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鉄九郎の青?裸々な日常 第48号


2001年5月15日〜31日
徳島&大阪&函館の巻

5月15日(火)
 徳島から大阪へは飛行機で30分、実際に飛んでいる時間は15分たらずだ。その飛行機の半分の値段のバスがある。高速バスである。僕はバスは苦手である。「一月に京都から徳島までバスでいらしたんですから。それよりは近いのですから大丈夫ですよ」と言われるが、なにやらドキドキする。一応、酔い止めの薬を用意してもらい、いざ徳島駅前へ。師匠やときわさんたちと一緒だが、発車を待っている間にやっぱり不安になり酔い止めを飲む。おかげで2時間40分くらい乗ったらしいが熟睡していてまったく記憶なし。
 大阪駅からタクシーでテイジンホールへ行く。明日の松永会の下ざらい。僕は「傾城」のタテと和寿三郎くんの「綱館」のワキを弾かせてもらう。自分の番がくるころになっても、酔い止めがよく効いていて、眠くてしかたがない。何度かミスって迷惑をかけながらもなんとか終了。宗右衛門町のメトロホテルにチェックイン。シャワー浴びて夕食。騒いでいるうちに元気になってきた。ゲンキンなものである。

5月16日(水)
 メトロホテルの朝食を予約しておいてくれたので、久々に朝食食べるかとレストランへ。バイキングか、何食べようかなーー?、納豆とぉ生たまごとぉ海苔とぉおみおつけとぉ・・まっ、そんなもんか。あとごはんだな。炊飯器のフタをパカッとあけるとごはんがない!僕のトレイには、あとごはんさえ乗っかれば完璧な朝定食になるのに。あと一品なのだ。かと言ってごはんがないままに食べはじめられないものばかり。しばし途方にくれた。ご飯ってスゴイんなんだなあと妙なことを思った。
 そのいきおいで(なんの?)早くに楽屋入りをして「傾城」を浚う。松永会当日、なかなか良い天気となった。ヒロキ(忠次郎)ちゃんと「傾城」をやらせていただく。ご来場のみなさまありがとうございました。終演後、大阪から京都に移動し、一杯飲んで就寝。

5月17日(木)
 仕事が終わってホッとしたのか、目が覚めたとき「ここはどこ?」状態だった。美容院で眉毛までピリッとしてもらい、一度は目が覚めたが、東京へ向かう新幹線に乗ったとたん熟睡する。蒸し暑い東京駅に降り立ち山手線に乗るが、やけに空いている。どうやら何かアクシデントがあり止まっているらしい。いつ動くかわからない。どうしよーかなーと思ったが、丸の内線に変更して池袋に出る。
  こういうときの判断って難しい。「〜の撤去作業は終了いたしましたが、ただ今整備中で、再開の見通しがたっていません・・・」じゃあ他に行こうと思って歩きだすと、急に再開のめどが立って出発したりする。16日のこと。2階の楽屋から1階に行くのに楽器もってるからエレベーターで行く。下に行くエレベーターがなかなか来ない。うーんと考える。階段で行っても大したことはない。けれども今まで待っていたというのが惜しい。階段で下りるときはその気になって階段を使いたい。エレベーターをあきらめての階段では行きたくない。その時もジタバタしてしまい結局階段を使った。んなこと舞台に乗ってしまえば忘れてしまうことなのに、どうでも良いことでジタバタしてしまう。誰にも迷惑のかからないことでジタバタしたいのかもしれない。

5月18日(金)
「ようっ、今日、幼稚園見に行くぞ、はよーおきんかいっ」
「あっ!ぱぱとままがくるひだぁ、おはようございます、さきにしたにいってるね」
毎朝、抱っこしたりおんぶしたりして一階に下りていくのに、スタスタ行ってしまっ た。
 今日は保育参観日。娘を幼稚園に送ってからあらためて出直す。35人の4-5才児。さまざまな子どもたちがいて楽しめる。一年前に比べると全員が少しずつ人に気を使うようになっている。集団生活に慣れてきたということか。今日を最後に転園していくお友だちがいた。その子のお母さんが来てみんなにちょっとしたプレゼントをくれた。家に帰って「○○ちゃんからバンドエイドもらったよ」と言う。「ああ、バンドエイドとは洒落てるね、○○ちゃんと今日でお別れだったんだよね」と言ったらワーワー泣き出した。親愛なるジージ(我父)を亡くしてから娘は「別れ」という言葉に弱い。

