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鉄九郎の青?裸々な日常 第34号


2000年12月1日〜17日

12月1日(金)
 帝国ホテルへ。マガジンハウスを退職される柿内扶仁子さんのパーティで獅童くんが「助六」を踊る。鉄十郎師と邦さんに手伝ってもらい地方をつとめる。木村梢さんと久々に、ちょっとゆっくりお話ができた。

12月2日(土) 獅童くん宅のお稽古日。

12月3日(日)
 幼稚園の子供会。ようするに学芸会とかって感じ。年少組は4クラスあって娘は「ばら組」で「どうぶつ村のこびとのくつやさん」という劇をやるという。運動会のときのように、またまたカメラやビデオを持った長蛇の列に並び、講堂に入る。みんなが主役のようにとうまくつくられた劇を一生懸命演じる子供たち。純心だなぁ。純心と感じてしまうというのは不純なんだろなぁ。

12月4日(月) お稽古日です。三味線弾いてる時って楽しいな。

12月5日(火)
 お稽古日です。
 先日の「てんの会」で勧進帳を唄った方と弾いた方は姉妹で弾いた方が喜寿のお祝いに勧進帳を弾きたいといったところから、姉妹共演の演目になりました。このご姉妹は、神田生まれで音楽好きのお父様の影響もあって幼いころから長唄をならっていたのです。お二人ともご結婚をし、子育てをし、いろんな余暇を楽しみ、91年から伝の会も応援してくださっていました。
 昨年の「練の会」を観にきてくださり、邦さんと僕のお弟子さんが明るく楽しく弾いているのを観て、僕のところに電話をしてきたのです。しかも同じ日に。姉妹で相談したわけでもないのに、お姉さまから電話があった数時間後に妹さんからお電話をいただきました。なんかぞくっとしますね。
 お二人とも年のわりには(失礼)めっちゃめちゃ忙しい方々ですが、なんとか時間を作ってお稽古にきていただいてます。そんなころ「てんの会」の話しになり、喜寿のお祝いに勧進帳を弾くのが夢だったというので、それでは、もともと唄を習っていた妹さんに唄ってもらいましょうということになったのです。若い頃はよく妹さんの唄でお姉さんが弾いていたそうです。「50年振りに姉妹で共演です」とたのしそうでした。なんか不思議なご縁ですね。僕もそれのお手伝いをさせていただいているのを楽しんでいました。
 「てんの会」当日、幕があいて勧進帳が始まりました。「寄せ」があり、「ついに泣かぬ」があり、「げにげに」が終わりそうになったとき、ご姉妹の「50年振り」という言葉の重さが胸にズシンときました。「50年って・・」お二人とも楽しそうに唄い弾いてらっしゃるけど、77才でバリバリ三味線を弾いてたり、70すぎてお姉さんのお祝いのために人肌ぬいで、二人とも同じお師匠さんに偶然ならいにいってと。いったいどのくらいの確率なんだろう?
 母なんか60年の生涯だった。父は70年の人生だった。和佐次朗さんの65才の音はついに聴くことができなかつた。生きるってすごいことだ。僕も80すぎても三味線弾いてると当たり前のように思っている。実はそんな根拠はどこにもない。
 姉妹で上手に年を重ねることだつてむづかしいことだ。口もきかないほどの喧嘩だって一度や二度ではないだろう。長い間には、疎遠になっていた時もあったかも知れない。でもなにかに引き寄せられるように僕の稽古場で会い、今こうして同じ舞台を助け合いながら披露している。いったいどのくらいの確率だろう?声も出て三味線が弾ける身体で、おさらい会に楽しんで出演する心の余裕があるってことは・・・。
 僕はそのお手伝いをさせていただいてるんだと、「人目の関」のクダリで気がついた。たまんなかった。義経・弁慶も芝居になるくらいすっごいことだけど、あなたがたはもっとすごいですよ。なんとなくこうなってんでしょうけど、その「なんとなく」がすごいことだよ。
 滝流しになると「もう一息もう一息」と三味線でお姉さんに伝える。「僕についてくればいいから、きついのはわかってるから」と叱咤激励しながら音で音を応援する。こんな若造に「もうちょっとだよ」と言われ「はい」とついてきてくださるなんて。はずかしいけど、胸があつくなってかけ声が涙声になりそうだった。長唄ってすごいな。お二人とも長唄が好きだという一点なんですよね。その好きさがこんな奇跡みたいなことを起こしてくれるんですね。いい体験をさせてもらいました。どこにもない、いい勧進帳でした。
 それと同じような思いを「てんの会」の時、お弟子さん一人一人の出し物のときに感じた。一人一人が今の技術や長唄に対する思いから卒業していった演奏だった。
 その後お弟子さんたちは新しい曲に取り組んでいる。自分の腕が上がったことに気づかずに。いつまでたっても上手になれないと誤解をしながら。
 うまくなりたいと思う人、楽しいからと弾いてる人、みんな忙しい日常の中、すきな長唄に時間をさいてお稽古に行こうという心に余裕のある人たちだと思う。ひとつのおさらい会が終わると、卒業してしまった寂しさと、また入学してきたなといううれしさで、こっちが勝手に気恥ずかしくなるもんだ。
 「てんの会」のあとのお稽古日で、勧進帳のご姉妹が一緒にいらっしゃり、「若い子ばかりの先生のとこで、こんなおばあちゃん二人を辛抱強く教えていただきありがとうございました。おかげさまで夢がかないました。これからもよろしくお願いします。若い子しきゃ教えないという評判の先生にはご迷惑でしょうけど・・」「そうよ面接して選んでるってうわさも聞くわよ」とおっしゃった。「だからいつも言うように、わしゃ、若い子だけを教えてんじゃなーい。ましてや面接して選んでるってなことはなーーい。どなたでも教えます。あなた方が特別ではないのでーす」といつものように大声で言うが、「そうですかぁ?」「だって若い子ばっかりじゃないっ」と言うだけで、また何回か目のお稽古日にはおんなじセリフのやりとりがなされるのだ。なんかそれか゛いっつも締めの言葉になっているのだ。もう勘弁しちくりぃー。あの感動はなんだったんだぁー。

