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鉄九郎の青?裸々な日常 第46号


2001年4月23日〜5月7日

4月23日(月)
 東京の朝。午前9時に娘を幼稚園におくる。そう言えば、娘は「年中」さんになった。コアラ組という、邦さんの動物占いのようなクラス名だ。4クラスのうち1クラスだけ2階に教室がある。娘たちの間では、2階の「バンビ」組が憧れの的だったらしい。「新しいクラスはバンビがいいなぁ、だって2階なんだもんっ」てな具合だ。バンビにならなくて泣き出した友だちもいたらしい。親からみれば、とるにたらないことだが、その子にとっては、大きな挫折感を味わったのだろう。でも直ぐ慣れるとこが子どものいいところ。そして「あのときバンビじゃなくていやだぁって泣いたわよね」と親が言い続けなければ、忘れてしまうのも子どものいいとこだ。
 子どもだっていつまでもそんなことを気にしちゃいられない。次から次へと事件は起こる。「自転車のざぶとんがなくなっちゃったのよ」とか「『お』って書けるようになったよ」とかが同レベルで毎日起こる。
 「おう、そんなこと出来るようになったのか」と言うとき、「うん」と言ってニコニコするときと「まえからできたのよ」とツーンとするときがある。自我がどんどん目覚めてくる。つまんなそうな顔を時々するようにもなった。大人と対等にと背伸びしてしゃべるようにもなってきた。この子の中ではすざましい勢いで「成長」が走り回っている。けれども、ちょっと離れて見ると、「赤ん坊」と「子ども」の間くらいにしか見えない。この子より大きなぬいぐるみなど山ほどあるのになぁ。

4月24日(火)
 お稽古日のあと日舞のお稽古に行く。今まで内股のとこの筋肉を使っていなかったことが判明した。しかし、今更変なことを言うようだが、人間、いろいろな所に筋肉があるものだ。膝のまわりとかスネの筋肉とかを41年間意識したことなど一度もなかった。それが今年の2月から意識しまくりだ。自分の重心がまだつかめないが、バランスとかを意識するようになった。はやくつかみたいなぁ。

4月25日(水)
 3/1-3/9まで国際交流基金の仕事でアガッチ(=津軽三味線奏者の上妻宏光(あがつまひろみつ)さんのこと)と伝の会で東欧へ行ってきた。報告会を兼ねた食事会をと交流基金の担当者の方からお誘いをうけいてたが、小野木ちゃん、高久ぼっちゃん、アガッチ、邦さんと僕のスケジュールの足並みがなかなか揃わず、やっとこさ今夜の夕食会となった。
 新宿歌舞伎町にある料理屋さん。電車に乗って出かけた。新宿東口に出る。まあ、ひさびさにこのへん歩くわぁ。高校生のころ、しょっちゅうこのへんに来ていた。なんだか雰囲気というものが全くかわってないな。その街々が持っている匂いとか雰囲気とかはなかなか変化するものではないのかも知れない。でもじつはとても変わっているのに、そんなものは僕には感ずることができなくて、当時と同じ雰囲気を求めて見ているのか?それで「やっぱ変わってないや」と安心したいと無意識のうちに思っているのか?まあいいや、とにかく行ったことのないお店だけど、だいたいあの辺だとはわかっている。つまり僕の中で、この辺は他の土地よりも土地勘があるということはまちがいないのだから。案の定苦もなく探しあてることが出来た。僕のまわりの人は驚くだろう。それほど僕は方向音痴なのだ(ほっとけ)。 しかし客引きのお兄さんのしつこいことといったらない。100メートルくらい着いて歩いてくる。そのお兄さんがすむと次のお兄さんがやってくる。わしゃバトンかっ!おまえら、なんのリレーやっとんのじゃっ!
 交流基金の方たちに、とにかく東欧は楽しくて、あちらの大使館の方たちもほんとによくしてくれたということを絶対に言うぞと心に決めていたが、「青ララ」を読んでくれていたらしく、僕の言いたかったことは伝わっていたようだ。「いろんな所やいろんな人たちと出会い、音楽をとおしてお互いに心を開きあえる。」さまざまなミュージシャンがこういうことを言っているが、まさにそのとおりで、この言葉どおりのことが現実に起こるのだ。経験してみると、この言葉の持つ意味は深い。僕は外国語はほとんどわからないが、言葉は手段なんだということが強く感じられる。だから喜ばすことも出来るが傷つけることもできる。音楽は決して人を傷つけない。つらいことを思い出すことはあっても、癒してくれるのだ。日本にいてもそのことに感じていなければならないのだけれど、外の国に行くとあらためて痛感する。「はやく連れていってください」とお願いした。