5月20日(日)
 カーナビがついてからというもの、道順を考えることがなくなった。住所や駅や施設等々、行き先のとっかかりさえなにかあれば、目的地と入力すればどこにだって連れていってくれる。音声でも入力できるのは便利だ。そのうち運転もしなくていいのではないかと思うほどだ。おかげで行動範囲が広がり、この辺はわかりずらいなぁという所がなくなった。何に一番利用しているかと言えば、ラーメン屋探しである。おかげで、次々にお気に入りラーメン屋さんが増えてきている。手持ちのラーメン屋が増えて、なんだかリッチな気分になってきた。 ナガウタナビってないかなぁ。
てつくろさんにインタビュー
(編集部)ナガウタナビって、カラオケみたいに次に歌うところや弾くところが字幕で出て色がかわったりすることですか?それとも、本人が寝てても、手が勝手に演奏してくれるとか?鉄九郎さんのイメージしているナガウタナビを教えてください。
(てつくろ)あは、うまいね、どっちもありだね。なんかかっこたるイメージはなかったのですが、そうですね、カーナビって目的地を決めるとそこに行く道を決めてくれるんですよね。だから車走らせてて「右まがってください」と言われたら右まがってというようにしてれば、あとなーんもかんがえずに目的地へついちゃうの。ねっ、便利でしょ。そう考えると譜面っていうのはナビだわなぁ。
 僕が思うのはそういうんじゃないなぁ、なんだろ。「ちょっとしたヒントをくれるもの」なんだな。唄とか三味線の手とかじゃなくて、この曲がいわんとするとこというか、「この曲はさぁ、おまえさんにはわかんないかもしんないけど、こんな思いがあんだよ」みたいなことが一つ二つわかると「へー」と思えてグッとはいりこめそうなんだよな僕なんか。んなことなんですが。


5月21日
 5月も20日を過ぎたかぁ。はやいもんだねしかし。6月はコクーン、7月8月は巡業。あっという間に9月なってしまうぞ。うーむ、こちとらが鈍くさくなってきたのか一日の時間内にたいしたことができないのだ。ぼやっとしてると何せぬうちに夕方になってしまう。せめて昼寝で時間がつぶれてしまったほうが納得ができる。いかんいかん・・・・「青ララ」に、こんな文をちょくちょく書いてる気がするな。

5月23日(水)
 雨が降った。けっこう降った。梅雨時までは降らないと思い始めたころ降った。子どもは雨が大好きだ。赤い長靴が履ける。お気に入りの傘がさせる。幼稚園までの道のりを鼻歌まじりに歩いてる。子どもは雨が大好きだ。大人は少し憂鬱になる。

5月24日(木)
 今日も雨。空がすこし明るくなって小降りになった。これでやむかなと思ったら、またうんと降った。

5月25日(金)
 5時起床。さっき寝たのにと思いながら、着替えて羽田にむかう。7時55分の函館行きの飛行機に乗る。目が覚めると函館に着いていた。今日から三日間、仕事のため函館に滞在する。東京から行った長唄さんは、(杵屋)勝彦くん、 太郎(杵屋巳津也)ちゃん、邦さん、(杵屋)勝十郎くん。竹葉新葉亭へ連れていっていただき、さっそくツボ合わせ(リハーサルの前にやるやつ)、夕方終了。眠さと疲労でクラクラする。とりあえず、みーんなで温泉じゃーー、ひゃっははははー。

5月26日(土)
 朝市にいく。ここにいかなきゃ、函館に来た気がしない。おいしいお刺身を食べると一日が始まる。毎日こうありたいですな。今日は下ざらい。おそい夕方に終わる。

