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鉄九郎の青?裸々な日常 第41号


2001年2月25日〜3月8日

2月25日(日)
 仕事でいろいろな土地に行くことがおおい。支度は間際にする。本当は前 もって支度して準備万端整え、当日はゆっくり出発すれば良いのだが、前もって支度 をするということが、いつのころからか出来なくなった。忙しさにかまけて出来ない のかと思っていたが、時間に余裕のあるときでも支度をしないところを見るとそうで もないらしい。それでも出発前日に支度すれば良い方で、たいていは当日の朝あわた だしくバッグに荷物を放りこんで逃げるように出かける。空き巣のようだ。そんな無 計画の僕の話を聞いて「忘れ物が多いでしょう?」とたずねられることが多い。しか し、意外に忘れ物はないのだ。だからこの癖はなおらない。「癖」、そうなのだ、 「癖」なのだ。忘れ物は少ないが、いらないものがたくさんバッグに入っていたりす る。
 28日から東欧に行く。邦さんと僕の着物や小道具を入れたスーツーケースがひとつと、 私物のスーツーケースがひとつの計二つのスーツケースと三味線にバッグ。とてもじゃ ないがこんな大荷物を持って成田までは行けない。成田空港ヘスーツケースを送ろう。 最近は便利になった。こういうと年寄りじみているな。だって初めて海外に行ったの は20数年前にもなるんだもの。
 余談だが、この間車を運転してた時の会話「この辺も変わったわなぁ」「えっ、そ うですか?いつ頃と比べて?」「20年前」「変わってあたりまえじゃー!」と思いっき りつっこまれた。 だってだって20年前って行ったって1980年だよー。ぜーんぜん最近だよー。 僕のお弟子さんの中で一番多い年代が22、3才の子たち。「あっ、22才っていう と1978年生まれ位でしょ?セックスピストルズやYMOだよね」と言ってキョトンと しているお弟子さんの前で、一人、目をつむって腕を組んで「東風」のメロディを口 ずさんでたりする。そのころ生まれた子どもたちが大学を出て働き始め、歌舞伎を見 に行ったりして、三味線っておもしろそうだなぁ、などと思い、インターネットで伝 の会のホームページを見つける。うーん立派な大人だ。やはり1980年は立派な二昔前 ということか。
 なんの話だったっけ?そうそう成田のスーツケース。二昔前は「あたしゃ海外にい くんですよー」と、みんな当たり前のようにスーツケースをガラガラ押して行ったも んだ。しかし、今や成田空港まで宅配便で送れる。もう手ぶらで成田まで行ける。ふ と電車で隣に座ったひとが明日の昼には「ピラミッドの中って以外に暑いんだね」っ てなことを言ってるかも知れない。うーん、わかりづらい世の中じゃ(なにがじゃ)。
 さて成田空港にスーツケースを送る場合、28日の出発前までには着いていなければ いけないということは、サルでもわかる。26日には出そう。でも26日は都合が悪いの で25日に出す。げっ、今日やんっ。わーー、あわてろー。と、とりあえず必要と思わ れるものを詰めろー。バタバタバター。よーし出来たのだ。なんかスカスカしている が、まあいいだろ、こんなもんだろ、たかだか10日なんだから、軽いに越したことは ない。ま、とりあえず着物と三味線とパスポートとチケットがあればことが足りるの だ。 ということで無事二つのスーツケースは成田空港第2ターミナルに向けて出荷されて いった。あーシンド。洋服は普段着を送った。さあて、出発まで何を着ようか?

