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鉄九郎の青?裸々な日常 第52号


2001年7月17日〜25日

裏わざはおたふくなおばちゃん

7月17日(火)
 丸亀から岡山は電車で40分くらいで着いた。岡山で「のぞみ」に乗り換え、一路東京に向かう。
 晴美(望月)さんと23日24日の仕事でコンビを組む。軽くお手合わせということで、ちょっとしたプライベートライヴをする。

7月18日(水)
 午後九時すぎ、今日最後のお弟子さんのお稽古をつけていたら、ピカッピカッ、ドカーンドカーン、ザーザーッと見事な台風みたいのがやってきた。お稽古しているおたがいの音が聞こえないくらい、しかも二人椀久なのに・・・。ま、日本家屋ということもあって余所よりもすごい音がするのだろうが・・・。お稽古が終わっても雨は衰える気配がなく、お弟子さんも帰れず閉じこめられた。
 小降りになり、車を走らせてみると、縁石が動いていて危ない。すごいいきおいだったんだなぁ。すっかり池になっている道がある。「わーっジャングルクルーズみたいやー」と最初ははしゃいでいたが、車が半分水につかるほどすごい深さのところもあり、さすがにUターンした。ああコワッ。洒落じゃないなぁこりゃ。あとで聞いたところによると板橋と練馬あたりのみの豪雨だったらしい。なぬー!

7月19日(木)
 「集団日本舞踊21 第四回自主公演」の下ざらいのため、六本木「あけぼの会館」へ。23日24日の二日間に三 公演する「集団 日本舞踊21 公演」の僕の出番は、一部の「裏わざ発見!おしゃべり邦楽器」と二部の「弥生の花浅草祭」のうちの「神皇皇后と武内宿禰」と「石橋」。「裏わざ発見!おしゃべり邦楽器」は邦楽器を紹介するワークショップで望月晴美さんのお手伝いをさせていただくことになっている。邦さん以外の方とのコンビはなにやら新鮮な感じがするものだ。

7月20日(祝)
 海の日かぁ。真夏だなぁ。ぴったりの天気だぁな。

7月21日(土)
 歌舞伎に地方として出演したり黒みすから多くの芝居を見ているが、客席で見ることがほとんどない。これは恥べきことである。心を入れ換えての第一弾として新橋演舞場の夜の部にやってまいりました。「人情馬鹿物語」を見てまいりました。
 ま、獅童くんが出ているということもあるんですが、何年ぶりかで芝居観るの?真剣に見て引き込まれて終わったときには目がすっごくつかれていた。乱視なもんでピントがあわないんやね。そういやそうだった。芝居とかを観に行かないのはこれが一つの原因でもあったのだ。長唄の演奏会でも出番まで他の人の舞台を見たりすると自分の出番の時には目がつかれてクッタクタになってしまうのであった。
 観劇のあと楽屋に行って、映画撮影のために見事にツルツル頭になった獅童くんを見て「かっこいい」と思いながら歌舞伎座の前で天津甘栗を買って帰る。(実は9/4にこのページを更新した時にはうっかり点心甘栗って書いちゃったの。ついつい伝の会の二枚目のCD第二幕-点心-の変換ぐせがついていてハハハ。てつくろ&編集部は全く気づかず、気づいたのはさすがコピーライターの川村摩利さんでした。さっそく訂正しまーす。9/6てつくろ&編集部)

7月22日(日)
 真夏真っ盛りで連日35度を超えているらしいのです。近所の光が丘のプールに行き外に出てみると「お祭り」をやっていた。私は屋台のお好み焼やらたこ焼が大好きである。お好み焼の屋台が三つ出ていれば、すべて買ってしまいたくなるほど律義なファンである。娘にも「これたべたんさいっ、おいしいから」と無理矢理食べさせてしまうほどである。娘は「おいしいね、でももうおなかいっぱいだから」とちっちゃな手を細かく振って父を傷つけないよう丁寧に断っていた。