5月27日(日)
 さて、今日が本番。20年間もこの世界にいて言うのもなんだが、紋付きを着ると気持ちがひきしまる。やったるでーという気になる。不思議なものだ。疲労感はない、膝も痛くない。本番のときっていつも調子がいい。ありがたいことだ。
 無事に終演。主催者パーティがあり、「おつかれさまー」のかけ声とともに乾杯。おいしいビールが飲めた。楽しい三日間だったと心地よい疲れに浸ったとき、(芳村)孝次郎師の訃報を知らせる電話がなった・・・・・。

5月28日(月)
 会の方たちが空港ので大勢お見送りに来てくださる。再会をお約束して機内へ。急いで帰宅して急いで出かける。はぁはぁ言いながら渋谷へ。今日からコクーン歌舞伎のお稽古に参加する。 

5月29日(火)
 孝次郎師のお通夜が行われる。微力ながらお手伝いをさせていただく。早くお伺いしたいの半分、行きたくない気持ちも半分。行けば孝次郎さんの死が現実になってしまうのだから。
特別インタビュー「孝次郎師と私」
(編集部)孝次郎師と鉄九郎さんのご関係は?また鉄九郎さんにとってどんなお師匠さんでしたか?
(てつくろ)何年前でしたか、松永和佐次朗師と一緒にマンダラにでていただいた松永の筆頭の唄方の師匠で鉄十郎師(鉄九郎の師匠)の兄弟子で、もちろん長唄界にとっても重鎮で、ぼくにとっては雲の上の人で、大好きな唄を唄う人で、大尊敬してたし・・・
ちなみに芳村というと松永と関係なさそうなんですが、松永和風という名人がいましてね、今の松永忠五郎家元のおじいさんなんですが、その和風師匠の前名が芳村孝次郎なんですね。そして孝次郎さんの前名の松永忠次郎をヒロキ(鉄十郎師の子息)がいただいているのです。と、ちょっととこんがらがりそうですが。


5月30日(水)
 コクーンは渋谷にある。渋谷駅に一ケ月通うことになる。今日も稽古のため午後の早い時間に渋谷駅に降りた。ハチ公前に出る。スクランブル交差点で信号待ちをする。景色を見る。曇り空と大画面のテレビモニターが三つ。耳に雑音も入れてみる。ブレードランナーの中の近未来。湿気て来た。風がべとべとする。コクーンまでそれほどの距離ではないのに、ジトーッと汗をかく。
  はやく貴重な稽古風景の中に飛び込みたい。芝居を作り上げていく段階を瞬きせずに見たいと感じる、あの空間に行きたい。今日はどれほどの宝を得ることができるだろうか。この街に毎日来るのだ。

5月31日(木)
 (故松永)和佐次朗さんが日舞の方からの依頼で作った「かえるの誕生祭」というのがあって4日に国立劇場で再演される。カエルたちがいっぱいでてきて楽しい舞踊なのだが、三味線はなかなかどうして難しい。音の幅を広げて欲しいということで、今回は低音三味線を加えることにした。和佐次朗さんらしい手付けで、なつかしいやら、寂しいやらなのです。
「アツシィ、へんな低音(三味線の手)つけんでくれるゥ」と声がする。

てつくろさんにインタビュー
(編集部)どんなところが「和佐次朗さんらしい」手付けなのでしょうか?
(てつくろ)あー、だよね。むーづかしいなぁ。そう思うでしょ。吉田拓郎の曲とかさ小室哲哉っぽいとかあるじゃない、なんかああいうのがあるんだよね。手付けイコール曲の癖なのかもしんないけど、あ、でも曲きいただけじゃなくて、弾くと、あっここってなとこだなぁ、んーー難しいなぁ。
 なんかね、和佐次朗さんが弾くと、すらすらーっといい感じのメロディなんだけど他の人が弾くとむづかしい手でバタバターってなっちゃうの。そんなの。

・和佐次朗師への思いを綴った鉄九郎のエッセイ「音色(ねいろ)」も是非あわせてご覧下さい。


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