き終わったあとの拍手喝采ったらすごい。思わず「スパシーバ(ありがとう)」と叫んでました。
 休憩のあと小夜子さんと多寿彰さんの「連獅子」。アオちゃんの独吟で邦さんと僕の三味線。さて皆さん、この2時間の公演でずーっと出演してるのは誰でしょう?そうです、邦さんですよ、アータ、出ずっぱりとはこのことを言う。「なんだい、邦さんのオンステージだね」と言ったのは僕だけではないはずです。
 公演が終了するとレセプション(たぶん日本領事館主催)。驚いたことに日本語を勉強している人の多いこと。こんな席だからとも思ったが、そうでもないらしい。ロシアの人達(特に若者)はとても日本に興味を持っていて、すごく好意的なんだそうだ。ちょっとうれしいやね。
 レセプションもおひらきになり、みんながハバロスクの公演が成功したことに酔いしれながら、楽屋を片付けているころ、邦さんと僕は、「これでやっとホテルに行って風呂に入れると」ワクワクしていた。ホテルインツーリスト511号室。フロントでチェックインを済ますと、カードをもらう。エレベーターに乗って5階、降りるとテーブルがあり、おばさんが一人座ってる。カードを渡すと引き換えに511号室のキーを渡してくれる。なにやら秘密めいているが、これで安全が守られているのだろう。クタクタに疲れてるはずなのに、窪田と高久に「ちょっと飲みに行きましょう」と誘われ、「B52」というディスコへ。ビール二杯飲んだら流石に「グタッ」と来たので、先に帰る。

9月16日(木)
 9:00a.m.起床。テレビをつけると日本のBS7とBS11が写る。こりゃ気が利いてるね、ニュースもやってるし、録画で流してんのかな?・・しばし考える。時差を考えるとどうも“生”のようだ。えっ、どういうこと?ひょっとしてアンテナ立てるとBSが入るのかな?まさかー。そのことを朝食の時に話したら、ほんとだった。入っちゃうんだって。近いんだね。
 12:00p.m.出発。お世話になった総領事館に挨拶に行く。14日の公演の時、テレビ局が撮っていたらしく、ニュースで流れてたらしい。そのビデオを見たり記念写真撮ったり(なかなかか総領事館の中で写真は撮れないでしょう、日の丸バックに)と和やかにすごす。お稽古をしたいという邦さんを総領事館に残し、僕 らは観光へ。「羽衣」を上演するというパントマイムの劇場に行く。伝の会なんかやるのにピッタリなすてきな小空間だった。僕のことを“立派な”音楽家だと思ってくれてるようで、音楽的なことをいろいろな人が話てくれた。「僕の音楽を聴いてください」と言ってMDをくれた人がいた。なんか俺、ミュージシャンみたいじゃん。
 2:30p.m.ロシア料理「クローンダイク」で昼食を。邦さんと会う。「なんだい、お稽古してたんじゃないの」「いやっ、領事館のこの人が食事どうですかって言うんで、ちょっと来たんだよ」「ちょっとって、ビール飲んでるじゃないの」郷土自然博物館をちょこっと覗き、アムール川を近くで見て、市場に寄る。海産物と野菜とかも売ってるが、とにかく「いくら」と「キャビア」ですな。まー安いわ安いわ。でも安いというだけです。ついでに「TOKYO PLAZA」というおみやげ屋にまで寄る。ここは高いだけ。邦さんを迎えに再び総領事館へ行き、ハバロスク駅へ。
 7:10p.m.の列車に乗る。そうですよ、昨日乗ったあの列車ですよ。二人一組で個室に入る。どうしたよいのかとオロオロする他のメンバーと違って、すっかり慣れてる僕らは、スーツケースの置き場所や、シーツと枕カバーの違いなどを教えてまわる。へんなの。みんなでワイワイやりながら過ごしていると、駅に止まった。ホームで土地の人がいろんなものを売っているのだ。暗くて良くわからないが(ホームに電灯がない)ピロシキ、ギョーザ、くだもの、ジュース、よくわかんないもの等を売っている。ただ、食べ物 は作ったまんま、というか保温していないので、みんな冷たいのだ。なんか暖かいものが食べたいんだけどなー。

9月17日(金)
 8:56a.m.ウラジオストーク着。覚張さんと再会。良かった良かった。ベルサイユホテルへ。まーきれいなホテルで、美術館のようなロビー、ビデオ撮影していたら、「ここはダメっすよ」とロシア語で言われた。郷土民族博物館のウクライナ展示コーナーというところでアンサンブルトラディションというショーをやっている方たちが、特別に僕たちだけのためにやってくれるというので、一行で出掛ける。ウクライナ地方の昔の人達の衣裳をつけ、風俗を紹介し、唄い踊るというもので、観客の僕たちも次々とひっぱり出され踊りを踊る。それがまた「花いちもんめ」の激しいような踊りで、グルグルまわるわで、体力がついていかない。その中で、結婚式の儀式があって、男の人をということで僕が選ばれ、三々九度のキツーイウォッカを飲まされ、その後またグルグル踊り。目の前が真っ白になった。最後に日本の音楽ということで、邦さんと三味線を弾くサービスをする。あー楽しかった。
 モスクワからサーカスが来ているというので(今日が初日)、見に行く。サーカスっていうものを初めて見た。感激した。観客の子供たちもキラキラした目で一心に見ている。領事館がとってくれた特別席でポップコーンをほお張りながら子供の頃に誰もが戻っていた。
 夕食は中華。10人で(一行8人と領事館の覚張さんと山本さん)行く。言葉のわからないところでの食事は、注文するまでが大変だ。覚張さんと山本さんがメニューを訳し、あとの8人で、それがいいとかどうだとかを議論する。まわりのお客さんは「よくしゃべる奴らがきたぞ」とか思ってるんだろうな。

9月18日(土)
 12:00p.m.ゴーリキードラマ劇場へ。1000人位の良い劇場だ。デモンストレーションの最後にみんなでトロイカや、花笠音頭などを演奏するんだけど、今日は楽屋にバラライカが届いた。僕がバラライカでアオちゃんが僕の三味線を弾き 、邦さんが木のレンゲみたいなものを打って唄う、という画期的なアンサンブルが組まれた。ここが日本なら「なにをしてんだ」ということになりそうだが、なんだかとてもノッてしまい、楽しい思いをさせてもらった。今夜はホテルのレストランで邦さんとアオちゃんとのんびりする。

