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鉄九郎の青?裸々な日常 第35号


2000年12月18日〜29日

12月18日(月)
 地下鉄に乗って東陽町のテレビ朝日スタジオへ。(編集部注:鉄九郎はテレビドラマ版「長崎ぶらぶら節」で三味線の指導を担当しています。)今後の予定の打ち合わせをする。今日の本番で宮沢りえちゃん扮する小雪が三味線の稽古をする場面があるが、時間の都合で立ち会えないので、弟子の白井くんを置いていく。昨夜いきなり電話をして「とにかくついてこい」と連れてこられた白井くんは、わけがわからずキョロキョロしている。もう、人のそういうとこ見るのだーいすきー!

12月19日(火)
 モワっとした日だ。コートがいらないくらいあたたかい。家の中の方がよっぽど寒い。お稽古日。少しずつ大掃除を始める。夜は久々に焼肉「李朝園」へいく。風邪ぎみの娘もよく食べる。

12月20日(水)
 はいはい、起きなさいよ、あーたっ、今日は幼稚園行かなきゃいけませんよ、ねっ、あーたったらっ、ほいほいっ、あっ、目あけましたねっ、ほれほれっ、起きますよっ・・おいおいっ、つむっちゃいけませんよっ、ぐーってあーたっ、ねちゃだめだって、ほれほれっ、かけぶとんをホレッ・・・なに、歯食いしばって寝てんだよっ、はいはいだっこしてくから、おきてよっ、おきたっ?はいっここのソファに腰掛けててよ、いまシェイクつくっから・・・ガーー(ミキサーの音)ーー、グーーっ・・おいおい、寝るなっつーのっ、はいはい飲んで飲んで、はいはいトイレトイレ、えっそりゃさむいよっ、脱がなきゃおしっこできないっしょっ。はい顔あらって、ンーパッ、ンーパッ、はいよーくできましたっ。着替えて着替えてっ、横になんないのっ!はい行くよっ、ベレー帽かぶって、ジャンパーはおって、てぶくろっ、つながってるやつ?動物がついてるやつ?どっちにするんです?んっあっ、ひざかけね、ほいほいっ、ちょっと待って自転車の用意すっから・・・はいはい抱っこして、ほれっと、足が寒い?膝掛けどしたの?おおここか、んっ、これでいいっしょ?えっキティしゃんのマスク?はいはいっ、じゃいくよっ・・・あのね、時間押してますからね、ちょいと急ぎますよ、しっかりつかまってくだしゃいよっ、いいっすね。それっ・・・ほらっはやいでしょっ、随分ほかのおかあさんたち抜いたっしょー、はいっ行って来ますのチュは?はいはいっ、おいっ、拭くんじゃありませんよっ!なーにわらってんの?えっだっこして?なんでよー、もう幼稚園の中じゃんっ、よーし抱っこして全速力だぞっ。ワーーーッ・・・あっカヨコせんせいエミせんせいおはようございます。えーっ風邪はだいぶいいようで、あっはいっ。お迎え何時でしたっけ?あっ、11時20分ねっ、はいはい、どうも迎えの時間か゜おぼえられなくっていけませんよ、えっそうなんです、僕がきます。・・・あっマリアちゃんおはよー、えっ仕事?ううんっ、夕方からだよ、えっ休みじゃないよっ、なんで仕事休みって思うの?ネクタイしてないからぁ、なるほどね、仕事ん時もあんまりネクタイしないなー、えっなにがヘンなのさっ?うんそうね、だけどネクタイしないお仕事もあるのさ、いやっヘンじゃないよー、ユウナちゃんもそう思うの?ヘンヘンってこれっユウカちゃんにサヨちゃんっ、こらつ待てっ、イテっ、これっダイキくん、やるかーっビーーッビーーーーッ。えっ、あっはいっ、そうそう、もういくよ、おれっ、オウッじゃあなっ、迎えにくっからっ、うんうん、イテッ、はいはいみなさん教室に入って入って、ほらほらっ、いやっ俺は帰るよっ、参観日じゃないんですからっ。はいはいっじゃあねー、イテッ!コラーッ・・・てな毎日もしばらくお休みになる、今日は終業式なのだ。

