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鉄九郎の青?裸々な日常 第42号


2001年3月10日〜18日

3月10日(土)
  早起きして獅童君宅のお稽古日。お稽古終わっての帰り道、午後2時30分、 すっごい睡魔が襲ってきた。うーー、車を路肩に止め、エンジン切ってシートを倒す。 フッと気が付いたら午後3時30分になっていた。寝たのか?寝た気がしないぞ。ワープ か?タイムマシンか? <良く晴れた日の午後2時半に車を止めてシートを倒すと一時間先の未来にいける!> すっごい発明だが、なにか良いことがあるのか?どんな時に使うかが不明だな。 とにかく4時から用事があるのであわてて車を走らせる。帰宅すると妻が「あれっ?随 分顔がむくんでるよ」と言う。ん、タイムマシンを使った後は顔が少しむくむのか? と、考えるよりは、単に<おっさん疲れて車で熟睡>と思った方が良さそうだ。    娘と一緒にお風呂に入るのが日課になっている。娘も楽しみにしているらしく、僕 の帰りが遅いときでも待っていたりする。はやく寝させるためにはこの習慣を辞めさ せなければと思う。 今夜も娘とお風呂で遊んでいると、「パパこれからはパパがおうちにいるときわ、いっ つもいっしょにおふろにはいろーね」と言う。「ああいいよ。ただ今言ったことを決 して忘れてはならぬぞ。おまえがいくつになっても一緒にはいるからな!」と脅した ら、「いやー、わしゅれてしまうかも」と照れながら頭をかいていた。

3月11日(日)
  今朝は7時起床。ふだんこんなに早く起きない時間。いったい自分が日本 時間でいるのか8時間遅れの東欧時間ですごしているのかわからん。神谷町のテレビ 朝日スタジオへ。日曜日は走れるー。あっという間に神谷町へ。市原さんのお稽古を する。僕のいない間、僕の代わりにに晴美さんがお稽古をしてくれていたせいもある が、さすがだねー、だんだん愛八になってきた。 いったん家に帰って一時間ほどタイムマシンに乗ってこんどは深川の食糧会館に向か う。日曜日だねー空いてる空いてる。平日の昼間にこれだけの距離を移動したら二日 はかかりそうだ。ここでは「長崎ぶらぶら節」の冒頭近く、愛八が長崎ぶらぶら節を 録音するくだりの撮影をやっている。目の前で「市原愛八」をみる。午前1時頃帰宅。

3月12日(月)
  今朝は6時起床。もうなんだかわからない。日本に帰ってきてから毎日が 「時差」という感じ。8時に東陽町のテレビ朝日に行かねばならぬ。6時30分出発。さ すがに道はすいてるだろうとか川越街道にでたら渋滞でピッチリ。ゲーーっ、ウッソー っ、こんな朝早くにみんなお勤めにいくの?世間を甘く見た私が悪うござんした。ぺ こぺこしながら裏道コースへ。飯田橋をすぎたらガラガラになり、なんとか8時に入 ることができた。市原悦子さん、宮沢りえさん、八千草薫さん、浅利香津代さんらの 歌う場面、三味線弾く場面、踊る場面など僕にとっての盛りだくさんの内容の撮影を する。市原さんも凄い。りえちゃんも凄い。みなさん凄いなぁ。 最後の撮りは「ある宴会の席」で市原愛八がたのしそうに「長崎ぶらぶら節」を歌っ ているところ。お客の役は、スタッフがやっている。「最後のカットだから手拍子と かもっとしようよ」「歌もみんなで歌ったっていいんじゃない」「となりの座敷から も聞こえてるということでスタッフもみーんなで歌いましょー」ということになりみ んなで歌う。  最初は「邦楽はむづかしい、メロディが全然つかめない」と言っていた役者さんも スタッフも今ではすっかり「長崎ぶらぶら節」を鼻歌まじりに歌えるようになってい た。画面に映る人も映らない人もそして僕も、みーんなで歌った。 オーケーが出て、市原さんに監督の堀川とんこうさんから花束が渡されると「もう一 回みんなでうたいましょ」と市原さんがおっしゃって大合唱となった。うーーこんな 楽しい仕事に参加させてもらってイガッター・・・ と、ウルウルする間もなく僕はブースに入って二曲ほど録音。あっという間に終えた ら、副調整室にいるみなさんが「ほんとのおわりだー、てつくろさんおつかれさまー」 と拍手をしてくれた。 ただ今午前3時30分也。スタジオを後にするときエレベーターで市原さんと一緒になっ た。「一生に、いくつか忘れられない作品てあるもんですけど、この作品は絶対にわ すれられない作品です。ほんとにありがとう、てつくろせんせ」と言ってくださった。 こちらこそありがとうございました。  窓を開けて運転すると、冷たいはずの風がとても心地よかった。誰も走ってない靖 国通りはフリーウェイのようだった。家に帰り、あついお風呂に入り、ビールを一杯 飲む。フーッ、時計を見ると午前6時「ほほう24時間おきてるな」と、ぼんやり思っ て二階に上がりベッドに入る。 日が昇りかけて明るくなっているベッドルームで、そおっとベッドに入ると、娘が目 を覚まし 「パーパっ、おっきいぷうりゅで、ふうんぱっ、ふうんぱってできるんだよ。ぱぱが あしたぷーるにつれてってね」ふうんばっふうんぱって、なんやねんと思いかけたと き僕はイビキをかいていた。