12月6日(水)
 今日はホテルオークラで「飯田深雪さん出版記念パーティ」。獅童くんが「助六」を踊るので1日と同様、鉄十郎師と邦さんに手伝ってもらい地方をつとめる。今後の打ち合わせをして稽古場へ。お弟子さんのお稽古したら「二人椀久」を聴きたくなった。車に乗り、澄んだ空気の街を走る。あたりまえだが、道はどこまでも続いている。居場所を決めているのは自分自身だ。踏み出せばどこへでも行ける。

12月7日(木) 邦さんと明日の稽古。

12月8日(金)
 良い天気。なんか胸のとこがズシーンときてる。車で日本橋亭に向かう道、和佐次朗さんの43才くらいの時の「二人椀久」を聴く。唄は孝次郎さん。なんだろこの人たち。このときだけの完成されたすっごい演奏。今まで何十回も聴いたテープのはずなのに、今朝聴くと今まで聞きとれなかった間とか音が耳にとびこんできた。ジーンとしてきちゃって運転が困難になる。
 今日その「二人椀久」の立三味線を初めて弾かせてもらう。僕の「二人椀久」ってどうなんだろ?
 日本舞踊をやっていた、亡くなった母が最後に踊ったのも「二人椀久」だった。四枚目に乗せてもらって(三味線方が並んで演奏するとき芯から4番目として)弾かせてもらった。清元・常磐津しか踊らなかった母が、「二人椀久」を踊ったというのは、長唄三味線弾きになった息子と同じ舞台に立とうと思ってくれたからだろうか。そのときはなんとも思わなかった。「ふーん」としきゃ思わなかった。母親はあのときどんな気持ちで「二人椀久」を踊ったんだろう?。今まで考えたこともなかった。もうそのことを話しあう機会もない。知りたい。すっごく知りたい。一人の親となった今、あのときの母親の気持ちが知りたい。シラッと踊ってたようにしか見られなかった。僕となにかをそのことで話した覚えもない。僕も仕事として座ってただけだし、考えもしなかった。察してもあげられなかった。それも母の最後の舞台だったのに。
 「二人椀久」をやらせてもらうことでいろんなことを思い出し、いろんなことに気づかせてもらった。いい年してセンチメンタルもいいとこだけど、たまには良いかなと思えてきた。なんでも慣れるね。こんな思い慣れてたまるかっての。
 日本橋亭に着いて、邦さんと会って、いつものスタッフも揃って、いつものように始まる。僕のまわりはなにも変わっちゃいない。勝手に一人になったような気でいる。勝彦くんがいる、太郎(巳津也)ちゃんがいる。そして邦さんがいる。僕の「二人椀久」じゃない。舞台の上の四人といっぱいのお客様と、この空間だけに存在する人たちの「二人椀久」だ。せつないけど楽しいなって思った。幸せだなって感じた。長唄やらせてもらってるって幸せだな。心地よい緊張感。
 昼の部終了。お客様を出口で送る。日本橋亭が久々ならばお客様を見送るのも久々だ。「ありがとうございました」と丁寧にお辞儀をしていると、素直になれる。
 夜の部だからか二回目だからかわかんないけど、聴いてもらいたい人に聴いてもらいたい「二人椀久」だった。ジーンとするね。