9月19日(日)
 ベルサイユホテル409号室は、とても快適な部屋だ。テレビに関しても、ハバロスクではBSが写っていたが、ここではなんとWOWWOWまで写ってしまう。12:00p.m.出発。ゴーリキードラマ劇場へ入る。今日はワークショップの日。綿密なリハーサルが始まる。歌舞伎の立役と女形の歩き方、扇の使い方、刀の使い方、立ち回り(本番では舞台に10人くらい上げて、実際にいろいろやらせてみる)などなど、小夜子さん多寿彰さんの独壇場。窪田と高久もツケとか析で登場する。アオちゃんも司会進行役をうまくこなしている。通訳のターニャも大忙し。僕らのいなかった14日のハバロスクでの公演で、段取りがすっかり出来上がっているようだ。そのため、デモンストレーションに比べれば、グッと出演時間が少ない邦さんと僕は、手持ち無沙汰で楽屋と舞台をブラブラする。忙しい合間に休憩しているターニャを掴まえて、邦さんと二人で涙が出るほど笑わせたりと、迷惑なことだ。
 6:00p.m.すぎ開演。「誰か舞台に上がって参加してください」と言うと、すっごい人数が舞台に向かって突進してくる。すごい出たがり(良い意味で)の民族。「じゃあ、あなたとあなた」と小夜子さんが指名すると、指名されなかった人達もこっそり上がってきてしまう始末(ハバロスクでもそうだったらしい)。舞台はとても盛り上がった。伝の会のコーナーも僕のバラライカも受けた。終演後にはサインをしたり写真を撮ったりと、大変な騒ぎ。しかし、こっちの子供や10代の女の子は美しい。作り物のような美しさ。「一緒に写真を撮って下さい」とか言って(たぶんそう言ってるんだと思う)そばにくるんだけど、「僕にも焼きましして」と言いたくなる。
 夕食は領事館の方たちにグルジア料理に連れていってもらう。赤ワインとウォッカをふんだんに飲まされ(こちらの人達には普通の量なんでしょう)、あっと言う間につぶされ、宴半ばにしてホテルに連れ帰ってもらう。情けナ。夜中、目が覚める。あー気持ちワル。でもそんなにひどくもないので、お風呂にゆっくり入って改めて寝る。みんなはどうしたのかなー。

9月20日
 12:00p.m.一行は、覚張さんと山本さんに付き添われて、ウラジオストークの空港にいた。二日酔いは免れた僕だったが、ここまで来る(約一時間)バスですっかり酔ってしまい、気持ちワル(来る途中、荷物を積んであるもうひとつのバスがパンクするというアクシデントもあった)。いよいよ覚張さんたちともお別れだがロクロク挨拶もできずに飛行機に乗り込む。
 12:40p.m.いよいよモスクワに向け離陸。約二時間の旅は隣に座ったロシア人との身振り手振りの会話で終始した。モスクワ時間9:00a.m.無事モスクワに到着。在ロシア日本大使館・広報文化部の栗原毅さんが出迎えにきてくれる。なかなかの好青年。
 ホテルへ向かう町並みは今までとは打って変わって大都会。ヨーロッパの大都市に来たみたいだ。日本でいうと丸の内あたりになるのだろうか、大きな外務省のビルが見えるゴールデンリングスイスダイアモンドホテル(1720号室)は超一流のホテルだった。
 ターニャはモスクワ大学の先生なので、もちろんモスクワに住んでいる。「帰って来た」という感じなんだろう。とてもうれしそうに案内をしてくれる。「モスクワは何でもあります。そば屋さんもあります。」この一言を言ったために、僕らをそば屋へ案内するハメになった。天麩羅そばと握り寿司でビール。他のメンバーが会場へ行ったのをいいことに昼間っから、邦さんとアオちゃんと僕は良いご機嫌になる(体内時計は夕方)。
部屋に帰って昼寝、昼寝、昼寝・・・ああ、なんと幸せなことか・・・
9:00p.m.電話がなる。会場から戻って来たメンバーが夕食に行くという。栗原さんの案内でオルリョーノックのアミューズメントストア内の中華屋さんに。ホテルへの帰り道、バスの中から見る夜景がものすごくきれい。モスクワって(悪いが)閑散としているとこだと思っていたが、この四、五年で大きく変わったらしい。ディズニーランドのエレクトリックパレードのようなイルミネーションにバスを降り、しばし見とれる。

9月21日(火)
ハープの生演奏が聴こえるレストランでオムレツとコーヒーという朝食をとり、紋付・袴姿に着替え出発。
11:00a.m.記者会見。主に新聞雑誌なんだろうな。
1:00p.m.マーラヤブロンナヤ劇場着。2:00p.m.からでないと仕込みができないという悪条件だったが、タケちゃん(窪田)とテル坊ちゃん(高久)、そしてターニャ(通訳)のがんばりで、夜デモンストレーションの幕を開けることがてきた。
 ここでも僕のためにバラライカがあたりまえのように用意されていた。このときの模様は栗田里佳さんのレポートでどうぞ。
終演後、大使館主催のレセプションが行われ、ホテルに帰る。多寿彰さんが今夜を最後に一足先に帰国するので、ホテルのバーで一杯飲む。無事帰国してくださいね。

9月22日(水)
 朝食を食べ、部屋に帰り二時間くらいお風呂にはいり、昼寝。あー幸せ、こんなんで良いのだろうかー。
 2:00p.m.楽屋入り。今夜が最後のステージになる。と、呑気にもしていられない。というのは、今夜はワークショップ。役者二人で立ち回りをしなければならない。今まで小夜子さんと多寿彰さんがやっていた(役者は二人しきゃいないんだから当然)。しかし、多寿彰さんは、夕方帰国するのです。えっ、誰が立役をやるの?。ここで我らが邦さんの登場。なにせ小夜子さんと前進座養成所の同期、もちろん立ち回りの稽古をしていたはず。邦さんは、多寿彰さんと小夜子さんにみっちり稽古をしてもらう。その他のコーナーでもほとんど邦さんは出ずっぱり、三味線なんか弾いてる暇はないという騒ぎ。いいっすよ、僕一人で三味線弾きますから。
 5:00p.m.大使館の方に連れられ、多寿彰さんが楽屋を後にした。「気をつけてねー」「一人でさみしいだろうけどがんばって帰ってねー」「無事にかえるんだぞー」「乗り継ぎ大丈夫ー」「しっかりねー」「まちがえたら大変だよー」「何がおこるかわかんないからねー」オイオイ失礼な。多寿彰さん、それじゃなくても不安なんだから・・・とかなんとかご陽気に見送って「サア稽古稽古」といいながら邦さんは立ち回りの稽古を始めた。
 開演時間になっても始まる気配がなく不思議に思っていると、暴動が起きてるという。
「暴動」って何?どういうこと?なんか事件でも起こったの?聞いてみると、なんでもお客さんが入りきれなくて騒いでるらしいとのこと。どうやら昨日の記者会見と昨日の公演の評判が評判をよんだらしい。
 開演時間を30分すぎても始まらないので、お客さんに申し訳ないと、小夜子さんが舞台幕前に出て唄を唄い始めた。じゃあワシらも行こうか、ということになり、椀久のたまを弾く。バカウケ。そうこうしてるうちに幕が開いた。ワークショップは大成功。
 11:00p.m.コレアハウス(韓国料理)で打ち上げ。大使館からはイデさんと栗原さんが出席。いやーおつかれおつかれ、みんなよくがんばったよな。しかし、韓国料理はうまいなー。プルコギに始まったロシアの食事は、再びプルコギを食べることで終わった。ところで、ロシアに来てからはずっとロシアのバルチカビールというビールを飲んでました。なかなかおいしかった。今夜も随分といただきました。飲みながら思った。無事に六回(邦さんと僕は五回)の公演を済ますことができ良かった。病人もケガ人もなかったし・・・。
 それにしても今回、一番がんばったのは窪田と高久だ。たった二人で走り回り、舞台を作り、そして各会場のスタッフを動かした。「やらなきゃしょうがないっスから」と軽く言っていたが、僕らにはわからない、気がつかない苦労が山ほどあったに違いない。イラツキもせず、いつもユーモアに溢れていた、タケちゃん(窪田)とテル坊ちゃん(高久)はサイコーのスタッフだと思う。そして彼らを通訳で支え続けたターニャ。モスクワ大学で日本語を教えている超エリートの彼女が、仕事以上に僕らに気を使い、助けてくれた。  小夜子さんのガッツは尊敬に値し、多寿彰さんのホンワカした雰囲気が僕らを和ませた。この素敵なメンバーとまた一緒に仕事がすることができるだろうかと考えたとき、ジーンとしてきた。