2月26日(月)
 午前11時、東陽町のテレビ朝日スタジオへ。今日は一日、女優さんたちの 唄・三味線のお稽古をし、今後の撮影スケジュールの打ち合わせなどをする。 いろいろな女優さんたちと話をさせていただくのだが、邦楽に取り組むってことはたー いへんなことだと言う。ある女優さんがこんな話をした。  「こないだロケに行った時ね、○○さんが『長崎ぶらぶら節』の歌をね、鼻歌で歌っ てたの。私は必死で覚えようとしているのに、あの人はもう鼻歌で歌えるの。それで ね、うらやましくって、『どうやって覚えたんですか?』って聞いたのね。そしたら ね、丸一週間ずーーっと『長崎ぶらぶら節』を聞いてたんですって。最初は歌のメロ ディと三味線のメロディがバラバラに聞こえてきて、なんだか二曲同時に聞いてるみ たいでイライラして投げ出したくなるんですって。でもね、そのたびに気を取り直し て、とにかく聞くんですって、そしたらね、一週間したらね、フッと歌えるようになっ たんですって。あの方ってすごいわよ。そうやって努力するの大変なことだと思うも の。その話聞いたらね、私が覚えるのに時間かかるのも当然って思ったの。一週間よ、 一週間ずーーっと聞くのよ。私もね、そこで鼻歌で歌えてたらさ、一緒に歩きながら 歌えたじゃない。それができなかったことが悔しいわ。だからがんばるわ」 僕はその女優さんのファンになった。まったく未知のものに取り組んで、しかも、そ のことがあざやかな人を演じるんだもの。すごいプレッシャーの中で、それに真正面 から向かっていく姿勢のすごさというのを市原さんはじめ、僕が関わる女優さんたち 全てに感じる。
 今回の仕事で、お客さんの前に立つということで根本的に何が大事かを教えていた だいた。小細工やテクニックなど薄っぺらなもの。真正面から立ち向かっていくとい う、一番当たり前のことの中に答えが待っている。
 ここまでやったのにできなかったと思うのは自分で自分をあきらめるサイン。「こ こまでやったのに」と思った一歩先に答えがある。そこに一歩踏み出すか出さないか は、実は心の奥底の自分が決めているんだ。

2月27日(火)
 さあて、明日の前日。なんか変だけどまさに今日は「明日の前日」と言 う感じ。3月9日までの日本の段取りを組む。もちろん「長崎ぶらぶら節」がメイン。 僕のいない間に三味線関係の撮りがある。その段取りを必死で考える。お弟子さんに 約束していたお稽古テープを録音。それから忘れちゃ行けない明日からの準備。手持 ちの物を揃えたりする。なんか「飛ぶ鳥後を濁さず」という感じ。いつものつけそば を食べ、焼肉を食べ、なんか忘れてることはないかと確認をする。ウン、ヨシ。大丈 夫だ。
 昨年の八月、イタリアに立つ前日、父の顔を見たときに虫の知らせか「これが最後 かな」と一瞬思った。今回ばかりは行きたくないと強く思った瞬間でも会った。そし てそのとおりになった。僕の意識の奥の意識の中では気が付いていたことだったのだ ろう。今回はそういう気持ちがない。仕事の途中でもあるし、仲間やお弟子に託して いることも大きい。妻も娘も暖かい(いや、いつも)。よーし良いステージをやってく るぞ。「伝の会の邦寿と鉄九郎、いいじゃん」と言ってもらえるようにあったかい舞 台をやってくるぞ。9日に日本に帰ってきたとき、心にいろんなお土産を持ってみん なに渡せるようになりたい。
 明日、飛行機で12時間寝られるから今夜は徹夜をしてもいいけれど、瞼が言うこ とを聞かないので就寝しよ。娘が寝るときに「明日おまえが目を覚ましたときには、 僕はもういないけれど、お母さんの手助けをしてあげるんだよ。今度は絶対にお土産 を買ってきて上げるからね、なにがいい?」と聞くと、「風船五つ欲しい。ピエロみ たいになりたいから」と言った。


「ヨーロッパ三味線ツアーの巻」

2月28日(水)
 朝七時の大江戸線はすいていた。スーツケースが無いので三味線とバッ グを下げている。外国に行く気がしない。そうか、スーツケースをえっちらおっちら と自分で持っていくということは、これから海外に行きまっセーという自分を作るた めにはいいのかも知れない。
 新宿発の成田エキスプレスで小野木さん邦さん上妻さんに会う。成田空港第2ター ミナルで高久さんと国際交流基金の今井さんが待っていた。 ここんとこ邦さんと二人っきりで海外に行くのが続いたため、チェックインを人にやっ てもらうなんて、なんか偉くなった気分。両替は取り敢えずドルに、今井さんと別 れ、いよいよ五人の旅立ちとなる。出国してANAのラウンジへ。早速飲み始めた。 ビールがうまい。ほろ酔い気分で搭乗して午前11時25分離陸。機内は快適、二階 のビジネスクラスで24人の空間。寝るのがもったいないくらい。映画は「シャフト」 「ミート・ザ・ペアレンツ」を見る「バックトゥザフューチャー」を手元のテレビでやっていて懐かしいなと思いながら 見る(上妻くんも邦さんも観ていて、帰国までマーティのお父さんの物まねが三人の 中で流行る)。この映画でとても好きな場面がある。お父さんとお母さんの仲を無事 に取り持ったマーティが、二人と別れる際に「君達の子供の一人が八歳になったとき、 まちがって居間の絨毯に火をつける。怒るなよ」というセリフがある。大好き。特に 父も母も居なくなった今聞くと、泣けてしょうがない。
 12時間のフライトが終わりウイーンに着くと28日の午後3時になっていた。在 オーストリア日本国大使館の諸永京子書記官と野口優子派遣員が迎えにきてくれてい た。ウイーン市内まで車で20分くらい。便利だね。ケルントナー通りのホテル・オ イローパ(ホテルヨーロッパということやね)104室にチェックイン。邦さんと上 妻くんと近所をブラっとする。ついこないだ来た感じがする風景。考えてみると、こ の2〜3年、海外といえばヨーロッパにしか来ていない。こういう風景が見慣れた景色 に見える自分に驚いた。
 午後七時、AugustinerKellerに於いて丸山総括公使主催夕食会。諸永さんに加え滋 賀書記官も同席で大いに盛り上がる。ウイーンでこんなにお持てなしを受けるとはと は思わなかった。心地良い疲れの中、10時過ぎに就寝。

