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鉄九郎の青?裸々な日常 第44号


2001年4月3日〜14日

4月3日(火)
 明日納車という電話がかかってきたらしい。うむうむと言っていたが、今乗ってる車があったんじゃいけないんだなあと気づき、では明日の朝、兼ねてからの話のついているスタンドに売りにいく段取りをする。午前中に車を売って、午後に納車。うむ、スキがない。よしよし。
 夜は、日舞のお稽古。すこーし下半身に意識が集中できるようになってきた。お稽古から帰ると娘と「車のお別れドライブ」を。
「お前がこの世に来てからずっとウチの車はこれだからなぁ、寂しいのはわかるよ」
「だいしゅきだよ、わしゅれないよ」
「うん、ずっと覚えておいてあげなさい。それで今度来る車も好きになってあげなさいよ」
「この車の方がしゅき」
「うん、今はそれでいい」

4月4日(水)
 「納車」なんという良い響きであろうか。思ったより早くに納車された。お稽古の合間に自宅へ戻り新車とご対面。お稽古終了後さっそく「はじめましてどうぞよろしくドライブ」へ。カーナビという代物も初めての経験で、道案内をしてくれるお姉さんの声に娘は「ちれーな(きれいな)こえのおねーしゃんだね、いろいろおせーてくれるんだね、しゅごいね」と目を丸くしている。うれしくて100キロも走ってしまった。

4月5日(木)
 うーむ。暖かい日差しの中、今年のさくらは長持ちしている。満開のまま、 もうずっーとこのまま散ることがないんじゃないかと思うくらいに目を楽しませてくれている。近所に「さくらトンネル」と娘が呼んでるところがあって、毎日通ると「さくらはきれいだねぇ」と生意気なことを言っている。
 今日で41才になった。両親がいなくなってはじめての誕生日。妙な気分になる。親になって気が付いたが、子どもの誕生日って親のもののような気がする。娘の誕生日が来るたびに、あの子がこの世にやってきたときのことを思い出すもの。父も母も僕の誕生日の時はそうだったに違いない。母がいなくなって父一人になっても「あっちゃん今日が誕生日だね」とか言いながら、父の心の中の母と僕が生まれてきた時のことを語りあっていたに違いない。毎年一回、「あのときはさぁ・・」と同じ話をして微笑んで懐かしがっていたに違いない。そして夫婦で、幸せを噛みしめていただろう。父と母がいなくなってからわかったって。父と母がいなくなったからわかったのかな。

4月6日(金)
 まあ、あたたかい一日が始まりました。櫻も満開のまま光が丘ではトンネルを作り続けています。荷物を積んで、いざ、お江戸日本橋亭へ。車を運転しながら「助 六」を頭の中で形作る。ちょっと混んでて午前11時をまわったあたりで到着。いつものスタッフと談笑して邦さんと稽古。だんだんと形がはっきりとしてくる気がする。
 鉄十郎師匠到着。今回の「お江戸日本橋亭ライヴ」は「助六」「紀州道成寺」を師匠の独吟でお願いしてある。今日明日の4回公演で師匠は8回の独吟を唄うことになる。こんなこと師匠にしか出来ない。しかも毎回トークもしてもらうし。良く引き受けてくれたものだと心から感謝している。
 夜の部の最後の「二人椀久」のタマを弾くときに、クタクタに疲れているであろう楽 屋の師匠に向かって、あくまでもシャレで「ちょっと唄ってくださーい」と言ったら、出てきてくれて「お茶のくちきり」を唄ってくれた。脱いでしまった袴を手に持って。お客さんもヤンヤヤンヤ。

4月7日(土)
 全身に心地よい疲れが。ライヴの翌日はいつもこう。寝ていたいのは山々だが、気が張っているのだろう。むくっと起きて出発。僕でこうなのだから、25才上の師匠はどんなにか疲れているのかは想像できない。ライヴの冒頭で僕らがヨーロッパツアーの話をしているというので、小野木ちゃんがその時の写真を引き伸ばして客席に飾ってくれた。
 昼の部終わってご飯食べて、ちょこっと昼寝して、いざ、千秋楽。4回目というか最後の舞台って、いつも何かが違う。今夜の演奏も違っていた。この空間での「助六」「紀州道成寺」を演奏することができる。師匠とのトークもはじけた(ずっとはじけてるのだが、さらに)。2時間のライヴが30分延びていた。鉄十郎師匠ありがとうございました。そして、観て聴いてくださったお客様たちに心より御礼申し上げます。