 毎月20日に新宿安田生命ホールでやっていた「志の輔らくご」もめでたく本日で千秋楽。毎回、開場時に邦楽のロビーコンサートをやっていたが、最終回ということで伝の会でやらせてもらう。志の輔さんとは6月のライヴ以来顔を合わす。あいかわらずさえててかっこいい人。またああいう企画をやれたらいいですねと話は盛り上がる。
 一時間だまって弾きっぱなしの我々としては変わった形の演奏をもって、伝の会の今年の活動はおしまい。いやーおつかれさまでしたねぇ・・・と終わるはずが、な、なんと三味線が壊れた!中棹のところが割れた!えーっ、ちょ、ちょっと待ってよー、もー、さんざん今年いろいろあってまだあんのー、「あーあ、それ俺が前厄のときと 同じこわれかただよ、それから大変だったろおれっ・・・なっ、これは単なる予告にすぎない出来事なんだよ、アツシ、気をつれてな」と邦さんが言う。じょ、じょーだんじゃないよー。

12月21日(木)
 今朝から娘を幼稚園に送らなくていいのだー。したがって8時すぎに起きなくてもいいのだー。やったー、寝られるー。というわけで本日10時起床。内弟子に入ったとき、師匠が「芸人といえどもしっかりとした生活態度をとらなくてはいけない。朝は10時には起きなくちゃだめだぞ」と言っていた。お勤めの人が聞いたら「ざ けんなよーっ」と言われそうだが、そのとき20才の私は「ふむふむ、なるほど早起きをしなければいけないのだな」と師匠の話に胸打たれたものである。なぜならそれまでの僕の生活は夜アルバイトが終わってから遊びに行ったり、バンド活動に行ったりして帰宅は午前様というありさまで、若さゆえかよく身体がもったなーという生活を送っていたからである。小学校高学年から深夜放送を聞き始め、中学高校と青っちろい顔をして音楽にのめりこみ、そのまま長唄の世界に入ってきたため、生活していくなかで朝型という字はまったくない。夜型も夜型で、また輪をかけた夜型の奥さんと結婚したもんだから、エライことになった。そしてそれは娘にとったら迷惑な話である。子供は早寝早起きの週間をつけなければ発育上よろしくない。絶対によくない。わかってはいるのだができないまま「そのうち幼稚園に行き始めれば自然と早寝早起きの習慣になるもんだ」と思っていた。しかし、こりゃまた困ったことに親がその生活について行けなくなっていた。情けないが身体がついていかない。このままではいけないと真剣に考えるようになったが、そこは呑気な夫婦で「まっとにかく来年一月 からしっかりと早寝早起きの習慣をつけましょう」ということになった・・・
 というわけで、久々に10時まで寝たー。10時なんて早起きの方よ。だって午前中だもの。ばかにしちゃいけないわよ。こちとら自由業夫婦よ、なんにもない日なんぞは"暗くなってから"起きてたのよ。日記書くときこまってたのよ、天気がわかんなくて・・・いかんいかん、強気になるととどまる所を知らない。
 なぜ10時に起きたかというと、なにを間違ったのか美容院の予約を12時にとってしまったからである。12時に表参道のfwdへ一家揃って行かねばならぬ。車がなぜか急に調子が悪くなり修理に出したため、地下鉄乗って行く。こどもは「電車に乗るなんて」と大喜び。テンションあがりきっちゃって頭から湯気がでそうだ。スターバックスでコーヒー買って行く、すごい!持ち込み有りの美容院、なんと家庭的な。僕がカットしてもらってると娘は隣の席に座って己の顔をうっとりながめ、髪をいじったり表情を作ったりしている。「えっ」てな顔して僕が娘の姿を見ていると、伊藤くん(僕の担当でやはり4才の娘を持っている)が「うちのも鏡すきですよぉ。家に大きな姿見があるんですけど僕と話をしながら目線はずっと鏡の中の自分を見てますから」と言 う。うっそー、うちは部屋の中に鏡がないから、こんな娘の姿みてビックリしていたのだ。「えっ、だって、こいつ、四つなのに、この姿ってオンナそのものじゃない。なんかドキッとするよ」「そうですよ。オンナなんですよ。男はこんなに鏡みないでしょ」「そりゃそうだ。俺だってこんなに鏡見るのは、ここへ来て鏡の前に座ってるときだけだもんな・・・しかし、本能だねぇ、こわいねー、どんどんオンナになってくんだろーね。」「そうですよぉ。どーします?これから」「これからって言ったって、えー、こりゃしょうがないだろ、せいぜい嫌われないようにするしかないかなぁ。でもそう考えると甘やかしちゃいそうだしな」「そのへんが難しそうですね。だっこだっこなんて言ってくんのも今のうちですよ」「そうそう、昨日なんか”だっこしてー”って言うから”えー”って言ったら、なんて言ったと思う?”だっこできるのも今のうちなんだからだっこしてー”って言ったんだぜ。どうよこれっ、思わず”あっそうか”と言ってだっこしちゃったよ。そしたら、してやったりという笑顔をすんだぜー」「ハハハ、うちもそんなんですよ、ハハハ」「なにわらってんにょ?」「あっ いやっ別に」「なによっ、べつにって、あーあ、こ・ま・っ・た・もーんだねー」おいおいっ、鼻歌うたうんじゃねー!  あんまり寒くないし、時間も早いから、コムデギャルソン寄ってから、原宿まで歩いてみるかという事になる。はー、何年振りだい、20何年振りかな?まさか表参道を親子三人で歩くようになるとわなー。なんだか最近しみじみすることが多いね。老けたのか?
 山手線乗って東上線に乗る。もちろん娘は寝てしまう。だっこされてよだれたらして寝てる姿は、赤ん坊のときと変わんないんだけどなぁ・・・