3月1日(木)
 午前8時30分、邦さんと上妻くんと一緒にマクドナルドへ行く。ウ イーンの水は、アルプスの天然水でとてもおいしい。そしてコーヒーがおいしいこと でも有名な所だ。こんなにおいしいマックのコーヒーを飲んだことがない。なにもマッ クで気が付かなくてもいいものだが。 ホテルの朝食がついていたこともあとになって気がついた。
 チェックアウトして市内観光、泊まっていたホテルが観光地の真ん中にあったため 徒 歩でだいたい観光ができる。野口さんに案内していただく。シュテファン寺院や王宮、 オペラ座。やけに日本人も多い。日本大使館も徒歩ですぐのところ、昨夜のごちそに なった御礼にミニライヴをやる。なんか久々に三味線弾いた感じがした。 ウイーンの空港向かう。野口さんとお別れして出国。高久と上妻くんは空港のラウジ でパソコンと取り組むが、どうも接続できない。「くやしいっスねー」と言いながら 搭乗。スコピエに向かって出発。
 スコピエはバルカン半島の中央にあって、マケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国首 都で人口60万人。国自体も200万人というから横浜くらい(なにが?)。 二時間でスコピエに着いた。バラバノフ名誉総領事はじめ、カズさん、カズさんの娘 さんのノリカちゃんの出迎え。40分くらいで宿泊先のホリデイ・イン・スコピエに 着く。チェックインしてすぐにアーミーホールへ。あちこちに「三味線コンサート」 というポスターが目に着く。テレビ・ラジオでもかなりの宣伝をしているらしく、 「スコピエは三味線一色です」と言う報告を受ける。ありがたいことだ。アーミーホー ルに到着。ここの舞台、一目で気に入った。あたたかい感じの会場。音響も照明もほ ぼ作っておいてくれたらしく高久も一安心。ぼくたちは三人のセッションの練習をす る。セッティングが出来るとノリカちゃん先導のもとスーパーマーケットに寄りなが らみんなで歩いてホテルへ帰る。
 スコピエはマザーテレサの生まれたとこらしい。生家の跡地もあった。ウイーンよ り南下したため夜でもそんな寒くはない。ホテルでゆっくりお風呂に入る。ああ幸せ。
 午後8時よりバラバノフさん主催の夕食会。スコピエは国旗に太陽が描かれている ように、おひさまの国だそうで野菜がおいしいという。「トマトとかが特においしい のですよ」と一人一皿ずつ大盛りのサラダが来た。レタスとかキャベツとか確かに子 供のときに食べた濃い味がして美味。「アツシはトマトが食べられないんですよ」と 邦さんがいらぬことを言うので「そんなことありませんよ」と何十年ぶりかで一切れ 食べる。うーー、子供んときに嫌いになった味だー。バラバノフさんがウエイターに なにかささやいたなと思ったら僕の前に大きなままのトマトが大皿で来た。やるなー バラバノフのおっさん。オフリッド湖でとれる魚料理が良いと言われたが、ステーキをいただいた(なんやっ) 。ウイーンは白ワイン、スコピエは赤が特においしいということで、まあおいしい赤 ワインをごちそうになりました。午後11時すぎにホテルへ戻る。もうフラフラ。

