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鉄九郎の青?裸々な日常 第31号


2000年10月1日〜31日

10月1日(日)
 港区赤坂区民センター三階ホールにて「松永忠次郎・藤間小太郎ゆかた会」
7:30a.m.起床。「シテコイナー、を大きな声で唄っておもちゃを貰おーの日だよ」と娘を起こす。ヒロキとレイコちゃんのゆかた会に僕の何人かのお弟子さんとともに我が娘も出演するのだ。今年は「供奴」を途中まで覚えた。
11:00a.m.出番。おもちゃ欲しさに大声で唄う娘。親としてはほっと一息。お弟子さんたちもよく頑張った。終演後みんなで食事。帰り道娘に「遅くなっちゃったからおもちゃ屋さんやってないけどコンビニのおもちゃでいい?明日になったらおもちゃ屋さんに行って好きなもの買ってあげるけど」と聞くと「ううん、ううん、ちょう(今日)買って欲しいよ」と言う「じゃあコンビニでいいの?たいしたものないよ?」「いいのいいの」ハハ、実に他愛のない、明日になればちゃんとしたものを買って貰えるのに今手にしたいという思いに負けてコンビニの300円のおもちゃでニコニコして「あにがとあにがと」とお礼を言っている。あー安くすんだぜ。しかしちょっと気の毒になってきた。そのおもち ゃをもったまま車で就寝。ホラ言わんこっちゃない。やっぱりおもちゃ買うのは明日でも良かったんじゃない。

10月2日(月) 寝る。昼すぎまで寝る。

10月3日(火)
 お稽古日。三味線がやぶけた。ヨーロッパに行ってる間に張ってもらって先月末に出来てきた三味線がやぶけた。まだ二回しか弾いてないのにィ。グヤジー。6日の本番で弾こうと思ってたのジー。 三味線がやぶけることは、ちょこちょこあることなのでこんなに悔しがることもないのだが、なんか今回はすっごく悔しいのダー。

10月4日(水) お稽古日。

10月5日(木) お稽古日。

10月6日(金)
 国立劇場で福三郎師のお浚い会。終演後、最近引っ越した鉄十郎師とヒロキのお宅にお邪魔する。なかなか良い間取りである。なんか渡辺篤史か稲川淳二みたいだ。今日はヒロキの誕生日で、彼も33才になった。僕は「33才か若いなあ」と思ってしまう年代になっている。始めてあったのはヒロキがまだ小学生だった。あー時は流れているのねー。

10月7日(土) 良い天気。どこも出掛けずお稽古日、エライ。

10月8日(日)
 11月11日に浅草公会堂で日舞のお浚い会がある。そのつぼ合せのため、すみだ生涯学習センターヘ。佐兵衛師のお仕事のお手伝い。鉄十郎師、佐英治さん、カオル(佐近)さん等と一緒させていただく。

10月9日(休)
 一ヵ月のヨーロッパ行きのために何年かぶりに髪の毛を短くした。また伸ばそうと思ったが、短いのがあんまり楽なので再び切る。美容院はいつもの表参道「fwd」。娘は11月18日の「てんの会」で再び「供奴」を唄うことになっている。「上手に唄えたら、またおもちゃ買ってあげるよ。」という約束が出来ている。その下見に娘とキディランドへ行く。いやーっ、久々にきたなー。西麻布や代々木上原に住んでたときはバイク(原付)でちょこちょこっと毎日のように来ていた。もっと昔になると、中学の頃か高校の頃だったか、拓郎(吉田)がいきつけの「ペニーレイン」という喫茶店(というか飲み屋というか)に行こうと友達とフラフラしに来たもんだ。ああなつかしい。「あこがれ共同体」というドラマもあったなぁ。そんなことを思いながら娘の手をひいて歩く。表参道ってあんまり変わってないような気がするけど。いやっ変わったかな?内弟子に入る前(18〜20歳頃)バンドの仲間と夜中にライヴのあとフラフラしたのもこの辺りだなー。今、彼らとすれちがっても絶対気が付かないだろうな。なにせ顔も名前もバンド名すら覚えていないもの(覚えが悪いのではなくいくつものバンドを掛け持ちしていたからです)。まだみんなやってんのかしら。

10月10日(火) お稽古日。

10月12日(木)
 夕方から、邦さんとマンダラ(18日)のための稽古。お酒と食事をしながら見て聴くことができる「大人の場所」であるマンダラで、邦さんと僕のふたりっきりで、三味線の音色に触れながらゆったりとした空間、肩のこらない空間を作りたいと思っている。曲数も最近の「伝の会」の3倍は弾くプログラムを作った。「久しぶりにたくさん弾くねー」と言いながら稽古にはげんだ。

