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鉄九郎の青?裸々な日常 第47号


2001年5月8日〜14日

5月8日(火)
 雨が降った。娘と二人で大江戸線に乗ってヒロキ(=松永忠次郎=松永鉄十郎師のご子息)宅へ行く。電車 に乗ると眠くなる。とくに雨降りの時は余計に眠たい。娘と二人で往きの電車でグー グー寝る。「着いたよ」と言うと「はい」と言って起きて歩き出す。なんか子どもっ てムズかりそうだが、僕に似たのか、こんな時の寝起きはいい。「ああよくねたね」 とか言って機嫌が良い。帰りの電車では「ぱぱねないで」とか言うが「ま、そんなこ と言わずにほれほれ」と肩を抱いてやると僕より先に寝てしまった。ヒロキの子ども とよく遊んだからこりゃ起きないかなと思いながら、「ほれっ、着いたぞ」と言うと 「ぱぱ、おにたいじのゆめみちゃったよ」とか言って元気に歩きだした。おお、なん か便利だぞこやつ。

夜、お弟子さんにメッチャ遊んでもらってから外食に行く車の中でコロッと寝てしま う。 着いたら起こせばいいやとそのままにしておいて着いたときに起こした。うーん、便 利便利。楽しみにしていた焼肉だから、なおのこと寝起きが良いのか。店に入って、 またコロンとした。ま、肉が焼けたら起こそうとそのままにしておいたら、こんどは 起きない。ゆすってもくすぐっても起きない。おなかすいてんだろーになぁと心配に なるが起きない。本人もきっと起きると思って寝たんだろうに。一番起きなくてはな らないところで力つきてしまったようだ。どこでも寝られて、しかも寝起きの良いと いう特技もどこで損をするかわかったもんじゃない。

5月9日(水)
 11日から一週間、徳島・大阪などに行ってくる。いつもの荷造り。スーツ ケースをしまう暇がない。しまう暇があっても、お稽古場にデーンと置いてあるんだ からだらしがない。 着物と洋服と着替えを入れるとできあがり。

5月10日(木)
 僕の家のもよりの駅は、営団地下鉄有楽町線の「営団赤塚」駅か東武東上 線の「下赤塚」駅。地下鉄の方が家の近くにあるが、階段の段数を考えると同じくら いの距離だろう。仕事で出かける場合、往きは地下鉄、帰りは私鉄というパターンが 多い。

自分の生まれ育った土地に「ある思い」があるのと同じように、駅にも人それぞれの 「思い」があることだろう。電車に乗る機会が少なくなったいまでも「下赤塚」駅に 行くと、ある種の親しみを覚える。別に駅前に立派な商店街があるわけではない。ひっ そりとした私鉄の駅だ。

子どもの頃、夕方になると母と毎日踏切を渡り買い物に出かけたことを思いだす( 「思い出す」と言うぶつぎれた過去のことではなく、今に続いている事実という感じ なのだ。それを「思い出す」と言うのかな。)。

「駅のむこうに買い物行こう」と言われ、高校生になってもついていったものだ。晩 のおかずに悩んだときはお刺身を買った。買い物帰りに喫茶店でコーヒーをよく飲ん だ。買い物をしたお店もコーヒーを飲んだ喫茶店も現在も当たり前のように営業して いる。新しくなったところもあるが、道が変わるほど改革されたわけではない。父と 母に手を引かれ、喜んで出かけた「駅のむこう」。
母より背が高くなってからは荷物持ちのために出かけた「駅のむこう」。
母との貴重な時間だったように思う。母は日に日に成長していく息子に何を感じ、と きには傷つき、ときには喜んでいたのだろうか。
子どもの方は自然体だ。「さぐる」のは親の方。僕の様子がへんなときには「夕方の 買い物の時にそれとなく聞いてみよう」と心で思ってたのかも知れない。
その買い物にはよく父も加わった。まあ仲の良い親子である。そんなことを父はと ても喜んだ。「なに喜んでるんだろ?」と当時は思っていたが、今はその気持ちがな んとなくわかる(ほんとは手に取るようにわかっている)。