3月2日(金)
 スコピエ公演はステファノスキー(VLATKO STEFANOVSKI)さんという、こ ちらでは(ヨーロッパ全体でも)国民的なギタリストとの共演をすることになってい る。ぼくらも楽しみだ。アンコールの時には彼の曲をやろうということになっていて 邦さんが彼のCDを聴きまくって「ゴーイングバック・スコピエ」という曲を選び三 味線譜におこした。とりあえす三人であざやかになっておこうと午前10時から邦さ んの部屋でさらう。午後にアーミーホールに入り、リハーサル。しばらくするとステ ファノスキーさんがやってきた。いやー、気さくな良い人ですよ、良かった良かった。 やっぱり逢うまでは不安だもんね。おかげで和やかにリハーサルが出来た。ほっとし てホテルに帰りゆーーっくりお風呂に入り昼寝をする。なんか良い身分だなぁ。
 午後八時開演で七時半開場だそうだが七時過ぎからお客さんが集まってきた。こっ ちではとても珍しいことらしい。たいてい開演間際にボチボチ集まるというのが普通 らしく係りの人が慌てていたらしい。700近い客席は開演間際には一杯になり通路 まで立ち見でびっしり。ロビーも人であふれ、会場にすら入りきらない人が出て、今 にも暴動がおきそうになったらしい。マケドニアテレビの中継も入っている。
 立錐の余地もない会場。松羽目をバックに黒紋付きの上妻くん登場。黙々と津軽じょ んから三味線を染み渡らせた。割れんばかりの拍手の中、上妻くんが退場すると伝の 会の出番。滝流しを立奏。山台に移って二曲やって退場するのだが、今回はトーク無 し。他のミュージシャンならともかく、伝の会はどうにも黙々と演奏することが苦手 (いつからこうなったのだろう?)。なにかしたくなる。ボディアクションで様子を 見ながら曲と曲の間で笑いをとった(いつからこうなったのだろう?)。
 僕らが終わると休憩のはずだったが、あまりの人の多さに休憩を取ると混乱がおき そうだという。ならば、ということで休憩無しではじめることに。ステファノスキー さん、アガッチ(上妻くんと親しくなってきたので愛称でよぶことになりました)、 伝の会と登場する。日本から来たミュージシャンに捧げるということでステファノス キーさんがソロで一曲演奏してくれた(アコースティックギター一本ですっごい音楽 を奏でる。興味のある方はCD聞いてみてください)。次は前代未聞、アコースティッ クギター、津軽三味線、長唄三味線で四人のセッション。これが実に凄かった。うま く言えないけど「なんでもできんだなー」という感じ。花束もらって袖に引っ込む。 鳴り止まない拍手。「じゃ、いってください」と高久の合図があり、四人で再びステー ジへ。「ゴーイングバック・スコピエ」を邦さんのソロから静かに入り、全員で弾き 始める。「オー」という歓声とともに気が付いたお客さんたちの手拍子。会場がひと つになった。

3月3日(土)
 今日の公演先はプリレップという町、車でフリーウェイを一時間半飛ば すと半径を岩山で囲まれた、赤い屋根の家並が見えてきた。ゴッドファーザーの故郷 のような所。なにやら懐かしい。町のホテルで主催者たちや元大臣にと会う。昨夜の レセプションでも元副大統領やいわゆる大物の人達と会うが、みな気さくで、とても 歓迎してくれている。今日公演するプリレップ市民劇場は主に演劇をやっているとい うキャパ250余りの小屋。廻り舞台がついている。  午後3時開演。上妻くん、伝の会とやり、三人で再び登場しセッションを。リズム をとる人や踊る人もいて、ぼくらの音楽を身体で受け止めてくれていると実感した。 アンコールはステファノスキーさんの「ゴーイングバック・スコピエ」を本人抜きで 演奏する。昨夜彼に演奏の許可を申し込んだら、逆に喜んでくれた。ヤンヤヤンヤで 終演。出待ちの若者たちもいて、うれしかった。レセプションでは市長さんに丁寧に お礼を言われ日本とマケドニアの友好関係に貢献できたことがうれしかった。今日も テレビ局(プリレッツの)が完全録画しており、それが放映されるとまた反響も大き いだろう。バスで熟睡してるうちにホテル着。「ゴールデンロード/金路」という中 華飯店に行く。おいしかった。