12月9日(土)
 午前11時、日本橋亭到着。つかれは全然ない。唄方は太郎(巳津也)ちゃんにかわり三七郎くんが来る。みんなと騒いでる間にテンションがあがる。なんか自分が生意気になった気がする。まあ、まわりに頼っているのは今に始まったわけではないのだが・・・
 昨日も今日も来月の浅草公会堂「若手歌舞伎」の宣伝に獅童くんがきてくれている。伝の会に足を運んでくれているお客様と獅童くんに感謝。
 夜の部、「よくわかる長唄」で声をガラガラにするほどテンションがあがった。「二人椀久」のとき過去三回で弾いている心境とはあきらかに違った。椀屋久兵衛と松山の何かが消化できたのかしら。お客さんの思いと僕たちの思いが空気にいい感じになごんでいたような、勝彦くんと自宅で浚ったときのような。「良かったね」で終われた。伝の会に来てくださるお客様はいつだって暖かいけど今夜は特別だった。8日9日にご来場いただいたすべてのお客様に深く感謝いたします。
 打ち上げのとき、2002年8月にすっごいことをやることが決まった。勝彦さん三七郎さんと僕らが一緒のときには必ずでていた話しが今夜具体化した。ワクワクしている自分があった。そのことをここにワーーッと書きたいが今はグッとこらえとく。それにむけて邦さんと僕は来年早々稽古に入ります。

12月10日(日)
 蕨市民会館へ行く。午後2時30分から一時間のライヴ。久々に「甚五郎泣三味線」をやったら、意識が遠のくくらいな状態になる。うーー年齢かー?それともお客さんの熱気におされないようにはりきった結果なのか?まあどっちにしても、たぶん伝の会を始めて見てくださったお客様は我々になじんでくれたと信じます。そんなはじけっぱなしのステージはとても楽しかった。
 掲示板に8日9日のお江戸日本橋亭ライヴのことが書き込んであった。「二人椀久」のことにみんなふれてくれていた。すっごくうれしかった。

12月11日(月) お稽古日。

12月12日(火)
 テレビって好きか嫌いかで言えば好きな方で、ビデオをまめに予約したりしている。忙しくなるとあっという間にビデオが何本もたまってしまう。昨年の大河ドラマ「元禄瞭乱」もいよいよ討ち入りかというとこまでしきゃ見ていない。バラエティーもよくたまる。見るときは古いものから見ていくから、「これから夏ですが・・」なんて言ってたりする。最近csが増えて余計ややこしくなってきた。二台のビデオがフル回転で動いている。
 そのcsで、すこしだが関西の番組が見られるようになった。これがすっごく楽しみだ。「よしもと新喜劇」やたかじんの番組なんかは大阪・京都に行ったときの楽しみのひとつだったものが毎週でないにしろ見られるなんてなんという幸せものなのかと思えるくらいだ。忘れずに録画して楽しみにして見ている。妻もそんな番組が大好きで、ツボにはまって 苦しんだりしている。
 娘は「しまじろう」という教育ビデオが隔月くらいに送られてくるので、楽しみに何度も何度も見る。マンガは「サザエさん」や「こち亀」とかをとっといてあげると何度も見て、「ポーナスってどんなナスー」などと唐突に言ったりしている。ある日「パパよしもとみして」と言い出した。「えっよしもと新喜劇のこと?」「しょれしょれっ、とってあんでしょ?元気なおじいしゃんがたこやき屋ではたらくやつしゃ」「うんいいよ。たこやきのがいいのか」「うん。よしもと、よしもと。でもなんかよしもとみしてって言うの恥ずかしいな」なんだよそれっ、わけのわからんことを言うやっちゃ。娘もお笑いの基本である、くりかえしのギャグやコテッとしたものが好みのようだ。見始めるとおとなしく見て、どっかのおばちゃんのように笑っている。これで手元にお茶とおせんべでもあったら立派な主婦になれそうだ。