4月26日(木)
 おだやかな日だ。ここんとこお弟子さんのお稽古もいい気候の中でできる。寒くもなく暑くもなく。庭の木や草が一気に成長している。毎日、お稽古場にくるたびに庭が変わっている。植木がグングン伸びているのだ。うーん、手入れをしなければ、そのうち裏口に回る道で遭難してしまうぞ。
 家の中も少しずつだが片づけが進んでいる。祖母・父・母の思い出のものを整理しているのだ。これは取っておけないものかと一つ一つ考える。目をつむってエイッと捨てるものもある。お稽古場である実家は僕の生まれる3年くらい前に建てられた。僕が来る前からあった品物を僕が処分することへの罪悪感がわく。僕にそんな資格があるのかと思ってしまう。でも仕方がないんだよと、その思いをうち消しながら進めていく。情けないのを通り越して、半ば怒りながら作業する。「人との出会いを大事にしろ」とよく言われた。もちろんそう思うが、もうひとつ思うことは「人との別れも大事に」ということだ。

4月28日(土)
 「長崎ぶらぶら節」が放送された。家にいたのでしっかり観た。ひきこまれた。市原悦子さんってすごいなぁ、藤竜也さんもいいなぁ。自分が関わって、自分の音とか、声とか、指導したこととか、たくさん馴染みの場面が出てきて、客観的に観られないのかなと思ったら、とんでもない、そんなこと吹っ飛んじゃうくらいなドラマだった。だいたい「客観的に観られない」なんて思うこと自体、制作者や役者に対して失礼だな。

4月29日(日)
 やることはたくさんある。覚えなきゃいけない曲や、きっちり浚っておかなきゃいけない曲。事務仕事も山ほどある。海の如く深ーく考えなきゃいけないこともあるあるある・・・でも、できない、たるんでしまっている。金毘羅から帰ってきてから、ホケーッとしてる。温泉に入りすぎたかな?今頃湯あたりがー、なアホな。いや、でもほんと、そんな感じかも。うーー、いかんいかん。しったげきれい、しったげきれーー。

4月30日(祝)
 ビデオに撮ったんでもういっぺん見ようと思っている「長崎ぶらぶら節」。お弟子さんが出てるとこや、自分の音を聴いてみようと思っているが、なかなかみられずにいる。おもいもかけない人たちにドラマのことを言われる。エンディングロールまで見ていただいたのかと思うと、とてもうれしい。こういう形で仕事が残るのもいいものだ。

5月1日(火)
 メーデー。。家元のお弟子さんで伝の会も何度かお手伝いしてくれた子の結婚式に出席する。家元はじめ松永一派は新郎に「ウチの子を大事にしろよ」と念を押す。

5月2日(水)
 雨。寒い。暖房いれた。それでも寒い。しまい込んでしまったガスファンヒーターを出した。うー暖かい。暖かいとつい眠くなってしまう。寝てしまってはいけない。窓を開ける。冷たい風と雨の香りで部屋をいっぱいにする。雨かぁ。寒い。暖房入れる。4日のマンダラライヴの曲目を考える。眠くなる。窓開ける。寒い。曲順考える。暖房入れる。三味線浚う。眠くなる。窓開ける。寒い。二日酔いの邦さん来た。暖房入れる。マンダラのお稽古をする。夜も更けた。父の傘を借りてお稽古場をあとにした。父の傘は雨から僕を守ってくれた。こんなことを思ったのははじめてだった。雨は誰の上にも降る。傘が守ってくれる人。傘をもたずに走る人。傘を忘れて濡れる人。そして傘になる人。

5月3日(祝)
 今日も雨。連休の方には気の毒な天気となった。それでも電車に乗ると家族連れが多くいる。雨がふろうが予定は予定だよね。

5月4日(祝)
 ハ、ハレタゼー。なんですか、暖かくなるそうで、うれしいことです。2日から6日までの「平成邦楽レボリューション」。3日目の今日は「伝の会ふたりっきりライヴ」。ドクターてつくろ&ナースくにとし無しの、ごくごくシンプルな形になった。今夜は妙に「イイ感じ」のライヴだった(と思う)。お客さんはどんなふうに感じてくれたかを知りたい。