3月4日(日)
 朝食のあと、部屋でくつろいでいると、ベランダがついていることに気 が付いた。ホテルの窓は少ししか開かないものと勝手に思っていた。うービジネスホ テルなれじゃーー。 外に出てゆっくり景色が眺められることに三日間気付かなかった。さっそくミネラル ウォーター片手に外へ出てみる。Tシャツ一枚でいいくらいポカポカ陽気。ヴァルダ ル川が見下ろせる。日曜なので通りもおだやかだ。うーん優雅じゃ。突然電話がなる。 「長崎ぶらぶら節」のAPの江良さんからだ。今日は僕関係の重要な撮影の真っ最中。 撮影の経過や帰国後のスケジュールの調整をした。のどかなスコピエの町を見下ろし ながら「9日に帰国したらその足で根津神社のロケに参加します」と言っている自分 が不謹慎だが妙におかしかった。
 京子さんとのりかちゃんの案内で「石橋」を渡って旧市街へ。この「石橋」だが変 わったもではないのだが14世紀に建設されヴァルダル川の両岸を結んでいる。渡っ た旧市街はオスマン・トルコ時代にワープした感じで石畳が続き、靴屋、鞄屋を始め 両脇に店が並んでいる。市場まで行き、引き返してくる。
 ホテルに戻りチェックアウトして、空港へ。バラバノフさん、かずさん、のりかちゃ ん、諸永さんといよいよお別れ。何ヶ月も一緒にいたような気がしてとても淋しい。 またここで公演ができたら良いな。ここを基点に外にもいろいろな所に行けるし、は やく戻ってきたいと思いながら出国した。ゴーイングバックトゥスコピエーーー。
 2時間半でミュンヘンに到着。、昨秋長い時間過ごしたフランクフルトの空港とよ く似ていると思ったら、ともにドイツの空港ということだわな。ラウンジで小一時間 ビールを飲みザグレブへ向かう。本当はスコピエからザグレブへの直行便があるのだ が、曜日の都合で今日は無く、ミュンヘンまで来てグーッと戻るということになって いる。ミュンヘンまでビールを飲みに来たという感じ、うーん贅沢だ。ミュンヘンか らザグレブ迄は一時間、うん、あっという間だった。それでも食事が出るんだからす ごい。意地で出すんだと誰かがいっていた(なんの、誰の意地なのだ?)。ザグレブ空 港には在クロアチア日本大使館の茅本有里理事官と渡邊派遣員が出迎え。車で30分 位でホテルインターコンチネンタル着。道が広く都会を感じさせる良い所という印象 を持った。亀田和明臨時大使、通訳をしてくれるマスミ・シュティグリッチさんと合 流してホテル内のレストラン「カプトル」で打ち合わせを兼ねた夕食を。スコピエと 同じく治安は物凄く良いとのこと。たぶん今の日本より良いと。まあ内戦があったり 50キロ先でいざこざがあったりしているが、日本人が思っている物騒なとことは全 然違う。これは今回の旅で痛切に感じることで、かたよった情報と先入感というのは 恐ろしいということだ。

3月5日(月)
 昨夜、夕食会のあと五人でホテルのバーに行った。ちと飲みすぎたよう だ。目が覚めたらクラクラしている。市内をマスミさんが案内してくれるという。あ いにくの雨模様。中央駅前広場から市場、聖スティェファン大聖堂。17世紀初期、魔女よけの矛が掛 けられており1731年の大火で木造の建物は焼け落ちたが、灰の中から聖母マリア の絵が燃えずに発見され、以後「マリアの奇跡」が信じられているという、マリア伝 説で有名な「石の門」。屋根の色瓦がすっごく美しいモザイク模様の14世紀のカト リック教会である聖マルコ教会などをまわる。 昼食後、会場行ってリハーサル。夕方一度ホテルに戻りのんびりする。開演午後八時。 レセプションで飲んでホテルへ帰りバタッと寝る。