12月23日(祝)
 車はオイル漏れということで、修理を終え午後に帰って来た。さて出かけるか。今日は母の祥月命日だ。9年前の今日、なんの苦しみもなく60年の人生に終わりを告げた母。難病で壮絶な死に方を覚悟していたぼくらにはまったく考えられない不思議な亡くなり方だった。お通夜、本葬とも仕事だった僕は、全てのことを父と妻 にまかせきりだった。こんなものだろうと思っていた。親はいずれは亡くなる。逆縁にならなかっただけ幸せなことだ。芸人は親の死に目に会えなくて当然だ。親もそれをわかってるのだ。そんな風に思っていた。今年父が亡くなり「両親がいなくなったんだなぁ」という思いが日を追うごとにつのってきた。すると、9年間どこかに棚上げしていた母の死が、いつのまにか僕の腕の中でとても大きなものとなっていたことに気がついた。あーあ気がついちゃった。えらいこっちゃ。何で9年前にしっかり泣かなかったんだろ?父や妻と一緒に、せめて一晩でも二晩でも慰めあわなかったんだろ?母の納骨の朝、父をむかえに行くと、「いよいよお別れだな、まっ、毎晩ママと一パイやりながら泣いたからね」と母のお骨を抱え、涙をいっぱいためて助手席に乗った父。亡くなったのは僕の母ではなくて父の妻なんだと言い聞かせていたような・・・
 墓前で祈ると涙があふれた。母の墓前で初めて泣いた。「ごめんね」としか言いようがなかった。今母がいたところで、あいかわらず口喧嘩のような会話しきゃしないだろ・・・考え方がよく似ていただけに、母は僕の考えなど見通していたろう。「あんなこと言ったってこうなるに決まってるよ」と言いたいところをグッとこらえて僕を見守っていたことが、今の僕にはよくわかる。自分も日舞の世界にいて、邦楽界のきびしさ怖さをよく知っていた母が、20代のただ生意気だけの息子を身近に見ていて、どんなに歯がゆく、時にはつらい思いをしたことだろうか?僕がこの世界に嫌気がさし「来年になったらやめるかも知れない」と言ったとき「あっちゃんが長唄の世界をやめたら私だって踊りの世界にいられないわよ」と言っていた。なにも母が命より大好きな日舞をやめることはないし、そんなにまでして僕をひきとめてるのかと思った。そうではなかったんだということが今痛いほど僕にはわかる。親ってすごいな。そう思うわな。子供の好きなようにさせてやりたいと思い、それによって、きっとまわりに迷惑をかけるから、自分も責任をとるというのか。でもそんな意志をちょこっと言 うところが母らしい。「あっちゃんも20年たったらわかるわよ、この気持ちが」と言う言葉を飲み込んだんじゃない。
 時がたたないとわからないことがある。「ここが道だよそっちは違うよ」と言われても通ってみないとどっちが道なのかわからない。誰もがそうやって大人になってきた。親は子を見て「こっちが道だよ」と言ってやりたい衝動にかられる。けれど、そう言うのがやさしいさじゃないことも知っている。違うと思いながらも子供が気がつくまで、ジッと見守る、母もそんな母だった。口にはださないが心配で心配でしかたなかったろうな。当たり前かそんなこと。
 「パパのおかあさんはあたしににてるのよね」と娘が言う。顔はもちろん、食べ物の好みまで気持ちの悪いくらい似ている娘を持って僕もあのときの母のような気持ちを抱くときがくるのだろうなと妙な感覚におそわれた。