9月23日(木)
12:00p.m.チェックアウトを済ますと、みんなおみやげを買いにでかけた。
アオちゃん、邦さん、僕、そしてターニャと乙部さんはモスクワ音楽学院(公演を観にきたここの先生が是非学生たちに長唄の演奏を聴かせてもらえないかという申し出があった)へ。和楽器にとても興味を持っている学生たちで(琴を弾く人もいた)、楽しい時間が過ごせた。
 お茶をごちそうになり、ホテルへ戻るバスの中で、ターニャが「今日初めて、邦寿さんと鉄九郎さんの三味線をじっくりと聴かせてもらいました。今まで通訳のことばかり考えていたのでゆっくり聴くことができなかった。とてもすばらしかった。しあわせです。」と言っていた。
3:40p.m.ホテルで全員集合。「あなた何買ったの?」「キャビアいくらだった?」「そのマトリョーシカかわいいー」「あらっ、安かったのよ」「随分まけさせましたよ」云々・・・もうすっかりただの観光客。
 いざ、モスクワ空港へ。「モスクワからの出入国は最近とみに厳しくなったのでみなさん覚悟してください」と栗原さんは自らに言い聞かせるように僕たちに語った。僕らの私物プラス衣裳・鬘・大道具の20個ちかいバッゲージをひとつひとつ検査した日にゃ乗り遅れるぜ。と栗原さん始め皆が不安に思っていたが、栗原さんが大使館パスを見せたら、なんと全員ノーチェックで通れた(まあ当たり前といえば当たり前だが、栗原さんも大使館パスがこんなに効くとは思わなかったらしい)。無事出国。栗原さんも役目が終わりホッとしている様子。握手をして別れた。あとは免税店を冷やかしたり、残ったルーブルでバルチカビールを飲んだりとお決まりの振るまい。やけに東洋人が多いと思ったらパリからの乗り継ぎの日本人観光客の団体がいくつかいる。たった十日間だったが久々にたくさんの日本人をみたら、なんかヘンな感じがする。日本人に見えないのだ。目がロシア人バージョンになっていたのだろうか。
7:05p.m.離陸。サヨナラモスクワ、サヨナラロシア、スパシーバ。

9月24日(金)
 9:40a.m.成田着。そいじゃあまた、ということでメンバーは解散。解散と同時に現実がやってくる。みなそれぞれの携帯が鳴りだし、おのおのの仕事が待っている東京へ帰っていく。水を買う。高ーい、ロシアはいいなあ安くって。
 11:16a.m.僕と邦さんとタケちゃんとテル坊ちゃんは成田エキスプレスの車中で来月初旬の大東町での「伝の会vs木下伸市ライヴ」の打ち合わせ。広大な大地を走っていたロシア鉄道。それに引き換え、びっくりするほど隣接する住宅。あー東京に帰って来たなとしみじみ思う。そんなささいな驚きも、池袋に着くころには、すっかり忘れて東京人になってしまう。
 モスクワで、あんなに身近に見た夜景も、いつでも飲めたバルチカビールも、もうずっと遠く離れてしまった。すぐに来れそうだと感じていたハバロスク、ウラジオストーク、モスクワも、二度と行くことはない土地なのかも知れない。悔いはないように過ごしてきたか?手を抜かずに仕事をしてきたのか?いろいろ考えてしまうが、とにかく僕にとっては最高の仲間と一緒に仕事が出来た。素直に楽しかったと言える。出会った人達も皆良い人ばかりだった。日本人もロシア人も。今までは気にすることもなかったはずのロシアのニュースを、これからは「えっ、モスクワがどうしたって」とか言ったりするんだろうな。まあそんなこんなで、ヘンテコリンな「青裸々?な日常−ロシア編−」でしたが、長々とお付き合いありがとうございました。このまま今まで通りの「青裸々?な日常」に戻ります。

今回このめったに見られないロシアでの伝の会のパフォーマンスをご覧になった栗原さんからレポートを頂きました。ありがとうございます。
伝の会ロシア公演レポートに掲載させて頂いています。
どうぞこちらもお読み下さい。

お世話になったウラジオストク総領事館の覚張昌一さんからおたよりを頂きました。

杵屋邦寿 様
松永鉄九郎 様
 9月の公演の際は大変お世話になりました。ウラジオストク総領事館の覚張です。
ホームページを拝見させていただきました。大変面白くよくできたHPだと思います。
松永様の「鉄九郎の青?裸々な日常」を読ませて頂きましたが、皆様方のロシアへ来るまでの(来てからの)ご苦労がよくわかりました。続きを読むのが楽しみです。

 ウラジオストク総領事館では今年、色々なイベント(生け花展、凧独楽展、スピーチコンテスト等々)を行いましたが「歌舞伎公演」は最大のヒットで反響も大きかったです。ウラジオストクに留学している中日新聞の特派員も日本で大きな記事にして下さいましたし、ロシア国境警備隊、太平洋艦隊等の幹部等を公演に招待したら、「ウラジオストクで歌舞伎が見れるとは!」と大変感激して下さったと担当から聞いています。

 次回、休暇で帰国したときにでも、伝の会の公演を見に行かせて頂こうと思っています。

皆様方のご活躍を心よりお祈りしております。

帰国後 9月25日(土) 獅童くんとこのお稽古日。時差ボケはない。
9月26日(日) お稽古日。なんか久々にお弟子さんに会う感じ、うれしい。
9月27日(月) 娘がマトリョーシカがやけに気に入った様子。毎朝起きぬけに、遊んでいる。
9月29日(水) お稽古日。
9月30日(木) お稽古日。