12月13日(木)
 娘は風邪ぎみなんだけど、今日は楽しみにしていた「もちつき大会」なので朝元気に起きるのかと思ったら「だめだよー、つゅらいよー、ねるわよー」などとどっかのホステスみたいなことを言ってダウンしてしまった。あんなに楽しみにしていた「もちつき大会」を休むとは。よほど具合が悪いのか、ただただ眠いのかはわからんが、まあ良い、寝とけ寝とけということで、当然僕も寝てしまい久々に午後まで寝た。

12月14日(木)
 音楽の先生たちに長唄を紹介するお手伝いのため伝の会で東京音楽大学に行く。初めて行った。雑司ヶ谷あたりとは知らなかった。いろんな話をしたり三味線をみんなに体験してもらったりとおおいに盛り上がった。
 なんだか今年もいろいろな学校に行かせてもらったなぁ。いろんな人に見て聞いてもらったんだなぁ。その人たちの心の中に「三味線って楽しそうだ」という種を少しでも植え付けられただろうか?好きになってもらわなくとも嫌いにだけはなってもらいたくない。なんかはかない思いだけれども、いっつもいっつもそんなことを願いながら教室に入っていく邦さんと僕であります。

12月15日(金)
 昼間、久々に中台のつけそば大勝軒へ。
 午後6時に打ち合わせのためNHKに行く。車より電車の方が良いと山手線に乗る。久々に降り立つ原宿駅は様子がちょっと変わっていた。へんなの。なにがへんなのかと思ったら、何年ぶりかで降り立った僕、時間を経て少し便利になった駅、この二点は時の流れという言葉で片づけることができる。でもこの駅を利用する人種って変わってないように見える。僕が高校生のときに見た人種とかわってない。かわってんだろうけど、変わってない。へんなの。妙なタイムスリップの中、NHKへの道を早歩きする。打ち合わせが終わると足早に今きた道をひきかえす。満員電車に乗るが、満員電車の乗り方を身体が忘れてしまってる。やたら汗かいちゃって・・・。稽古場へ行き、お稽古を。

12月16日(土)
 来年四月、テレビ朝日のスペシャル番組として「長崎ぶらぶら節」を放映する。今日が出演者とスタッフの初顔合わせ。ちょんまげライヴが昼夜あるので、顔合わせのあとダッシュでお江戸日本橋亭へ。
 今年最後の日本橋亭ライヴは土曜日のちょんまげライヴということになった。いつもおなじみのお客様とちょっとおちついたトークとはしゃいだ演目となった。お客様ひとりひとりに「良いお年を」と言って見送らせていただくと「来年もきますよー」と言ってくださる。あったかくなりますね。今年も終わるなぁと実感できた。
 古典空間と伝の会でささやかな「今年一年おつかれさま会」をする。いやー、振り返っても忘れてしまってることがいっぱいあるわ。というより振りかえってなんかいられない。京都から帰る一月末日から伝の会の活動が始まるのだが、来年もいろいろやるわ。まだまだこれからオファーもあるだろうし。うれしいことですな。誰一人、倒れないように健康管理を充分になどと「いいあいっこ」して「じゃ、二十日(「志の輔らくご2000年は20日」にてロビーコンサート)にお会いしましょう」だって。今日が今年最後じゃないんじゃんっ。ラスマエなんじゃんっ。なんか悲しいようなうれしいような。