12月24日(日)
 娘が通う田柄スイミングスクールで「宝さがし大会」が行われた。なんなんだよっ、宝さがしって?プールの中に番号とかがあるんだろうな・・・そのとおりの大会。いいんです、この分かりやすさがホッとするんですね。19番をひいた娘はおもちゃの大入り袋と引き替えてもらいご満悦。そうね今日はクリスマスイヴだわね。うれしさを父と分け合おうというのか、「コカコーラポトランス(ボトラーズ)のバッグほしい?よっぽどほしい?」と聞いて来る。
 この娘、サンタクロースのことはどう思っているのだろうか?去年までは、なんにも言わなかったが、今年幼稚園に行きはじめてからというもの、国民的行事のクリスマスが近づくにつれ”クリスマスにはサンタさんからプレゼントをもらえるよ”としっかりインプットされ、なにをもらおうか?と随分と前から考えていたようだ。
 昼食を食べに行ってもやけにいい子でいる。不思議に思っていると、今日いい子でいないとサンタさんからプレゼントがもらえないという事らしい。親の方も「ほらっ、よそ見しないでちゃんと食べないとサンタさん来ないよー」とかつい言ってしまう。こんなんでいいのかな?と思うがプレゼントはもう買ってあるし、「どうせあげるのだから少しでも教育に利用させてもらうぞ」という思いがあからさまにでてくる。なんか単におもちゃが増えるだけでいやだなーとか思う。お弟子さんたちからも「クリスマスやってあげて下さいよ。私も小学校2,3年までは信じてましたから。」とか言われる。お稽古のあと、奈緒ちゃんちへケーキ持って遊びに行く。
 お風呂あがって午前2時、一杯飲み始める。おとなしくしている娘。「もう遅いよ、コロンとして寝たら」と言うが、ショボンと座っている。そろそろ寝るだろうとほっておいたら、突然シクシク泣き出した。「どうしたの?眠いんでしょ。寝なさいよ」と言ってもシクシク泣いている。「どうしたの?言わなきゃわかんないよ、言ってごらんなさい」と言うと「サンタさんに会いたい」と言う。「えっ、サンタさんに会おうと思って一生懸命起きてんの?」「うん。サンタさんにあいたいよぅ・・・」ハハハハハ、そうかぁ。夜になるとサンタさんが来てプレゼントを手渡してくれると思ってんだ。へーっ、聞かなきゃわかんないねー、サンタさんがいるのかいないのかどころか会ってプレゼントをもらえると信じていたのだ。「おい娘よ、サンタさんはおまえが寝てからそっとやってくるのだぞぃ。安心して寝るがよい」と言っても首をふるばかり「では、こうしよう。起きててかまわないから、とにかく横になるがよい。もし今来たら教えてあげるよ」と言うとやっと安心して横になった。
 毛布をかければできあがり。一分以内で寝息をたてる。ちょろいもんじゃのぅ、こんなに眠かったのに必死で起きていたんだのぅ。お風呂をはいりたがんなかったのも、余計眠くなるのをおそれてのことだったんじゃのぅ。娘に対してサンタさんの存在を信じているか否かなどとは愚問であった。どうして疑うことを知っているだろう。人を疑うことを知らず、人の言葉を疑うことを知らない。この子の頭の中には「疑う」という考えはないのだ。見るもの聞くものの全てを信じて生きている。勘ぐって悪かったな。やたらに物をほしがる人になってもらいたくないとの思いから、おもちゃとかは最小限にしようと決めていて「クリスマスだからと特別なことはしないんだぞ」と決めていたが、娘はおもちゃが欲しいのではなく(まー欲しくないということはないだろうが)、真っ赤な服来て白いヒゲをはやした太ったやさしいサンタクロースにだっこされたいんだ。そして、どんな些細な物でも(グリコのおまけくらいのものでも)「はいっ、いい子にプレゼントだよ」と手渡ししてもらうことを夢見ているのだ。”おもちゃを買い与えること”と考えてしまった自分が恥ずかしいわい。そういや「なにが欲しいの?」と聞いたとき、「ううん、なんでもいいんだよ、えっ好きなものをくれるの」と言っていたっけ。気づかせてしまったのは親だった。
 なんだか最近、「あっ」と思うことばかりだな。ベットに寝かせ、プレゼントを枕元に置いた。