10月1日(金)
内弟子のころからとてもお世話になっている杵屋寿介師の会が3日にあり、その下ざらい。伝の会へも3〜4年前の「東京芸術劇場」で「黒塚」をやったときにご出演していただいている。川島(佑介)さんの奥さんは寿介さんの娘さんで、2月の結婚式には邦さんと僕で司会をしたりもした。

10月2日(土)
静岡県小笠郡大東町 大東町文化会館シオーネにて、伝の会&木下伸市「平成三味線三昧 −長唄三味線VS津軽三味線−」公演当日。
 10:31発の「こだま」で掛川へ。同行者は小野木さん、木下伸市さん、茂戸藤浩司さん、松橋礼香ちゃん、そして邦さんと僕。今日は待ちに待った大東町文化会館シオーネに於いて、「平成三味線三昧 長唄三味線vs津軽三味線」公演の日。木下さんと何度も一緒に演っているうちにすっかり「木下ファン」になってしまった僕は今日を楽しみにしていた。まあ、楽しんでばかりじゃいけなくて、僕らがお客様を楽しませなくちゃいけないんだわな。
 僕らの持ち時間は45分で、だいたい間際にネタを決めることが多いのだが、なんと今回のオープニングのネタはロシア公演のワークショップでやったネタをやろうと成田エキスプレスの中で決めていた。今回の舞台監督もロシアに一緒にいった高久照敏くんなので、舞台演出面では彼に任せておけば良い。
 これがとても大事なことなんです。邦さんともよく話すんだけど、僕らのやりたいことが手に取るように分かってくれ、尚且つ、それを膨らましてくれる、気心の知れた舞台監督が伝の会には「いる」ということが僕らにとってどれだけ心強いことか。それは音響の半澤公一さんや照明の吉田充さんにも言える。僕らとお客様を結ぶこのスタッフの方々に絶大なる安心感を持って演れる僕らはなんという幸せ者か。伝の会をやっていて良かったなーとつくづく思う。
 12:23掛川着。タクシーに乗ること20分、着きました着きました、きれいな会館だなー、聞けば昨年の10月にオープンしたばかりだとか、いやーっ、そうっすか、ピカピカで良いですなー。ここで今回のスタッフをご紹介しておきましょう。舞台は高久照敏くんと伊藤中也くん。音響は半澤公一さんと鳥羽正生さん。照明は吉田充さんと柴崎純子さん。そして制作は小野木豊昭さんと森山規子ちゃん。
 14:30リハーサル開始。最近の伝の会を観てくださってる方は、アイビキ(立奏の時に足を置く台)を運んで来て、帰りにコケて笑いをとっている黒子がいることにお気づきだろうか。そうです、アイツです。アイツこそが先ほどから話に出ている高久照敏くんなのです。彼が舞台に関わっているときには必ずそういう形で僕らと絡んでいるのです。今回は雪を降らしたりアイビキやマイクのセッティングをしたりと、3度笑いを取るのです。ちょっとおいしすぎるな、アイツは。
 木下くんのリハをやっていると、邦さんがお腹がすいたといいだした。アンコールのリハが残ってるから外に出るわけにいかないので、会館の夏目さん(今回はこの人にとてもお世話になったのです)にラーメンのテイクアウトを頼んだ。なんというワガママな奴。そんなに太ってんだから少しは我慢をすれば良いのに。と言っても、言い出したら聞かないし、どうせ頼むんならひとつじゃなんだから、僕もお願いしてしまった。
 リハも終わり、オープニングにやる合方を変更する。これは良くあることで、「あれとあれをやって・・・」と二人の頭の中で決めておいて、いざリハでやってみると、しっくりいかないことがある。二人の考え不足という懸念もあるが、まあ、伝の会では良くあることなんです。
 その後ボケーッとしていたらもう開演30分前。どうやらお客様の出足も良いようだ。「おっ、いっぱい入ってるよ」「満席に近いな」「こりゃーちょっと気合入れてやるぞー」「アツシ、気合入れなくて良いから真面目にやれよ」「オメエもな」「はい」。
まずは木下くんと伝の会がおもむろに登場してのごあいさつ。木下くんが退場して伝の会のコーナーへ。舞台にはめずらしく山台と金屏風がしつらえてある。
 まずは三味線の音を聴いてもらい(大薩摩)、自然現象を表す合方ということで川、船、お化け、虫、雪と演奏する。まあ演奏というほどのこともないが、それにしてもやけに受けが良く(お化けのときには照明効果、雪の時は高久が黒子で登場し雪をふらせる。ロシアでやったやつをさらにバージョンアップしたという感じ)すっかりお客さんも馴染んでくれたようだ。「今昔廓一字」を演奏し、久々に「甚五郎泣三味線」をやる。もうクラクラする。「河」を演奏して僕らのコーナーはおしまい。あーっ、水が飲みたいー。
 休憩のあと、木下くんのステージが始まる。よく笑ったあとに木下くんのステージで感動させる、なんという運びの良さか(なんか自分で言ってるとむなしいな)。ちょっとしたアクシデントがある。実は“ちょっとし た”ではなく大変なことなんですが、出番寸前に木下くんの三味線の表革が破けた。こりゃもう、にっちもさっちもいかないので白のテープを貼ってステージに出ていった。礼香ちゃんと三味線を取っ替え引っ替えしながらのステージとなる。僕らの方ではちょくちょくあることだが、木下くんに聞いたら生まれて初めてだったらしい。そりゃ精神的にきつかったろうなあと同情した。
 木下くんのステージが終わると伝の会vs木下伸市で「古興典」を演奏。盛り上がるねー、これは。やればやるほど。茂戸藤さんと礼香ちゃんにも登場してもらい、花束もらっておしまい。
 拍手が鳴り止まないのでアンコールとなる。考えてみたら今までアンコールってやったことがない。なんでやんなかったんだろうか。いつも拍手が鳴り止んじゃうのかな?伝の会と木下くん、そして茂戸藤さんと礼香ちゃんも加わった演奏。これは興奮したな、僕らは鳴物さんが前にいるのが当然なんだけど、バンドのドラムスのように和太鼓が後ろにいて心地良いリズムを打ってくれる。わーっバンドだバンドだ。懐かしいなー。と、自分のバンド時代を思いだし、ソロを弾きながら「なんで俺、ギターじゃなくて三味線なんだろう、しかも紋付まで着て。20年前には考えもしなかったことが、今現実に起こっている。」とヒシヒシと感じてしまい、「今度はストラップにして三味線弾きながら走り回りたいなー」などと、目立ちたがりの虫まで登場する始末。
 「また会おーぜー」で幕。サイコーの夜だった。みんなは掛川泊なのだが僕と邦さんは静岡泊のため、打ち上げも早々にこだまに乗る。