4月8日(日)
 今日も良い天気だ。特別、風が強いわけでもないのに、さくらがものすごい勢いで散っている。散っているというよりは降っている。「さくらが散っているなぁ」という感傷的な気持ちには不思議とならない。今年のさくらはよく持ったから?。「もういいよ、ありがとう」という感じ。お釈迦様の誕生を祝うようにたくさんのさくらの花びらが舞っている。さくらのトンネルを抜けるとどこに行くのだろうか?

4月9日(月)
 午前11時起床。うーっ、よく寝た。以前は「よく寝た」と言えば、午後3時位の起床のことを言ったものだ。と、なにをアホなことを書いているのだ。お勤めの方はとっくに働いているというのに・・・。
 しかし良い季節ですなぁ。寝たいだけ寝ていたいと思うこの季節。しかしここに落とし穴があって、本気で寝たいだけ寝てしまうと、起きてもボーッとしてしまい、また寝てしまうという「眠り病(と私は呼んでいる)」にかかってしまう。頭がズーンと重たくなり、顔ははれぼったくなる。さらに活気はなくなり、仕事のしの字もしたくなくなる。最悪な症状が口を開けて待っている。忙しい時には「ここで七時間あったらあれとこれとして」と思うのだが、眠り病にかかってしまうと一日二日の時間があったとしても何一つできずに過ごしてしまう。ああ、なんとおそろしいことか。睡眠欲というのは怖いものである。いつもの起床時間より2時間くらい多めに寝て「ああよく寝た、しあわせ」かなんか言ってるときが一番なのだ。

4月11日(水)
  筋肉痛はどう?と左恵さんに言われるが、なぜだかどこも痛くなかったが、ついに今日来た。
「おれさまが筋肉痛さまだー、どーじゃー」
「いや、どーじゃーもなにも、そろそろいらっしゃるんではと覚悟しておりましたから」
「えっ、な、なにおぅっ、これからお前につきまとうのじゃぞー、おそろしいだろー」
「はい、けれどもそれは承知の上ですから、どうぞどうぞ」
「うっ、おぬし強がっても無駄じゃぞー」
「強がってなどいませぬ、けれども、なにがあろうと踊らねばいけませんので、筋肉痛くらいでヘコタレていては」
「ええいっ、そのシラッとした雰囲気をよせー、たいてい誰もが嫌がるものだぞー」
「いや、だからそんなことは承知の上ですって、あなたが怖くては日舞さんとおつきあいなどできませぬ、まして私は真剣でございます。あなたから逃れようなどとは思いませぬ」
「うぅっ、なにか今までのおぬしとは違うな。ま、まあよい、ちょくちょく来るからな、ど、どうぞよろしく・・・」
覚悟とは強いものだ。

4月12日(木)
 日曜日から金毘羅歌舞伎に一週間行く。今月7日が初日で、もう中日もすぎたあたりからの出席ということだ。夜は早く終わるというから、部屋でいろいろ仕事しようと荷造りをする。でも曲を浚ったりすることは絶対にできないんだろーなと思う。みんな覚え物とかを持ってくるのだが、よっぽどの根性がないと巡業先での覚え物は出来ない。なぜだかわからないんだが・・・多分、たとえ一日に2時間の出番であっても、その2時間に一日がかりでいるからだろう。空いてる時間であっても気 ははってるのだ。だから他のことがなかなかできない。今回も「どーせできないだろーなぁ」と思いながら、譜とMDを詰め込む。むなしいもんじゃのぅ。

4月14日(土)
 獅童くん宅のお稽古をして、お稽古場に帰ってきて、お弟子さんのお稽古をして、そそくさと6月4日に演奏する舞踊曲の打ち合わせに行く。おお忙しかった。明日の準備もしなきゃなぁ。帰ってしよーっと。


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