3月6日(火)
 今日は曇りで比較的あたたかい。また二日酔い。どうもワインを飲みす ぎてしまう。亀田さんが朝ごあいさつに寄ってくださり、ぼくらは大使館のサーニャ 職員の案内で買い物へ。買い物というより、街を歩いたり景色を見たりするだけでと ても楽しい。しかも大使館の人がいつも着いていてくれていろいろ説明してくれるの だ。どこへ行っても、とても良くしてくれる。今日、案内してくれてるサーニャも実 に楽しい人(娘)。いつもステージの終わりに一人ずつ花束をもらうのだが、邦さんに 渡した金髪のかわいい女の子が「すてきな演奏をどうもありがとう」と完璧な日本語 でしゃべった。邦さんは一瞬、「俺もクロワチア語が理解できるようになったのか」 と錯覚したほどの西洋人だったのだ。その子が大使館のサーニャさんだった。長いこ と仙台に住んでいたらしい。
 もうひとつ、我らがプロデューサー小野木ちゃんのことをちょっと。 どこの土地に行っても市内視察という、つまり市内観光がスケジュールに入っている。 観光したり、なんか買ったりすることはもちろん楽しいことだ。けど、男五人のむさ 苦しい旅では「おみやげを買う」という発想には、まだならない。「帰るころにどう しようかなー?」ってな雰囲気だが、小野木ちゃんだけは違っていた。ウイーンに降 り立ったときから大使館の人に「球根を売ってるとこは・・・」と言っている。 なぜ?どうして?あとの四人は「おみやげ=球根」という小野木さんを不思議がったり 微笑んでみたりの日々が続いている。球根は税関でダメなこともありそうだから「花 の種」を探してもいる。今日もサーニャを連れ「球根を・・・、ならば種を・・・」 と花屋めぐりをしている。ここでもいくつかの花の種を買い、機嫌の良い小野木さん、 楽しいおっさんだ。そんなおっさんを始め、あと四人のヘンテコなおっさんにも機嫌よくつきあってくれ たサーニャとお別れして空港へ。  
 午後12時50分、ミュンヘンに向かった。ミュンヘンでビールを飲み、乗り継ぎを して2時間余りでコペンハーゲンに着く。半年前に訪れた忘れられない土地。飛行機 が着陸した途端ホッとしてジーンとした。半年前、父の葬儀を終え、一人でみんなの 待つこの地へ降り立った。「てつくろ、よくかえってきた」と抱いてくれたテアトル ムンディに関わっていた人たちの顔が浮かぶ。今回は一人じゃない、良き仲間と一緒 だ。再びここへ帰って来られた。午後4時20分着。日本大使館のフルタケイコさんとホンダさんが出迎えにきてくれ ていた。なつかしい町並みをながめながらアドミナル・ホテル562室にチェックイ ン。
 ロンドンに音楽の勉強をしに行ってる愛弟子とその友だちがコペンハーゲンに来 てくれた。すっごい、お弟子と異国の地で再会する。感動するね。ホテルのバーで邦 さんと4人で一杯飲む。「クロアチア寺院が好きなので、なんかちょこっとしたもの を買ってきてください」と言われていたので、昨日大使館の車二台出してもらってス テファン寺院に行ってもらい、ちょこっとしたものを買ってきていた。「ほらっ、こ れっ、クロアチア寺院のちょっとしたもの買ってきたよ」「ありがとうございます。・ ・・でも、クロアチア寺院のものを買ってきてくださいなんて言わなかったですよ」 「えっ、うそつけー、クロアチア寺院が大好きだって言ってたじゃないかー」「いえっ 、クロアチア寺院じゃないんです。クロアチア人なんです」「な、なにーっ、クロア チアジンだとぉー・・・・」 しかし、クロアチア人が好きって言われてもねー(笑)。