5月5日(祝)
 端午の節句・子供の日。娘は鯉のぼりが大好き。せっかくの連休に遊んであげる時間がとれなかった。今日も出かけていたが夕方に帰れたので、どっかに連れていってあげようと思い、「水族館に行こうか?」と言うと、にっこりして「えっ」と言ったきり表情が固まった。うれしいのはわかったから元に戻って良いよというが、口元はわらったまんま、まるでジョーカー(バットマンの)のようだ。切り身か金魚しか見たことのない娘は、水族館に入る時、「ゆっくりみよーね」と念を押す。いつも、この後になにか用事が入ってたりすることが多く「ケツカッチンだから急ごう」と言いながら遊びに連れていっている。なんだか可愛そうになってしまった。「いいよ、今日は時間があるからゆっくりみよーよ」「グフフフフ」気色悪い笑いやなぁ。しかし、娘も普段の「ケツカッチン」に慣れてしまってせいか、次から次へとコーナーをわたり歩き「ゆっくりみたよ」てなことを言っていた。

5月6日(日)
 「五月雨五月よくるがよい。実らぬ恋もあるがよい。わたしの縫ったちゃんちゃんこ、着るかたもなく、衣替え」15.6の時に触れたこの佐藤公彦/ケメの歌は毎年五月になると思い出す。今更ながら思うことは、音楽って生きてる中で、空気と同じようにあるもんだし、そんなタイソウなものを仕事にしているんだなぁと思う。

5月7日(月)
 今日は邦さんの誕生日だな。なんか「誕生日おめでとう」と電話をすんのも「ヘン」な感じがするし、ましてやプレゼントなど用意していたら「キショクガワルイ」。邦さんの誕生日を知っているだけでも、なんだか「ヘン」だ。決して覚えようと思って覚えたわけではない。明日の8日が妻の誕生日なのである。邦さんと妻の誕生日が並んでいるので覚えているのである。が、しかし、近年どっちがどっちの誕生日かわからなくなってきた。一日違いはかえって記憶の中でごっちゃになってしまう。
 「誕生日とは、個人がこの世ではじめて手に入れる数字である」とは誰の言葉だったか。邦さんが0507で妻が0508。父が0111で母が1012。祖父が1115で祖母が1030。師匠が0622で和佐次朗さんが1003・・・
 二桁以上の数字を聞くとオイチョカブのようにたしてしまう癖がある。邦さんが5と7で12だからニゾウ。つまがサンタロウ(=3)。師匠がブタ(=0)で和佐次朗さんがヨツヤ(=4)。僕は0405だからカブ(=9)になる。このようにやって覚えている誕生日もある。お弟子に0207と0306の子がいて、ともに僕と同じカブなので忘れない。弊害もあって邦さんとこの長女がブタなのは覚えてるんだけど、0127か0217かの判断がつかない。してみると中途半端な覚え方だ。  多分、子どものときに父が「二つの数字をたして9になるのはカブといって、いいんだよ」かなんか僕に言ったのだろう。未だに二桁以上の数字を見ると自然とたしてしまって、「おっ、カブだ」とか「あーあ、チンケ(=1)だよ」とか「うーんロッポ(=6)かぁ、もういっちょー」などと、頭の中でちっちゃな賭博場が開催される。ロッカーとか居酒屋の下駄箱とかは、27,45,162,7417・・・と、当たり前のようにカブになる数字を探してしまう。一時そんな自分が嫌で「どこでもいいじゃん」とか思って121くらいに入れてみたが、どうも落ち着かず「せめて124で」などと微妙な数字にしたり。いまは「まったく」気にしなくなったので、カブを指定席としている。ともあれ、ニゾーが誕生日の邦さんは今日オイチョー(=8)になった。
特別講座「オイチョカブ用語の基礎知識」 byてつくろ&編集部
花札競技の一種であるオイチョカブをたしなまない方々のために上記のお話に少々解説を致しましょう。
オイチョカブは持ち札の合計点の一の位が大きい人が勝ちになるゲームです。
合計が9、19、29、など 一の位が 9 = カブ になった人が勝つ訳です。

強い順にならべると
9 カブ
8 オイチョ
7 ナキ
6 ロッポー
5 ゴケ
4 ヨツヤ
3 サンタロウ
2 ニゾウ
1 チンケ
0 ブタ
となります。


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