3月13日(火)
  11時すぎボーッと目が覚める。うーん、なんとか起床。午後からお稽古。 途中の空き時間で娘をプールへ連れていく。随分久々にプールに連れていくな。「おっ きいぷうるでふうんぱっふうんぱってできるんだよ」というのは「おっきいぷうる」 は子ども用のプールでない25メートルプールの方のことで、プールの中央に先生に連 れていかれ、そこで手をはなされる。ビクッとしたね。我が子がブクブクっと沈んで いくのだもの。しかし子どもは一生懸命水面に顔を出そうと手で水をかき上がってく る。そしてパッと息をする。 というのが「ふうふうぱっ」ということだった。

3月14日(水)
  「おはよー、あーよくねたー」と安いドラマのような起き方をした娘。 「よく寝た」なんて誰におそわったんだぁ。最近またいろいろな言葉を使うようになっ てきた。突然「いやー、びっくりしましたねぇ」とか言う。  以前は「ようちえんのおむかい(お迎え)は、ぱぱ?まま?」と聞くとき「いやっ今日 は一人で帰ってきて」とか言うと、たちまちべそを書き始め「やだー」とか泣いてし まい、「嘘だよ、冗談だよー」と親をオロオロさせていたが、昨日「ようちえんのお むかい(お迎え)は、ぱぱ?まま?」と久々に聞いてきたので「○○さんが行くよ」と言っ たら「それ、じょうだん?」と聞き返された。「冗談」という言葉を使いこなしてや がる、おそるべし。

3月15日(木)
  なんか子どもネタが続き、「てつくろ育児日誌」のようになってきたが、 今年に入ってあまりベターッと娘と一緒にいられなくて、「遊んで遊んで」と言われ ても時間がなかったもんだから、出かける用事のないときは二人の時間を作るように している。すると、ここに書くことも子どもネタが多くなってしまうのだ。まあ、あ と何年かすれば「いっしょにいよー」などと口が裂けても言わなくなるのだから、求 められてる内に思い出を作っておこうかなどと、やらしい考えもある。子どもを持っ て、純粋に人間の発育・成長というのを目の当たりに見られるということは、すっご くおもしろい。自分もこうだったのだろうと思うことも多いし、なにより「人間再発 見」という感じだ。  例えば娘が「もう、ここまでとどくようになったよ」と言う。すると僕は、背が伸 びるってどんな感じなんだろう?ッって思う。もちろん小学校や中学校で自分も経験 してるが、物心ついたころに経験するんではなくて、背が伸びるものなのだと自覚す るかしないかの時は、どんな風に思ってんのかなーということである。二歳くらいの ときに「ママのおなかの中でなにしてたの?」と聞くのと似ている。 「背がのびるってどんな感じ?」と聞いてみる。「ああー、この上はこんなだったん だなーっておもうよ」ってな答えが返ってくる。「ここが見たかった?」と聞くと 「うんみたかったりさわりたかったり、へへへ」などと、なにがおかしいのか含み笑 いまで入ってたりする。とても不思議な世界がそこにある。でも僕たちみんながとおっ てきた世界なんだなと思うと、ひとつ新鮮になったなと感じる。 「さよーならのことを、えーごで、しーゆーってゆーんだよ」「ほほう、英語なんて のが出てきましたね、ほかには?」「しゃんきゅーってのも、えーごでしょ?」「おー そうだよ、すごいじゃん、じゃ、サンキューって言われたらなんて言うの」「どーゆー こと?」「パパがおまえに『ありがとう』って言うと『いいよ』って言うじゃない。 『いいよ』って言いたいでしょ?」「うん」「ウェルカムって言うんだよ。言ってみ ようね。サンキュー」「うぇるかんっ」「おっいいね」 てな具合に会話が進むが「ウェルカム」ってなかなか覚えられない(そりゃそうだよ)。 すぐ忘れちゃって「なんだっけー」とか言うんだけど、何度かやってるうちに覚えた。 わざと五分くらい違う話をして、「サンキュー」と言ってみた。さあて困っている。 一度覚えたから端っこくらいは出てきたらしい。けど思い出した言葉は少々違うとわ かっている。でも「なんだっけ」というほど忘れちゃいない。それで照れながら彼女 が言った言葉が「どかんっ」。