3月7日(水)
 ホンダさんの案内で街をまわり、郊外の美術館へ行き市内に戻る。今度 はフルタさんの案内で中華を食べる。ひさびさのお米だー。みんな物も云わずに黙々 と食べる。ホテルに楽器を取りに帰って、いざ、今夜のホールへ出発。今夜はどんな ところで演奏するのかなぁ。デンマーク国営ラジオ局小ホールというところ。なかな かこじんまりとした素敵なスタジオだ。NHKの5階の一番大きなスタジオのすっごくき れいなやつみたい。軽く弾いたとこで一度ホテルの部屋へ戻り昼寝。午後五時すぎに 再びホールに入りリハーサル。
 いざ本番。ステージで弾いていると、いろんなことを感じるものだ。特にお客さん の状態が気にしなくても伝わってくる。今夜はお客さんが余裕を持って楽しんでいる 雰囲気がホワッとした感じで漂ってくる。なんかツアー最後のステージって感じ。 アガッチ、伝の会とやり休憩。大使のあいさつのあと、二組で出る。セッションのコー ナーではちょいと太棹と細棹の違いのカルチャーをやるため司会兼通訳(三間氏)が 入る。この三間さんがなかなかのキャラで見事に仕切ってくれた。単に通訳をやるだ けと思っていた本人にとって、いきなりの司会はプレッシャーだったろうが客席の質 問者とのやりとりもすばらしかった。アンコールは「デンマーク国歌」を演奏した( すごいね、三味線で国歌だよ、盛り上がったよ)。 大使も出席したその後のレセプションではテレビカメラも入りにぎやかなものだった。  さて、我々のステージも全て終了した。フルタさんが打ち上げを計画してくれてい た。午後10時過ぎ日本レストラン「東京」へ。  
 今回たった5人でのツアーは10日間で4ステージをこなした。最初は、ずいぶん楽だなぁ と思ったが、実際にはなかなかハードなものだった。大きな事故やけががなくてよかっ た。小野木さんの苦労は計り知れないものだろう。僕にはわからないところで気張ってく れたんだと思う。
 高久ぼっちゃんもすごい。たった一人で舞台を作りあげてきた男。その土地土地のス タッフ相手に辛抱強く音響・照明・大道具の人たちを動かし、頼りにされていた。ぼっ ちゃんだから出来ることだと思う。そして常に笑いを忘れない。「もー、たいへんな んすから・・」と冗談っぽく言うときの彼は笑ってしまうほどおかしいのだが、ほん とうは、すっごく大変だということは僕にもわかる。それを笑いに転化できるぼっちゃ んは、やはり素敵な「歌舞伎座大道具」だ。
 そしてアガッチ。津軽三味線野郎。13才年下の彼から学ぶことはとても多く、この旅 でいろんな話をした。笑い話も多かったが真面目な話もした。僕のいる世界のこと、 彼のいる世界のこと。もっともっと一緒にやりたいと思う。腹割って話すようになる と、いいステージができると僕は信じているとこがある。アガッチとはそんな良いス テージをつくれたらなぁと思う。問題なのは、アガッチの方が伝の会よりもはるかに 忙しいということだ。まあなんとかなるだろう。いつだってなんとかなってきたんだ から。
 そしてボスの邦さん(びっくりするね、邦さんが最年長だぜ)。全ての人から絶対の信 頼感を担ってそれに答えていく邦さんっていったい何者?
 最後になったが、たった5人でステージができるはずはない。行った先々の日本大 使館やお手伝いの方々のあたたかい協力のもとに無事三ヶ国4ステージを終えること ができた。それぞれの国で出会ったたくさんの人たちに心から御礼をいいたい。伝の 会を邦さんと続けてきて良かった。そして三味線を弾いていて良かったと、この旅で 何度思ったことだろう。それほど素敵な人たちに出会ったと思う。 旅の最後の夜は、コペンハーゲンで出会った素敵な人たちと、鍋をつつきながら夜更 けまで盛り上がった。