12月25日(月)
 朝ベッドで娘がプレゼントを指さし「きれいなおりぼんだね」と言っていた。あれっ感動してないな?「サンタしゃんきたんだねー」とか言ってバチッと起きんのかと思ったよら、リボン見てポーッとしてんだもんなぁ。「きれいなあかいふくろだね」なんだなんだまだそんなこと言ってんのか。以外にあっさりしてんのね、まっそんなもんか。さて起きるかな・・・「それプレゼントじゃないの?」と言ってみた。「えっ・・・クリスマスプレゼントなの?」おいおいっ、様子が変わってきたぞ、なんだなんだ気づかなかったのか?「ほんとだー、メイシーちゃんのえほんだよ。ほらっすけてめーてるよっ」「おっやったなー、サンタさん来たんだな、気づかなかったよ、開けてみたら」ガサガサ開けて、本を手にとり「わーっ」とか言ってる、子供ってほんとに絵に描いたようにパーッとなるのがおもしろい。しばらく眺めていたと思ったら、急にうつむいてシクシク泣き出した。おいおいっ、なんだこんどは?なんで泣いてんだこの人は?「どした?感動してんのか?」「コックリ」おお、感動してたのか!うれし泣きか。そーかそーか、サンタさんが来てホッとしたか、良かった良かった、その本大事にすんだぞ。さっ、きみっ、プレゼントもらったからといって安心してはいかんよ。今日からもっといい子にして親の言うこと聞かないと、来年のクリスマスはサンタさん来てくんないかもよ。もう来年のクリスマスに向けての査定は始まっているのだぞよ・・・親ってずるい。

12月26日(火)
 大掃除ですな。我が家でも妻がいろいろとやってくれている。昨年は大掃除の途中で2000年をむかえてしまったという苦い経験がある。僕は自分のむものがなかなか片づけられないでいる。お稽古場の片づけもある。どっから手をつけようかと考えているうちに寒さのあまり明日にしようと思ったりする。明日になったらあたたかくなるのかよーとも思うが・・・だらしがないねしかし。