10月3日(日)
 10:30a.m.東京駅着。杵屋寿介師の「寿門会」と「古典芸能に親しむ会」の当日。
伝の会の鉄九郎から三味線弾きの松永鉄九郎へ変身。これがなかなか難しいのである。どう難しいかは、うまく説明できないのだけれど、“テンション”のことなのかな、とか思う。聞けば邦さんもそうらしい。 10月4日(月) お稽古日。
10月5日(火) お稽古日。
10月7日(木)
 30日に行われる鉄十郎師の「親遊会」の打ち合わせのため師匠と会う。
10月9日(土)
 大阪の和三寛さん、和三千紘さん、和三千保さんが「和みの会」という演奏会を開く。そこで和三千紘さん(ひろこさん)と和佐比路さん(ときわさん)が伝の会の「鬼撥」を演奏したいと言ってくれた。うれしいですね。しかも一度、指導に来て下さいとのこと。「まあ指導なんていう大それたことはできないにしても、僕のスケジュールはガラアキだから行きますよ」ということで大阪へ。いつもみんなとは、ゆっくり話す機会がないので、今夜は明け方まで長唄談義や三味線談義に花が咲く。良い刺激になった。
10月10日(日)
 朝から夕方までみっちり稽古をする。ときわさんと一緒に和佐次朗さんのお墓参りをする。泣く。いきおいで徳島に行く。師匠も来ているというので「登美」「Mr.Ben」と飲み歩く。
10月11日(祝)
 7:45のエアシステムで帰京。2:00p.m.池袋の東京芸術劇場へ。邦さんの仕事の踊りの会。
10月12日(火) お稽古日。
10月13日(水) お稽古日。
10月14日(木)
 久々に髪を切りにfwdへ。二カ月に一度くらいしか美容院に行ってないな。
10月15日(金)
 お稽古日。僕の仕事が暇なせいで、しょっちゅうお稽古日だ。うちのお弟子さんは幸せだろうなと思う(ほんとはそうは思ってないかも知れないが)。僕に三味線習うことの特権は、お弟子さんの希望日・希望時間にお稽古がしてもらえるということです。
10月16日(土)
 孝次郎師、鉄十郎師、マサキ(忠一郎)と日本舞踊の会のため姫路市文化センターホールへ。ホールの楽屋口に着くと「あっ、ここ来たことがある」と思い出すことが多々ある。今回もそう。だけど、踊り(日本舞踊の地方として)で来たのか、芝居(歌舞伎の巡業)で来たのかは思い出せない。こんなことがしょっちゅうある。こういう記憶がしっかりしてる人もいるが、僕はてんでだめで、だめならいっそ、なんにも思い出さなければいいのだが、「確かにここには来たことがあるぞ、でもそれしか思い出せないぞ」という中途半端な記憶に焦れったい気になる。
 下ざらいが終わり、ホテル(ホテルサンガーデン姫路)にチェックインをしたときも「あっ、ここ泊まったことがある」と、また中途半端な記憶が・・・
10月17日(日)
本番。唄方は、孝次郎、鉄十郎、伊四太郎、和三広治、鉄郎。三味線方は勝寿治、鉄九郎、忠一郎、寿哉、勝祐輔(敬称略)。16時すぎに出番が終わり、18時前の新幹線に乗ることが出来た。かーえろ、かえろ。
10月18日(月)お稽古日
10月19日(火)お稽古日
10月20日(水)お稽古日
10月21日(木)お稽古日
10月22日(金)お稽古日
10月23日(土)獅童くんとこのお稽古日
10月24日(日)
 はーっ、わたしゃこの一週間ずっとお稽古日かい。この所、急に寒くなったりして、娘ともども風邪をひきかけたりして病院にいったりした。30日の親遊会で娘が初舞台をふむことになっていて、“風邪をひいたら大変だ”と大事にされている。
 今週ハマッたものとして、くらもちふさこの「天然コケコッコー」といマンガがある。“くらもちふさこ”知ってますよ、懐かしいですね。「天然コケコッコー」って島根県の田舎の話なんだけど、なんか病み付きになってしまって、今日は第10巻を買ってきて読んでいる。こうして、なんか突然ハマッてしまうものってありますよね(ちょっと前なら「マイブーム」とか言ったんでしょうが)。
 伝の会のお客さんたちはどんなものを聴いたり読んだり見たりしてるのかなと時々考えます。逆に言えばどんなことに興味を持ってる人が伝の会を見てくれてるのかな?ということになるんだろうけど。伝の会の公演アンケートでも、「よく読む雑誌は?」の回答のところが結構おもしろくて、「ヘーッ」とか思ったりしてる。なんかそんなコーナーもあったらおもしろいかな?。「私はこれにハマッてます」とか(まんまや)。
10月25日(月)
 「天然コケコッコー」の11巻を買いに近所のTSUTAYAに行く。二階はレンタルビデオ&CDのコーナーになっている。ふと、ボブディランがむしょうに聴きたくなった。借りてみようかな。僕の中のボブディランは1970年代でプッツリと切れている。いやっ、80年代になっても少しは触れているはずなんだけど、まるっきり記憶にないのだ。中学高校時代の多感なときに、むさぼるようにして聴いていた時の印りまみれになっているであろうレコードコレクションをそのまんま小さくしたようなものだった。どのジャケットのディランもよく知っているディランだ。当時、少ないこづかいは、全てレコード代にと消えていたっけ。ジャケットを机の前に置いてるだけでワクワクしたっけ。そんな大きかったレコードジャケットは、遠いちっぽけな思い出のように、今は小さなCDジャケットに封じ込まれている。結局、僕は「グレイテスヒット3」を借りた。僕の知ってる曲と知らない曲が半分半分のバランスだ。いいバランスだ。ディランは思い出の中だけのアイドルでは無いということを確認したかった。
10月29日(金)
「松永鉄十郎 親遊会」の下ざらい。
10月30日(土)
 娘が明け方にムクッと起きて「キョウ、ウタウノ?」と言い、「そうだよ」と答えると「ソウカー」と言ってふただび寝たそうだ。・・・・そんな三歳児が緊張やら興奮やらする「松永鉄十郎 親遊会」の本番の日となる。
 娘は初舞台を踏むし、僕の愛弟子も二人出演するし、さらに、邦さんと僕は伝の会として、「お開き 弾きまくり」「和佐次朗構成の楽しい三味線組曲」「桜川ぴん助さんとかっぽれ」という演目にも出演する。なかなか僕にとっても盛りだくさんの一日だ。
 制作は古典空間がビシッとしきっている。僕らの方で言う、いわゆる“おさらい会”なんだけど、一風変わった味付けをするところは師匠らしいとこだ。娘とお弟子の舞台が終わると、少しホッとした。
 子供ができて初めて知ったが、お弟子さんも我が子も一緒だな。三越劇場という大舞台に立って、一生懸命弾いている姿を見ると、なんとも言えない気持ちになる。師匠業とはなかなかいいもんだな。
 そんな考えにふけってばかりも入られず、番組はどんどん進む。楽屋には和佐次朗さんの亡くなる直前に生まれた、お孫さんが来る。人懐っこい顔は和佐次朗さんそっくりで、徳島から出演してくれたおかあさん(和佐和さん)、和寿起さん、ときわさん(和佐比路さん)、林さん(和佐瞳花さん)たちと喜んだり泣いたり・・・その徳島のみんなとは和佐次朗作詞・作曲の「阿波の四季」を演奏した。なんてことなく演奏しはじめたんだけど、感慨深くなり、かけ声が涙声になってた。
 最後の演目は、櫻川ぴん助さんと伝の会が一緒にやらせていただくという企画。「深川」「奴さん」「かっぽれ」を弾かせて唄わせていただき、とても楽しい思いをさせてもらった。ぴん助さんってすごい人で、日本はもとより今じゃ世界中を「かっぽれかっぽれ」と駆け回ってる人で、すっごく忙しくてすっごくエネルギッシュですっごく素敵な人だ。打ち上げの時に、たっぷりと(昔話から未来の話まで)話ができた。