3月8日(木)
 午前10時にチェックアウトして、午後2時の出発の間みんなでおみやげを 買いにでかける。なんかホッとして歩ける。やっぱり仕事が終わった開放感なのだろ うか?だろうな。心のどこかにはライヴをするという緊張感はあるんだろうな。じゃ なきゃいけないよな。ふむふむ。半年前にさんざん歩いたおみやげ屋さんの通り、ま た来月にも来るような気になる。不思議なものだ。ひょっとしたらもう一生来ないか もしれないのに。いや、その確率の方がずっと高い。思えばどこへ行ったってそうだ。 海外に限らず国内だって、当たり前のようにいろんな街を歩くけど、二度と訪れない 場所の方がずっと多いのだ。けど実際、コペンハーゲンの、この石畳を歩いていると、 日本からフラッとこれそうな気がする。いったん日本に帰ると、ここは遠い街なのだ。
 朝食を食べてないのでマクドナルドへ。豚肉のハンバーガー?マックポーク?食べたー い。邦さんがマックポークにしたので僕はフィレオフィッシュにしておこう。マック ポークまずかったら、かなんからな。一口もらえばいいな。
 しかし、10日間一緒にいる邦さん、アガッチ、小野木ちゃん、ぼっちゃん(高久)と はこれから先いつだって一緒に居るんじゃないかとふと思ってしまう。日本に帰って も同じホテルに泊まってそうな気がする。不思議なものだ。また、そう思える仲間に 出会えたことに感謝をすべきなんだな。「邦さん一口ちょうだ・・」もう食べ終わっ ている・・チクショー、感傷に浸っている場合ではなかったー!マックポークたべたー い!
 おのおの、なんとなくお土産を買い求めた(もちろん小野木ちゃんは花の種)ところ で全員が揃い昼食を。日本大使館の目と鼻の先のお店だった。ホテルでスーツケース を乗せ空港へ向かう。僕のお弟子さんたちまでもすっかり大使館にお世話になってし まった。フルタさん、ほんとにありがとう。
 免税店での買い物はする人、しないで一杯飲む人といろいろだが、小野木さんがフル タさんをつかまえてボソボソ話している。数分後、僕が一人でプラプラとショッピン グをしていると、荷物の番をしているフルタさん発見。店内にはニコニコしながらガ ラス製品を見ている小野木ちゃんがいた。なんか観光なんだよな(笑)。ま、それがい いとこだな(笑)。
 さてさて、フルタさん、ホンダさん、ウチの子と涙涙のお別れをして(ホントは笑い の中で)機内に。ビデオ貸してくれるんだぁ。何にしようかなとさんざん悩んでロバー ト・ゼメキス監督のハリソン・フォードとミシェル・ファイファー主演のなんとかい うサスペンスにした。以前から観たかったのだ。ミシェル・ファイファー大好き。メ ガネ似合うよなぁ。隣のアガッチとしゃべったりしてたら、あっという間(というこ ともないが)に成田に。3〜4時間しか寝なかったなぁ。
 はてさて全員無事に帰国いたしました。感無量だね。10日間に出会った人の顔が浮か ぶ。また行きたいと願わずにはいられない、素敵なツアーだった・・・・。 ・・・と、しみじみ思ってもいられないのだ。あたしゃ、着いたばかりの成田からケ ツカッチンで根津神社へ行かねばならぬのだ。 ねえねえ、みんなどうやって帰るの?えっ、成田エキスプレス?げっ、俺だけ京成スカ イライナーかよぉ。なんか寂しいな。まっしょうがないか。そいじゃあ、みなさんサ ヨナラ。あたしゃこのまま仕事場へ行ってきます。ハイハイご苦労なこってすよ。な にも忙しぶってるわけじゃありませんよ。じゃあねー、17日の東大和市で会おーぜー。 9日(金)
 うーん土の感触はいいものだ。と、根津神社の境内を歩きながら思った。 そういえばどこもかしこも石畳だった。今回の旅で土の上を歩いた覚えがない。ま、 日本にいたってそうはないものの、振り返るとヨーロッパのイメージは石畳だ(あく までも僕のイメージ)。プリレッブなんかでは土の上を歩いたのだと思うが、かたい 土なのだと思う。「土」というとこういう湿気のふくんだクッションのようなあきら かにコンクリートとは違うものを想像するが、向こうは乾燥しているせいか「土」と いう感じがしないのかも知れない。
 さて根津神社に何しに来たかと言うと、「長崎ぶらぶら節」のロケに参加するためで ある。無事に帰国したとの報告も兼ねている。「鉄九郎さんすみません、大変お疲れ のところ直行していただいて」「いやいや、全然大丈夫ですから」とスタッフと会話 をしていると、僕がどこへ行っていたかを知らないスタッフが「いやっ、午前中、ど ちらか行かれてたんですか?」と聞くので「あ、コペンハーゲンよ」と言うと「はっ はっは」と笑って行ってしまった。
 市原悦子さん宮沢りえちゃん、藤竜也さんらのロケが行われている。市原さんが三 味線を持つシーンがあるので、ちょいと指導もする。2時間弱で用が済んだ。 よっしゃかえろーっと。
 駅まで妻と娘に迎えきてもらう。十日振りの再会に娘は「はづかすぃー」と、なぜ か、なまりまくっている。つけそばを食べ帰宅してなんとなく昼寝。今回は初めて娘 におみやげを買って来た(あまり威張れないが)。ミッキーのぬりえ、ラブピース(い まもこう言うのか?)のシールを始め5〜6個のおみやげを、「封印切」の忠兵衛、もし くは「火焔太鼓」と道具屋の主人のように、次々と袋よりとりだすと、いちいちキャー キャー言っている。おお我が娘、お前はノリがええぞな。なかでもミュンヘンで買っ たウサギのぬいぐるみはたいそう気に入っていったようす。「そりゃそうだろー、俺 が気に入ってんだから血のつながっている娘が気に入らないわけがない」と思うのは、 スッゲーまちがいなのかも知れないが、そう思っても良いくらい気に入ったらしい。 「ニーノ」と命名したらしい。こないだ買ってもらった猫のぬいぐるみは「ボン」。
 人間4才にもなると名前らしい名前をつけるようになるものだ。以前、だっこちゃん のような大きな風船を買ってもらいとても気に入って、話しかけたりしていた。その 風船の名前が「ナミコンコちゃん」と言う。「どっからくるんだー」といいたくなる ようなセンスである。それから比べたら今度の「ニーノ」は上出来である。なかなか 素敵な名前だと親たちも感心した。親バカと言われようが感心したのだ。 娘は喜んでニーノちゃんとお話をしたりして遊んでいる。ニーノちゃんは娘の親友で あったり子どもであったりしている。ほほえましく見ていると、娘がニーノちゃんを 呼んでいる「ねー、ニーちゃん、ニーちゃん」 「アンタっ、にいちゃんって!アンタっ、にいちゃんって!」と二回つっこんでしまっ た。自分の子どものつけた名前で親は決して感心してはいけない。


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