12月27日(水)
 前進座へ。毎年一月は京都南座で公演がある。来年は「お浜御殿」と「魚屋宗五郎」。両方とも黒みすで弾く出し物。車で前進座に着いて、荷物をおろし歩きはじめるが、なぜかいつもより荷物が少ない。「あれっ、こんなもんだっけな?着物だろ、バッグだろ・・・あっ、しゃ、三味線がないっ!うっそーっ、えっ、用意してったのに、えーっ、三味線わすれたぁ?まさかっハハハッ、やだぁ、だって三味線弾きじゃーん。ま、まさか三味線持ってこないってことはないでしょ。車に積んだのを忘れてんだろ。うしろの席にあるさ・・・な・い・ハハハ、ハハハハ、ワーハッハッハッ・・おいおい大丈夫か?しっかりしろよ。どうする?取りに帰る時間はないし、着物だけ着て三味線なくて邦さんのとなりにニコニコ座っててもなー、まっなにもニコニコしてなくてもいいか。でもむっとしてんのは違うような気がするし、やっぱり笑顔の方がいいかな。笑顔だよな、うん、「しょうがねーな、てつくろちゃんは、まあ愛想がいいからいいか」ってなことになるわけないやんっ!なに考えてんだ。と、とにかく邦さんに電話だ。「もしもし」「はい」「お、おはようございます」「おうっ」「もう出ちゃった?」「いやっ、まだ家だよ」「ちなみにそこに三味線ある?」「えっ、あるよ一丁」「ハハハ(助かった、天は我を見放しはしなかったぞ)ハハッ、へへっ、三味線持ってくんのわすれちゃったー、エヘヘッ」「エエッ!」「いやっ確かに用意してあったんだけど積みわすれちゃったようで」「んっ、持ってくよ・・・だけどお前なにしに来たんだ?」・・・ひゃーっとにかく何とかなったぞ、ささ着替えて着替えて。「あっ佐之隆さんおはようございます。よろしくおねがいします。いやー、京都ですねー。寒いでしょうねー。どうです、お身体の方は?えっ、ははは、お元気そうじゃないですか、大丈夫ですよ。ぜんぜん、えーっ、僕はもう、はい、元気だけが、へへへっ、そうなんです。はははっ、お茶いれますかっ?はははっ。いやいやどーも、よいしょっと・・・」「えっ、あっちゃん三味線持ってきてないっ!いい仕事してるねー」「ははっ、ばれましたかー?まっそんなこともあるってことで、どーも、弘法も筆のあやまりっ、なんてーことを言いましてねっ・・・」
  古典空間にちらっとよって、渋谷道玄坂の「浜ちょう」へ。翫一(花柳)さんの忘年会に出席させてもらう。左恵さんも笹公さんもいらっしゃるのでヨーロッパの打ち上げもかねましょうと言うことらしい。なるほどなるほど、お世話になりましたもんね、そりゃあいろいろと。ちゃんとお礼を言った方がいいですな、と思いつつ行ったのですが、なんかいつもの調子で邦さんと騒ぐ。

12月29日(金)
 「長崎ぶらぶら節」の女優さんに三味線の稽古をする。監督と女優さんと相談しながら作っていく、とても楽しい。頭の中に描いているさまざまなことを一つずつ丁寧に形にしていく作業は、ささえるスタッフがしっかりしていればいるほど余裕を持って進められていく。プロの感覚というものを間近で見せていただいた。僕らを囲んでる人の的確な言葉と行動。みんながひとつの方向にあたりまえのように向かっていて、何をすべきかを確認しあう。全員がこの仕事を自分事とかんがえている。気 持ちのいい仕事だ。場所をかえ、午後2時よりテレビ朝日で数曲を録音する。この作業もとても手際よく行った。これが今年の仕事納めとなる。いやー今年もよく働いた。なんで裕福にならないのかが不思議でしょうがない・・・まっ、いいか。そんなことを思いながら、家路につく。
 夜中、テレビをつけるとザ・バンドの「ラストワルツ」をやっていた。大好きだったザ・バンド。今でもわすれられないザ・バンド。最後のライヴを映画にした「ラストワルツ」、何度観たか知れない。音楽ってすばらしい。音ってすごい。一人かけてもザ・バンドの音はでない。それってすごいことだ(なにもザ・バンドに限らず)10代のころ、将来こういうライヴができるような人になりたいと思った。伝の会をやってきて確実にその夢は実現にむかってると感じる。10代のころギターを三味線に持ち替えるなどとはみじんにも思わなかったが、その時僕の心に芽生えた小さく大きな夢をずっと追ってるんだなと今夜思った。「なあんだ、自分はちっとも変わってないや」と思ったとき、心からうれしかった。毎年年末になると「ラストワルツ」をやっているが、20世紀の終わりに大事なことを僕に思い出させてくれた。


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