10月14日(土)
 娘の通園している田柄幼稚園の運動会。年少、年中、年長と三学年あるが、今日は年少(三歳児)だけの運動会。八時開門だから席をとっておこうかとぶらぶら行くと、並んでる並んでる、レジャーシートとビデオカメラを持ったお父さんたち。拡声器を持った園長先生が「どうか走ったりして席取りの争いをしないようにお願いします」などと言っている。オイオイ怖いね・・。まさに運動会日和の今日、三才、よんさいの幼子たちが走ったり、遊戯をしたりしている姿は、その親でないものが見てもほほえましいものだ。11:00a.m.に終る。昼寝して吉祥寺「李朝苑」に焼肉を食べにいく。「李朝苑」が好きでちょくちょく行く。当然娘も焼肉好きになっており、とくに「李朝苑」の焼肉は「おいしいおいしい」と言ってよく食べる。以前来たとき、娘は爆睡中で食べられなかった(帰りの車で目が覚めくやしがることくやしがること)。次に「今度は起きてるから食べられるよ」とニコニコして行ったら、休みだった。再びくやしがることくやしがること。そしてようやく今夜。昼寝までして元気を取り戻し三度やってきました「李朝苑」。まあ食べること食べること。よっぽど満足したのか、帰りの車で寝てしまう。

10月15日(日) 獅童くん宅のお稽古日。

10月16日(月) お稽古日。

10月17日(火) 邦さんと明日の稽古。

10月18日(水)
 南青山マンダラライヴ当日。この「ふたりっきりライヴ」を三カ月に一度位のペースで定期的にやっていきたいと思っている。

10月19日(木)
 お稽古日。いよいよ「てんの会」のプログラムも出来上がる。そのプログラムがとってもカッコイイのでお弟子さんたちの心意気が変わってきた。楽しみ楽しみ。

10月21日(土)
 太田市教育委員会東毛文化ホールで上妻宏光くんとのジョイントライヴ。上妻くんとは何年か前の「平成の三味線ニスト」でご一緒したのが始め。その後、昨年の5月「平成邦楽レボリューション」のステージを覗きにいって、あいさつをしたくらいかな。好青年。カンジが良くて喋りも三味線もうまいし、高野台に住んでいるという。邦さんと僕ん家の中間位、みんな練馬区。だからなんだという感じもするが、親近感ってのがあるじゃないっすか。来年3月のヨーロッパツアーのときもご一緒することになっている。今から楽しみだ。

10月22日(日)
 なかにし礼氏の「長崎ぶらぶら節」をテレビで撮るらしい。三味線指導をすることになった。主演女優さんとミーティング。

10月23日(月)
 お稽古日。娘は幼稚園から帰るとよくお稽古場に遊びにきている。お弟子さんもお稽古の合間にちょこっと遊んでくれるので楽しみに来ているようだ。今日も来てテレビを見たり昼寝をしたりしていた。
 8:00p.m.に今日最後のお弟子さんが来て娘と遊ぼうとしたら、機嫌が悪いのか泣き出した。なかなか泣き止まず「おうちへかえる」というので、妻に迎えにきてもらい帰っていった。「どうしたんだろうね」と言いながらお稽古を始めていると、妻から電話があり「右の鼻の中に小さな鈴を入れちゃったらしい」ということ。オイオイなんだなんだっ。赤ちゃんのときならともかく、もう四つだろーっ。ハハハハッ。まあ笑ってもいられないか。救急で日大病院へ行く。本人は落ち着いて「見えるんだよ、ホラッ見て鼻の穴っ」とか行って寄ってくるんだけど、実は僕はこういうのにメッポウ弱い。もちろん見られない。診察室に入って妻に抱っこされた娘は、おとなしく先生の質問(どうしていれちゃったの?とか)に答えてなんか器具を使ってヒョイッと出してもらっていた。そこに立ち会った僕は、青ざめてボーッと立ちすくんでいたらしい。鼻から出て来たのはちっちゃなパチンコ玉だった。娘が言うには、寝転びながら何の気なしに入れてしまい、自分でとろうとして奥まで入ってしまい、あたふたしているところへお弟子さんが来て、なにがなんだかわからなくなって泣き始めたということらしい。いい加減三人ともおなかが減ったのでファミレスによる。
突然娘が「あっシダリ(左)にまがるんだね」と言う。
「えっ、そうだけど・・どうしてわかるの?」
「だってシダリの矢印(ウインカー)がチカチカしてるじゃない」
「うん、いやっそのなんでこっちが左ってわかるの?
今まで右と左が区別つけられなかったじゃない?」
「うんっ、もうわかったよ、玉が入ってた方が《右》って覚えたらいいんでしょ?」 
いやおそれいりました。娘はお箸もペンも両方で使うので(決して両ききではなく自分で決めていないのだ)、右左を教えるときの「ホラッお箸持つほうでしょっ」とか言うのが出来なくて、今までニューっとしていたのだ。まあ四つともなれば右左を自然に覚えるのでしょうが、まあ今夜が良い機会になったらしい。まっいいかっ。