12月17日(日)
 大江戸線が12日に開通した。車の生活になってからというもの電車にほとんど乗らなくなった。仕事のときは車で行くし。電車で行ってもいいんだけれど、着物と三味線を持って歩くというのを考えただけでシンドクなる。ただそれだけの理由で混雑した道を車に乗っていると言ってもいいぐらいだ。そんな生活を何年も続けているうちに、地下鉄は発達し、我が家の方も随分と便利になった。なにせ40年、東京に住んでいるのだから、どこどこ駅に行くにはどうやったら最短で行けるかなんかはあざやかだと思っていた。しかし、僕の頭にある路線図は20年近く前の路線図のようだ。南北線やらましてや大江戸線なんかはまったく書き加えられていない。しかもその20年前の路線図も少々風化してきている。京王線・小田急線・東横線などごっちゃになっているし、山手線すらちーとばかり怪しくなってきた。いかんぜこりゃ。そこへ昨今の携帯電話のiモードのナビで検索できてしまうので、「どこどこの駅に何時に」とか言われると、すぐに携帯電話をいじる癖がついてしまった。したがってまったく路線をおぼえないし、おぼえようともしなくなった。退化だねこりゃ。「どこどこに行くには・・」という考える回路が頭の中にあるのなら、僕の「どこどこに行くには回路」はまったくサビついてしまっているだろう。
 ではしょっちゅう乗る車の方はどうだろう。20年も東京の道を走ってるんだから、いっくらトロイ僕でも、あざやかなはずだと思っているし、それなりの自信もあったが、どうやら「どこどこに行くには回路」の閉鎖は運転にも影響するらしい。気がつくと「どこ走ってんだ今っ」なんてことが起きたりする。ぜーたいヤバイ。ボケに近いぞ、いやっボケそのものか?わーーーっ、ちゃんとしよー。よーく考えてから車に乗ったり電車乗ったりするよーにしよう。忙しすぎるという理由で、車や電車に乗ってから考えようなどと思うのはよそう。かえって時間をくうのだ。計画を立てて行動しよー。うんうんそうだ。
 どうやら僕の場合「出たと勝負」的なとこが多すぎるようだ。今まではなんとかなってもこれからもそうだとは限らないのだ。「出たとこ勝負」でうまく行ってたからと、それでいいのだーなどと有頂天になってたぞ。うーんヤバイとこだった。気がついてよかった。よーし来年の抱負は「出たとこ勝負的思考回路の見直し」にしよう。いやいや来年ではいかん。今から始めなければ。
 さて今夜から切り替えよう。下調べをしよう。えっと明日の予定はなんだ?「長崎ぶらぶら節」の三味線指導で東陽町のテレビ朝日のスタジオに行くんだな。よーし、地下鉄で行ってやろう。車より絶対早く着くはずだものな。うーんどこで乗り継ぐのが最短距離だ?新しい路線図はないか?地図帳でも見るか?家にある地図も古いなぁ。新しいのを買うか?ツタヤならまだやってるな。あっ読みたい本があったことを思い出したぞ。買ってこよう。あっ、ついでにビデオも借りてくるか。たまには気をかえるために誰ぞのCDも借りるか。うーん心に余裕が出てきたみたいだ。仕事以外に目がいくという余裕。いいね、これがゆとりさ、ハハハ。音楽雑誌も随分と見ていないしな。小説も読んでなかった。いい音楽も聴きたいな。なんかおいしいものも食べにいきたいな。決まったとこにしきゃ食べに行ってないぞ。新しいとこを開拓していかなければ。そうだ、洋服も買ってないぞ。ぶらっとショッピングなんぞここ何年もしていない。どーなっちゃってたんだー。あんなに洋服みたり買ったりすんのが好きだったのにー。
 わーっ退化していたー。ごく限られた範囲の頭脳しきゃ使ってなかったー。うー、リフレッシュするぞー、お金ちょーだーい。えっ、支払いで家は火の車ですって、あらっ現実だわね。洋服は、じゃっ、いいでしょ、別に着るもんに困ってるわけじゃないし。本もね、またでいいし、どうせ読む時間ないし。CDもいいやっ、どんなのがいいか選ぶのめんどくさいし。地図は買わなきゃいけませんよ。でも結構高いね。どうせまた来年になったら新版がでるしね。今のだって使えないわけじゃないんだからね。なんでも買えばいいってもんじゃないやね。そうそう、電車の乗り継ぎはiモードでいいじゃない。あるもんは使わなきゃ。持ってるものを最大限に利用してこそ価値があるんだからね。まあ最初に乗る駅はきまってんだから駅までの道々チェックすればいいや。そうだそうだハハハーってなーんも変わってないじゃんかー。


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