7月23日(月)
 久々に日本橋劇場にきました。「集団日本舞踊21 第四回自主公演」の当日でございます。「裏わざ発見!おしゃべり邦楽器」のリハーサルをやり雑談している間に出番となる。二部の地方は(杵屋)勝彦さん勝吉治くんの唄と三味線はマサキ(=松永忠一郎=鉄九郎の師匠の松永鉄十郎師の子息)に手伝ってもらう。楽屋前の洒落た店で初日の集いをして帰宅。

7月24日(火)
 おととい、久々に父とはしゃいだせいか娘が昨日からおたふく風邪になった。熱があってぐったりしてる本人には悪いが、はなからおたふくのような頬っぺたがさらに腫れてドラクエのキングスライムのようになっている。王冠のせて頬っぺたに光いれたいぜ。妻など写真とりまくっている、ホホホホー。

7月25日(水)
 全身に心地よい疲れが残っている。無事に「集団日本舞踊21 第四回自主公演」が終わって良かった。頬っぺた腫らした娘の「おみやげかってきてね」の声に送られ、羽田空港にむかう。
 本日も真夏なり。隣の家のおばちゃんと「あっちゃん、おでかけ」「高松に行ってくるよ」などと挨拶する。隣のおばちゃん事、荒居さんのおばちゃんは、僕の父母が結婚してここに越してきたときからのお隣さんで、僕の生まれるまえから僕のことを知っている人。父母がいなくなった今、身近で僕の「ご幼少」のころのことを知っている人は「荒居さんのおばちゃん」しかいなくなってしまった。父の葬儀の時にお弟子さんたちに僕の子供の頃の話をなつかしくうれしそうに話してくれている姿を見たとき、喜んで話してるおばちゃんとうれしそうに聞いているお弟子さんたちを見て「おらぁ幸せもんだぜ」と泣けた。貴重なおばちゃんである。妻も娘も慕っていてくれるのもうれしい。「てんの会」で娘の唄ってる姿なんぞを見せたら、僕と娘の両方を見てポロポロ泣くに決まっている。
 昨日も楽屋でマサキ(=松永忠一郎)の子供の頃の話題になった。なにせ最初にあいつとあったのは彼が小学生のときだ。「あっちゃんの小さいときなんかさぁ・・・」と言われる方から「おまえの子供んときはよぅ・・・」と言う方になることが年をとるということならば、年をとることなどなんにも恐れない。恐いのは僕の子供のころのことを話してくれる人が減っていくことだ。 
 とにかく一人っ子の甘ったれたアツシくんは三味線抱えて一人で飛行機乗って高松に行けるまでに成長したわけで(一人で遠出ができるようになったのが30歳近くなってからというのか゛情けないが)。いつものようにぐっすり眠って気がついたら高松空港についていた。
 降りるときスチュワーデスさんが「到着が遅れて申し訳ございません」と頭を下げている。13時発の飛行機に乗ったんだよな。まさか夜になってはしないだろ、と外を見ると目があけてらんないくらいのカンカン照り。まあそんなにゃ遅れてないんでしょうな。何分遅れたかは知らんが、こっちは寝起きで頭が働かない。
 到着ロビーに出るとゾッとした。「高松じゃない。ここは徳島だ。げっ、乗りまちがえたか?」と目を白黒させキョロキョロすると高松空港と書いてあった。おどかすねぇ、よく似てんだよなぁ、徳島空港と。そういや、四月に来たときもゾッとしたんだっけ。なんだか疲れたわ、コーヒーでも飲むか、と空港内で優雅にコーヒータイム。二杯飲んだら目が覚めた。
 人のいなくなった空港内から外に出て、もう客は次ぎの便までこないだろうとホケッとしてるタクシーの運転手に声をかけて驚かれる。「市内の東急インまでいっちくりぃ、何分くらいかかるん?」という会話から妙に話がはずんで、あっという間の40分。チェックインして部屋に入り「着いたよー」と邦さんに電話をかけた。
 さてと、巡業に戻ってきたぞとベッドに転がる。数時間前おばちゃんに行ったとおり僕は高松にきた。世間知らずのアツシくんがこんな風になるとはなあ。
 ときどき思う、人生はマジックだと。だってスティングもそう歌っているもの。家ではキングスライムが吉本新喜劇のビデオを見ているころだ。

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