3月16日(金)
  朝、いつものように、幼稚園に送りに行くのに自転車ですっ飛ばしていた ら、「ざぶとん、ざぶとーん、うえーーん」と後ろで騒ぎ出した。「ど、どうしたん だ」と止めて聞くと、娘の乗る後ろ座席にひく座布団がガードレールにかけてあった と言う。どうやら二,三日前に無くしていたらしく、誰かが拾って置いていてくれた らしい。「おお、これか、無くしてたんか、良かったな、あって。でも何で泣いてん の?」と聞いてもべそべそ泣いている。幼稚園に着いてもぐすぐすしているので先生 も登園するのが嫌になったのかと心配していた。    夕方娘と二人で車に乗っていたら、「おなかがぺこぺこだよ」と言う「なんか軽く たべようか?」「おしょばがいいな」「えっ、ラーメンにしない?」「やっ、おしょば のほうがしゅきなんだよ、えびとかがはいってるおしょばをたべさしてくだしゃい」 ま、そう懇願されてしまうと断る理由もないので、おそば屋さんに入る。娘は天ざる、 僕はたぬきそば。キャッキャ言いながら食べてると小声で「あのしゃー、たこやきう どんってのがあるんだね」「えっ、た、たこやきうどん?な、アホなっ、んなもんあ るかいっ、食べずらいやろ」「はははっ、かいてなくてもあるんだよ。しょれからし ゃー、たこやきおにぎりというのもあんだよ、ほら、あしょこにかいてあるよ」「う そーっ、ありゃ『焼おにぎり』だよ。『たこ焼』の『焼』という字を見てたこ焼を連 想したな」「はははは」と上機嫌な娘であった。  あとでわかったことだが「たこやきうどん」と言うのは、あとから来たお客さんが 頼んだ「なべ焼きうどん」のことだった。

3月17日(土)
  東大和市ハミングホール、オープニング記念事業! 〜伝統の明日を見つ めて〜「東大和発信!邦楽レボリューション」ということで青梅街道をまっしぐら、 12時前にホールに到着。スタッフはとっくに来て搬入・仕込みといそがしくしている が、出演者としては一番乗りだあ、ははは、滅多にありませんよ、こんなこと。てつ くろが一番にくることなんざ(道が案外すいていたのだ) 。今日のライヴの出演者は 伝の会・上妻宏光・イーストカレントというお馴染みの面々。三組でセッションもす ることになっているし楽しみだーな。 そして、な、なんとヨーロッパに行った五人の男たちが今日顔を合わせる。古典空間・ 小野木さん、舞台監督・高久ぼっちゃん、そしてアガッチと僕ら。なんか同窓会みた い。他のスタッフに五人揃って土産話が出来るぜ。出来上がった写真みたりしながら 盛り上がる。リハーサルもトントンと進み、セッションもいい感じに上がった。ここ のお客さんかどう見て聴いてくれるかが楽しみだ。 午後6時30分開演。お客さんがあたたかいのかトップでステージに立っているアガッ チもやりやすそうだ。こういうのってとても大きい。ライヴってだから楽しい。セッ ションも手ごたい充分の出来だったと思う。終わってしまえばあっという間。

3月18日(日)
  「卒業」。学校に行ってたころは「卒業」はつきものだった。小学校・中 学校・高校。10代のころは「入学」と「卒業」が車検のようにやってくる。こんな感 じで一生送るのかな?と考えてしまったりする。そして4年後に大学を卒業する。次は 就職。おやっ、今までとはちょっと違うぞ。ひとそれぞれに色んな道を行くが、今ま でのようにはいかないのかなとふと思う。まあ3年ごとに会社を変わるという人もな かにはいるかもしれないが、それでも「卒業」とはあきらかに違う。「卒業」は大学 が最後とは言い切れないが「最後っぽい」。  毎年この時分になると、駅のホームで大学の卒業式に向かう男の子や女の子に出く わしたりする。僕は大学3年から内弟子に入っていて社会に出ていくという妙な不安 はなかったが、友だちとバラバラになるという意味で卒業式は感慨深いものがあった。 今年大学を卒業する僕のお弟子さんが二人いる。「卒業」という言葉を聞いて「おめ でとう」と言われていた自分が「卒業しました」と聞いて「おめでとう」と言う方の 人種に変わったことは確かだ。


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