娘と二人で「駅のむこう」のファーストフードで、まじめな顔でハンバーガーと格 闘している娘の顔を見ていたら、その顔のおかしさと同時に胸があつくなった。  そんな僕の思いを知るはずもない娘が
「じーじはかえってくるよ」
「えっ」
「ちゅうり(きゅうり)のおうまさんとかつくると、しょれにのってかえってくるよ」
「ああ、お盆のことか、どうした突然」
「はんばあがあにもちゅうりがはいってるでしょ?」
「うん、ピクルス」
「このちゅうり、ぱぱたべられないんだってね、へへへ」
「・・・な、なんやねんっ」


5月11日(金)
 10時、7月23,24日に日本橋劇場で公演する「集団日本舞踊21」の顔合わせに出席する。

 12時45分、羽田から徳島へ向かう。久々に空いている飛行機。いつものように飛び立 つ前に就寝。目が覚めるとスチュワーデスが飲み物を配っている。ありゃ、あんまり 寝てないぞ。それからなんとなく眠れず、本を読んでいると、なんかえらく揺れる。 「オイオイ」というぐらい揺れる。もはや本など読んでいられない。ガックンガック ンして着陸した。すっかり酔ってしまう。起きてるとろくな事がないぞ。

 年に一度の「徳島伝の会」のためにやってきたのです。ときわ(和佐比路)さんにお迎 えにきていただき、まずは富田町見番で稽古している師匠(鉄十郎師)をたずね、「二人椀久」の稽古していただく。そして本町稽古場(和佐和さん宅/僕にとって徳島のおかあさん)にて邦さんと稽古。 フー、さてさて明日の準備は整ったぞ。師匠(=松永鉄十郎)や友人のベンちゃんと合流してご飯を食べに行く。 そして「永島(クラブ)」へ。最後は永島のママと邦さんと三人でご飯食べて帰る。ただ今午前4時。いつもの徳島が始まった。

5月12日(土)
 「もうすぐホテルに着きます」という電話がかかった。えっ、ここはどこ? おお、ひょっとしたら寝坊したのかな?ひょっとしなくても寝坊したのだ。必要なも のだけ持って出発(いらないもの持ってどうするん)。シビツクセンターに入り準備。 いつも多くの方がお手伝いしてくれる、ありがたいこと。

 午後1時30分、伝の会開演。師匠の独吟の「二人椀久」はなかなかのものだった。 いっぱいいっぱい思い出のある徳島の伝の会。いつまでも続けて行きたい。  終演後、明日の打ち合わせをしてホテルへ帰る。急いでシャワーと20分の昼寝をし て、松永和佐和さんの快気祝い(ちょいと入院していた)のため「小笠原」へ。

5月13日(日)
 徳島は良い天気が続いている。ハワイに来た感じ。カラッとした暑さが心 地よい。邦さんは少々食べ過ぎの感もするが、二人ともすこぶる元気でハイテンショ ンでいる。ときわさんのお弟子さんの呉服屋さんのイベントで二回公演をする。 終わると、あわててホテルに帰り、シャワーと短い昼寝をして食事に出かける。この 空き時間のないスケジュールが良いのだ。和佐次朗さんがいなくなった今でも、当時 と同じように扱ってもらっている。 ただ、みんなの負担にならないようにいろいろ考えていかなければならないこともあ る。今回はそんな諸々のことを、ときわさんと確認したり、これからの方向を邦さん がまとめたりと、実のある三日間になったと思う。

5月14日(月)
 朝、邦さんを空港まで送っていく。邦さんは東京に帰る。僕はもう一泊し て明日大阪へ行く。今日は一人で自主稽古の日。

 少しボーッとする。吉野川が見える。この川をゆっくり眺めたことがないなぁと思 う。11号線を走る。景色を見渡した事がないなぁ。いつだってそこにあるもの。いつ だって変わらないものと思っているもの。少しずつ変わってきていること。自分がつ いていけるもの。まわりがついて来ないもの。ワッサワッサしているうちに見落とし ているもの、置き忘れていること。ここにはじめてきたのは21年前だ。たくさんの人 と出会い、たくさんの出来事が起こり、たくさんの思い出がある。昨日のことのよう に覚えていることもあるかわりに、忘れてしまっていることも山ほどあるはず。一人 でいると、ふと思い出せそうな気がする。けれども、思い出したとてどうするもんだ ろう。忘れているものの中には、「良い思い出」よりも「しまった」ということのほ うが遙かに多い気がする。しかもいそがしさにかまけてフォローせずにすましている ことがたくさんありそうだ。きっとたくさんある。忘れてることではなくて、忘れよ うとしたことなのかも知れない。


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