10月31日(日)
昨日の疲れもなんとやら、獅童くん宅のお稽古を朝からこなす。
11月1日(月)
 21日の日本舞踊会のつぼ合わせ(下ざらいの前にやるリハーサル)のために川崎へ。10時30分に家元宅に集合して行こうということになっていて、赤坂に向かうが、なんだかすっごい雨と風。台風のようだ。行き帰りの車の中でぐっすり寝る。
11月2日(火)
 娘が来年から幼稚園に行く。僕らのころは二年保育だったが、最近は三年保育があるという。家から歩いてすぐのところに田柄幼稚園というのがあって、そこに行かせるためには今日の試験(110人定員のとこに180人の入園希望者)に合格しなければならないとか。
 おもしろそうなので、僕もついて行く。子供たちを遊ばせる試験のようなものをした。喜んで遊ぶ子供、泣いてお母さんに駆け寄る子供。と、さまざまな子供の姿が見れる。集団生活をうまくやれるかどうかをチェックするのかな。基準がどこにあるのかわからないけれど、子供のどの姿が正しくてどの姿がまちがっているなんてことはないはず。採点をするほうはつらいだろうなー、などとボンヤリとながめた。
 次は親子で面接。「この幼稚園を選んだ理由は?」と聞かれ、「近所だし、僕もここだったし・・」と答える。「先生のお名前とか覚えていらっしゃいますか?」「たなかまさこ先生です」「あっ、たなかまさこ先生ですか。実は田柄幼稚園は今年40周年で11月14日に式典をする予定になっていて、たなかまさこ先生もいらっしゃいますから、お伝えしておきます」「えっ、お元気なんですか?」「はい、式典にもいらっしゃいますよ、あとキキョウ先生とかも」「あっ、覚えてます、覚えてます。キキョウ先生ね。いやーっ、そ、そうですか、なつかしいなー、会いたいなー」と、なんだか娘そっちのけで盛り上がってしまう。
 今夜からプールに通うことになった。“春から泳ごう”と決めていたのがやっと腰が上がった。偶然にもスポーツマンの叔父と同じクラスでホッとした。先生に「25メートルくらいしか泳げません」と行ったら、娘たちが使っている子供のプールに連れて行かれ、「まずはクロールで泳げるようにしましょう」と丁寧に教えてもらう。なかなか楽しいや。
11月3日(水)
 田柄幼稚園の合格発表が今朝だというので、出掛けるついでによってみる。受験(?)番号がワーッと張り出されているのを見て、あらためて“こりゃ合格発表だぞ”と思わされる。「3123」という番号を見つける。良かった。まあ180余人が全員合格するとは思ってはいなかったが、そのうち120人が合格ということは60余人が不合格ということか。本気で入園試験だったんだな。ちょっとゾッとした。「四月から幼稚園にいくだね」と娘に言ったら、「昨日から行ってるじゃないのー」と言っていた。
11月4日(木) 朝早ーくから出掛ける。
11月5日(金)
 練馬区で健康診断をしてくれるというので出掛ける。昨年、この健康診断で中性脂肪が云々と言われ、再検査になり、かかりつけの水野医院に行った。水野先生が言うには、「運動をするか、痩せるかで全ては解決します」とのことだった。僕のダイエット(現在9キログラム落ち)はこれを機に考えていたことだった。 検査は、尿検査・血圧測定・採血・眼底検査・心電図検査・胸部レントゲン・胃部レントゲンと進む。バリウムを飲むとき、「終わるまでゲップをしないでくださいね」と念を押されるが 、念を押されるとゲップしたくなるのは、僕だけじゃないだろう。
11月6日(土) 獅童君とこのお稽古の後、大阪へ。
11月7日(日) 和三寛さん、和三千紘さん、和三千保さんの主催する「和(なご)みの会」が北新地のザ・フェニックスホールで行われる。僕はご案内役(司会)をする。なかなか良い会だった。伝の会オリジナル曲の「鬼撥」がひろこ(和三千紘)さんと、ときわ(和佐比路)さんで演奏された。自分たちの作った曲を弾いてくれるという幸せを味わった。
11月8日(月) お稽古日。
11月9日(火) お稽古日。
11月10日(水)
 北海道公演
邦さんと函館へ。杵屋勝幸恵さんが伝の会を企画してくれた。空港に着くと勝幸恵さんと藤井さん(お弟子さん)が出迎えてくれる。リハーサルがわりのお稽古のあと、「西陣」で海鮮料理を。ウメー。
11月11日(木) 朝一番の飛行機で堅田喜三久さんがいらっしゃる。打ち合わせをして、会場へ。「にっぽんを聞こう。堅田喜三久の世界」というすごいタイトル。満員のお客様に恵まれ、昼夜公演をする。
11月12日(金)
 朝一番の飛行機で喜三久さんが帰京し、入れ替わりに勝彦くんがやってきた。
今日は学校を廻ることになっている。勝幸恵さんと藤井さんに連れられ、まずは勝幸恵さんの母校である函館市立大森小学校へ。昔のまんまのすてきな小学校。大林宣彦監督が撮りそうなすてきな空間が目の前に広がる。4〜6年生(120人位)が教室に集まって聴いてくれた。まず三味線の音ということで「大薩摩」、三味線はこんな楽器ですというトーク、「綱館」の後半を勝彦くんの唄で聴いてもらう。最後は「衣替闇連弾」。これで30分くらい。せいぜい30分だよね、初めて三味線(しかも長唄三味線に)に触れる子供たちがほとんどで、生徒は授業として「聞かされ」てんだからね。30分で充分だと思う。しかしこの30分が「つまらない」30分ではいけない。「あれよあれよ」の30分を心掛けてます。まあそこはそれ、伝の会ですから。質問を三つ四つ受ける。「三味線はいくらですかー?」「年は何歳ですか?」「結婚してますか?」。純粋な目をした子供たちだった。NHKのカメラも入っていても和気あいあいのいいステージでした。
 次は昭和女子高等学校へ。きれいな学校、1〜3年生(どのくらいだろ2・300人かな)講堂だったんで、ちょっと遠かったんだけど。邦さんのおやじギャグが“ヘン”に受けて良い感じになった。
 ところで「衣替闇連弾」を弾くときに、遠くの人にも良く見えるようにと、立って弾いたんだけど、椅子に足をかけた途端で生徒が笑いだす。以前にもこんな光景があったんだけど、なんで笑うんだろ?。誰かおしえてください。ともあれ無事終えて、ホテルオークランドで食事。
 さて最後は七飯(ななえ)町立七飯中学校。ここも講堂に全校生徒が集合。規律の厳しそうな学校で、鑑賞会というスタイルが出来上がっていた。少し真面目な伝の会をお見せしました。楽しい学校廻りでした。ステージを観てくれた人達に御礼申し上げます。
国際ホテルに帰り、勝彦/勝幸恵・邦寿・鉄九郎(上)で「靫猿」をメインにした伝の会をする。もともと勝彦くんはこの忙しい中、この「靫猿」を唄いにきたのだった。あとは飲んで騒いでの時間。勝彦くんは寝台車で帰っていった。おつかれさんでした。
11月13日(土)
今日はラサール高校へ行く。男ばかり100余名。ざっくばらんに楽しいステージが出来た。
11月14日(日)
 11月29日〜12月1日のお江戸日本橋亭ライヴでやる「まかしょ」を稽古する。 11月15日(月)
7:30a.m.起床(函館に来てすっかり早起きになった)。藤井さんが自由市場や函館山へ連れて行ってくださり、すっかりお世話になって最終の飛行機に乗って帰京。と、スマートに締めくくりたかったのだが、そこはそれ、伝の会の邦さんということで、飛行機のチケットを宅急便で東京へ送ってしまっていました。最後にポカをやりながらも楽しい函館でございました。