10月24日(火)
 10:10a.m.のこだまに乗り新横浜へ。パーティで「供奴」と「紀文大尽」を弾く。

10月25日(水) お稽古日。

10月26日(木) お稽古日。

10月27日(金)
 明日、師匠(鉄十郎師)のお浚い会をすることになった。下ざらいかたがた師匠の家に家族で行く。徳島から、ときわ(和佐比路)さんも来る。れい子(忠次郎夫人)ちゃんの作った鍋をごちそうになる。久々に師匠と家庭料理を食べた。思えば内弟子のころ、師匠が鍋料理が大好きだったせいもあり、しょっちゅう鍋を食べていた。水炊き、味噌鍋、カモ鍋・・・。
「アツシはなんてったってカモ鍋が好きだったなぁ」
「そうでしたね、師匠が作る鍋料理はとってもおいしかったですよ」
あれから20年。ふた昔前なんて言うとぞっとする長さだ。僕が内弟子に入り、幼かったヒロキ(忠次郎)マサキ(忠一郎)も跡を継ぐようにこの世界に入り、最近、同居するようになった。かわいい孫も一緒だ。師匠としては「家庭」というものがちょっと似合わない感もあるが(こんなこと言っちゃいかんのだろうが)、僕としてはホッとしている。ヒロキとれい子ちゃんは偉いなぁ、立派だなぁ。心も身体もポッカポカになり帰りの車に乗った。

10月28日(土)
 師匠のお浚い会「親遊会」。赤坂のおそば屋さんという風情たっぷりの所で和やかに行われた。最後に、和佐次朗(師匠)さんが好きだったし得意だった「松の翁」をときわ(和佐比路)さんと二梃で弾く。ときわさんも僕も何度か和佐次朗さんと二梃で弾かせてもらった曲だ。うんうん、同じ師匠に習ってる曲というのはやりやすいものだなとなどと、ほくそ笑みながら楽しんで弾かせてもらった。が、これだけ長い付き合いのときわさんと、たった二梃で弾くのは初めてのことだということに、あとから気がついた。そうだよな。和佐次朗さんがいなくなっちゃったからなんだなぁ、とつくづく思った。
 和佐次朗さんがいなくなっちゃった寂しさを改めて感じもしたが、なんだろ?なんかわかんないけど、こういうのもあるんだなと。うーん、うまく言えないが、なんか発見したかなという感じがした。
「アツシぃ、なんか気ぃつくことあったやろ?」
「えーっ、なんだろ?わかるようなわかんないような・・」
「ハハハっ」
「ハハハっじゃないですよぉ、ちょっと教えてくださいよぉ」
「アホかぁ、おまえももう、しじゅう(四十)やろっ、んなもん自分で探さんかいっ」
「いやっちょっとぉ、ワサジロさんっ」
「あっ、アツシぃ、ときわちゃんにもそう言うといてやっ。ハハハっ」
今夜きっと、ときわさんと僕は和佐次朗師匠に何かを教わったんだ。

10月29日(日)
 獅童くん宅のお稽古日。帰りに日本大学芸術学部の歌舞伎・舞踊研究会の稽古を観させてもらう。

10月30日(月)
 寒くなってきた。冬がやって来たという感じだ。娘はプールの日なので、幼稚園に迎えに行きプールに連れていこうとしたら、大きなクシャミをした。今日の遠足が寒かったのか、ちょっと風邪ぎみらしい。ということでプールは中止。家へ帰って昼寝でもすれば良いのだけど、「帰るのもなぁ」という心境になる。豊島園に「トイザラス」がプレオープンしているので行ってみることにする。大人も子供も大喜びだ。

10月31日(火)
 日本大学芸術学部の歌舞伎・舞踊研究会の公演のための下ざらい。毎年恒例で今年は日芸祭に合わせて校内で公演する。演目は「伊勢音頭 油屋の場」。唄を三七郎(杵屋)さんにお願いして、三味線は邦さん(胡弓も弾いてもらう)。先週、三七郎さんに速達で送った資料がまだ届かず大慌て。いったい郵便局はなにをやっているのだ。なんのための速達なんだー、と騒いでみたところでしょうがない、早めに来てもらい浚う。下ざらいの途中から「アエラ」の取材の人が入り写真撮影。下ざらい後、取材をうける。

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