11月16日(火) バカンスで仙台に行く。
11月19日(金) 帰宅。
11月20日(土)
 お稽古日。「驚異の超軽量三味線ケース[翔]200」が届いた。ほんと軽いぜ、こりゃ。“通常の三味線ケースは2キログラムもある”と書いてある。へーっそんな重いんだ。それでこのケースは、えっ、800グラム。そりゃ軽いわけだわ。
11月21日(日)
 日本舞踊のおさらい会のため川崎へ行く。 11月22日(月)
 孝次郎師と忠五郎師の「廓丹前」「宵はまち」の録音のお手伝いのため渋谷のNHKへ。NHK-FM「邦楽のひととき」という番組で、毎週火曜日が長唄の日なのだ。放送日は12月28日です。
11月23日(火)
 勤労感謝の日です。うちのお弟子さんは熱心な人が多い。したがってお稽古日です。
11月24日(水)
 伝の会お江戸日本橋亭ライヴで演奏する「勧進帳」の打ち合わせをしに日刊工業ホールへ。「勧進帳」という曲は長唄の部分だけを演奏してもストーリーがわかりにくい。もちろん曲としても完成度の高いすばらしい曲なんだけれど、「よくわかる長唄」を目指す伝の会にとっては、ストーリーを重視したい。「問答入り勧進帳」とか、芝居のようにセリフを入れ込んで演奏するやり方があるが、伝の会ではあくまでも演奏メインで、ストーリーをわかってもらう程度のセリフを入れることにした。言い出しっぺ=勝彦くん/企画構成=邦寿である。だから弁慶、義経、富樫という役柄を一人一人演じるために唄方が三人必要になった。なんでもかんでも一人で唄わしてしまう伝の会で、唄方が三人出演するなんて、ほんっと珍しいっスよ。ましてや日本橋亭でですよ。チラシを見たお客さんから「唄方の名前が三人書いてありますが、誰がいつ出演するのですか」という問い合わせが何件か来ましたよ、はい。そりゃ来ますよ。だって三味線二人なのに唄方三人だもん。ギャラ払えんの・・・・ま、まあとにかく、聴きごたえのある舞台が出来上がることまちがいなし。
11月25日(木)
 自主稽古とお弟子さんのお稽古をする。今日は暖かい。しかしこのごろやけに寒くなった。風邪ひいてる人も多いし。 11月26(金) 邦さんと伝の会の稽古。
11月27(土) 新宿で古典空間と打ち合わせ。
11月28(日)
 獅童くん宅のお稽古日。久々に獅童くんとも会う。京都の撮影(正月特番の次郎長で追い分けの三五郎をやっている)も終わったらしい。
11月29(月)
 朝から良い天気。2:00p.m.築地・さらしなの里にて伝の会の下ざらいをして、お江戸日本橋亭へ。唄方が勝彦さん、六昶悟さん、三七郎さんと三人いるので(伝の会お江戸日本橋亭ライヴでは初めてのこと)楽屋もやけに賑やかだ。
 6:30p.m.開演。まずは「よくわかる長唄」をして「まかしょ」の演奏。和佐次朗師にもう一度きっちり教えてもらいたかった曲を勝彦/鉄九郎・邦寿で演奏。もう一曲和佐次朗師が構成した「楽しい三味線組曲」を。今回も和佐次朗色の強い選曲となった。休憩のあと、いよいよ勧進帳。良い出来だった。終演後、みんなでアンケートを見て納得したり喜んだりする。いつものように時間との戦いのライヴ、ロシアの話をする時間が なかった。明日はできるかな。
11月30(火)
 11:00a.m.日本橋亭の前で邦さんと会う。「そば、行こうか」というので、待ってましたとばかり、小諸そばへ。「楽しい三味線組曲」を浚う。「あっ、こうすれば良いんだ」と気づくことがあった。和佐次朗さんって凄いなー。きょうの「まかしょ」は六昶ご(にんべんに吾)さんと三七郎さんで唄ってもらうため、下浚いをする。唄方が変わるといろいろ変わるもんなんです。そこがおもしろいところで。
 2:00開演。超満員の客席。どうしちゃったんだろ。今日に限って。お客様に窮屈な思いをさせてしまったが、こちらにとっては、うれしい限りでございます。
12月1日(水)  昨夜、第一回の打ち上げが行われたらしい。
 2:00p.m.昼の部開演。「まかしょ」の唄方は、勝彦さんと三七郎さん。勧進帳のセリフの部分が少し増えていた。
 4:00p.m.夜の部開演。「まかしょ」は、勝彦さんの独吟。勧進帳のセリフの部分がたっぷり増えていた。
 今年最後の伝の会もおわった。今年は一体何ステージやったのだろうか?多くのお客様に支えられてライヴをやらせていただけている。幸せなことだなー、とつくづく感じて家路についた。
12月2日(木)
 お稽古日。19日の「練の会」のために、僕のお弟子さんも一生懸命だ。
12月3日(金)
大阪へ。東京よりちょっとは暖かいかな。岩井会のため。リーガロイヤルホテル1143号室泊。
12月4日(土) 大阪。
12月5日(日) 岩井会本番。終演後、帰京。
12月6日(月)
夕方からお稽古日。三味線弾きすぎか、親指の筋肉が疲れてるようだ。
12月7日(火)
 お稽古日。我が家のコピーライターがiMACを買うというので、新宿ヨドバシカメラへ。
12月8日(水)
 日本大学芸術学部の歌舞伎研究会の発表公演が18日に前進座で行われる。演目は「伽羅先代萩」と、僕のとこで三味線を習っている白井(歌舞伎研究会部長)くんが由良之助をやる「仮名手本忠臣蔵七段目」。今日は「伽羅先代萩」の下浚いのため、日芸へ。 12月9日(木) お稽古日。
12月10日(金)
邦さんの長男が通って入る小学校の生徒(二年生)のためにライヴをする。
夜はお稽古日。
12月11日(土)
 日芸歌舞伎「仮名手本忠臣蔵七段目」の下ざらい。
12月12日(日)
 獅童くん宅のお稽古日。夕方帰宅して僕のうちのお稽古日。
12月13日(月)
 11:00a.m.国立劇場に伊三郎(柏伊三郎師)さんを迎えにいき、来年1月19日の舞踊会のツボ合わせのため月島区民館へ。
12月14日(火) お稽古日。
12月15日(水) お稽古日。
12月16日(木) お稽古日。
12月17日(金) お稽古日。
12月18日(土) 日芸歌舞伎公演当日、前進座劇場へ。
 メンバーは勝彦さん、三七郎さん、邦さんとお馴染みの面々(歌舞伎にゃうるさいぞー)。「伽羅先代萩」と「仮名手本忠臣蔵七段目」の間で幕間芝居というコントのようなものをやる(これがなかなか楽しい)。 原先生(顧問)の希望で勝彦くんがチョイ役で出る予定だったが、なぜか僕も一緒にでることになった(その間、三七郎くんが僕の代わりに三味線を弾いた)。花道の引っ込み付きならと、半ば喜んで出演した。我が愛弟子の白井(カブ研会長)くんも大星由良之助を熱演した。ほんとみんなよくやるよ、大したもんだよ。おつかれさまー。僕もつかれたぜ。
12月19日(日)
 さむーっ、近頃はヤケに冷え込みますな。でも頑張って起きて、一路日本橋亭へ。「練の会」当日。いやーっ、楽しかった。お弟子さんたちがみんなガンバッテくれた。最初はちょっとした「月ざらい」程度のことを考えていたが(僕も邦さんも)、おかげさまで立派な「おさらい会」になった。伝の会のお客様も多数お出でいただいて、「良かったわよー」などとお弟子さんに声をかけてくれていた。伝の会のお客さんは暖かいな。良いお客さんに恵まれ邦寿・鉄九郎のみならず我々の、お弟子さんたちも幸せである。
 時に、「伝の会の二人のお弟子さんというのは、よりすぐっている人達で、基準が高くて初心者なんぞは教えてもらえないんでしょう」という声をこのところちょくちょく聞く。なにをおっしゃるのですか。誰だ、そんなこと吹聴しているのは。
 ここではっきり申しあげておきます。邦寿と鉄九郎はどなたでもお教えいたします。初心者・経験者を問いません。ましてや年齢も問いません(どうやら僕は若い娘(こ)しきゃ教えないだろう、という誤解があるようだ)。月謝とか入会金とかをホームページに掲載していないのは、同業者の方たちへの配慮からです。ご希望の方はいつでもメールください。
12月20日(月)
 ウワーッ、今日は休み、なーんにも予定のない日。いつ以来だろ。 調べるのが面倒臭いから止めとくが、随分と久しぶりなのは確かだ。 まあ、いつも用事があるといっても、お勤めの方から見たら遊んでるようなもんなんだけど。それにしても全休というのはうれしい。 そして、あんまりうれしくてお昼すぎまで寝てしまった。そのままボーッと過ごそうと思ったらやっぱりそうも行かず、用事ができて新宿に行く。でもバカンス気分で、なんと、実に四年振りに歌舞伎町の「利しり」へ行く。利しりラーメン、オロチョンラーメン、チャーハンと。いやー、うまいなー。
12月21日(火)
 有楽町マリオンに「杵勝会」を聴きに行く。勝彦くんにお花のお礼(練の会の時、お花を送ってくれていた)を言ったり、客席で伝の会のお客さまに合ったり、「何してんの?」と小間蔵さんに言われたり・・・・  五反田に「ザ・グラフトン」というアイリッシュパブがある。「来年、ここでライヴをどうですか?」という、ありがたい話しがあったので、夜出掛ける。今夜はトリオでジャズをやっていた。ワンステージ20〜30分位で定期的にできたら良いなー、と思った。とっても感じの良いお店。 12月22日(水)
 表参道fwd(美容院)へ。ついでにキディランドへ行く。 12月23日(木)
 母親が亡くなってから八回目の祥月命日をむかえた。菩提寺である駒込の清林寺にお墓参りにいく。寒いが良いお天気だ。思えば、母のお葬式の時は雪が降っていた。寒い中を多くの方が参列して下さった。あのときはそんな余裕など無かったが、ありがたいことだなとつくづく思う。
夜、先日の日芸歌舞伎の打ち上げのために江古田の「信濃路」へ。
12月24日(金)
 伝の会の全てのデザインをしてくれているヒネちゃんは、僕の年賀状も20年近くに渡り制作してくれている。毎年年末ギリギリに出来上がるが今年もご多分にもれず、今日デザインができた。夕方お稽古のあと、江古田の「太陽ラーメン」へ。
12月25日(土)
 獅童くん宅のお稽古日。お稽古終了後、みんなで食事をする。大晦日の「紅白歌合戦」に連獅子のかっこうで出演する獅童くんのお供をしようという話で盛り上がる。
12月26日(日)
 良い天気。昼間、電車に乗りながら、ザウルスで年賀状リストを作る。夕方帰って来て、少々片付けなんぞをする。夜、伝の会のTシャツを作ってくれている荘ちゃんとその奥方でイラストレーターのクワっちゃんが遊びに来る(クワっちゃんは僕への爪提供者でもある)。西台の和歌山ラーメン「戎」へ、おいしかった。



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