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鉄九郎の青?裸々な日常 第60号


2001年10月15日〜31日

平成中村座と胃カメラ


10月15日(月)
朝、娘を幼稚園に送った足で稽古場に行って片づけを始めたら、ノッてしまいとことんやってしまった。気が付くとお迎えの時間だ。帰宅した娘にも手伝ってもらい祖母の部屋の片づけをした。戸袋から、僕の子どもの時のおもちゃが出てきた。ミニチュアのクラッシックカー、パイロット万年筆のおまけのトランプ、右奥上の銀歯まで出てきた。
「おいおいちょっと来てごらんよ」
「えっ、なにぃ?」
「ほれほれ、お前にも遊べるおもちゃとかがあるぞー」
「えっ、しゅごーーい、どうしたの?」
「おう、俺が子どものとき遊んでいたおもちゃだよー、いやあ、なっつかしーーなぁぁ ぁ」
「へぇーー」
「ほらっ、このちっちゃいトランプなんか、お前の手にぴったりじゃないか」
「うわぁ、ほんとらぁ」
「なっ、このおもちゃたちはここの引き出しにしまっておくからな。この引き出しを『パパの思い出の引き出し』と名付けよう」
「名付けるってどういうこと?」
「そういう名前にしようってことだ」
「うん、わかったよ『パパのなつのおもいでのひきだし』だね」
「夏のって・・・・」

10月16日(火)
ちょいと娘と遊ぼうと思い、ゲームセンターに行く。ウッ、不健康ーー。
メダルゲームに親子で凝っちゃって。だってなまじUFOキャッチャーなどで遊ぶよりもお金かかんないし、たっぷり遊べる。メダルを一枚入れて「スタート」に入るとじゃんけんゲームが出来るのがあって、勝つとメダルが何枚かもらえる。「スタート」に入れるのは僕の係。じゃんけんゲームは娘の係。じゃんけんに負けると当然メダルもとられる。負けると「ごめんなしゃい」と僕にむかって合掌している。

10月17日(水)
あいにくの雨となりました。グーーーッと寒さもましたようで、ストーブを出したいと思った。しかも雨降り。そして稽古日。お弟子さんだって来るの大変だよなぁ。そんなことを考えながらお稽古してたら、ごはん食べ損なって倒れそうになった。

10月18日(木)
12月初旬の寒さと台風21号の雨。おかしな天気やなぁ。
27日に杵屋佐枝久師匠のおさらい会があり、今日はその下ざらい。大江戸線の蔵前駅まで光が丘駅から行く。まだ目新しい大江戸線。へー、こんなところを通っているのかぁと楽しい50分だった。「かやの木会館」というのが下ざらいの会場。(杵屋)佐吉師、(柏)伊三郎師と久しぶりに一緒にひかせていただいた。何回か続いたアガッチ(=津軽三味線奏者の上妻宏光さん)とのジョイントライヴで張り切りすぎたのか、右手の親指の奥の方に疲れがたまっている感じがする。

10月19日(金)「新曲浦島」(11/2と11/5のお江戸日本橋亭ライヴで演奏予定の曲)
むかーし大阪の松永会でタテを弾かせていただいたことがあった。「むずかしいなあ」というのがそのときの感想だ。いまよりももっともっと未熟な時代である。今思うと「むずかしいなぁ」などとは生意気な言葉だ。自分の「腹」が決まってないために、みんなに伝わらず、「うまくいかない、うまくいかない」と思ってたに違いない。
本番の舞台が終わって楽屋に帰ってきたとき(芳村)孝次郎師が家元(=松永忠五郎師)に「新浦はむずかしいねぇ」と言っているのを聞いた。その時僕は「ああやっぱりむずかしい曲なんだなぁ」と思ったのを覚えている。
孝次郎さんが言った「むずかしい」と僕が思った「むずかしい」の違いもわからずに。

10月20日(土)「船弁慶」(11/2と11/5のお江戸日本橋亭ライヴで演奏予定の曲)
と言われてまず思い浮かぶのが「杵勝」。二代目杵屋勝三郎師の作曲。現在の勝三郎師の「船弁慶」もたくさん聴かせていただいているし、端っこにのせていただいた(=長唄演奏の際、三味線の編成の末席に並ばせていただいた)ことも何度かある。ウチの家元(=忠五郎師)は現在の勝三郎師の甥にあたるので、自然とウチ(=松永流)でも「船弁慶」をやることが多い。上調子は一度やらせていただいたことがある。好きな上調子でもある。弾くのをたのしみにしている。

10月21日(日)
ひと雨ごとに寒くなってきた。朝晩はゾクッとする日が増えてきた。

10月23日(火)
来月はひと月芝居に行く予定である。・・・と書くと毎日お芝居を見に行くのかよ、と言われそうだが、そうではない。来月はひと月歌舞伎の仕事をさせていただく予定ということである。
ということは(お弟子さんたちを教える)お稽古日がとれないということになる。12月1日は「てんの会」(=邦寿・鉄九郎のお弟子さん合同おさらい会)なので来月お稽古ができないというのは、良いことではない。そんなあせりもあってここんとこお稽古日が多い。よくみんな来てくれているなぁと思う。
「てんの会」のプログラムの制作も始まった。11月2日・5日の伝の会で配ろうと思っているからだ。そんなことはこの世界ではめずらしいことだ。おさらい会は出演するお弟子さんたちが自分のお友だちなどを呼んでいるにとどまっている。つまり出演者の関係者以外の人はあまりというかほとんど見にこない。したがっておさらい会のお知らせを関係者以外に知らせるということは少ない。
「てんの会」はいろんな方にのぞいてもらいたいと思っている。お弟子さんたちのおさらいではあるが、知人以外のお客さまの前で弾くという経験をさせてやりたいと思っている。 伝の会のお客さまの中には、きっと邦寿・鉄九郎のお弟子さんはどんなんだろう?と、変な意味ではなく興味を持っている人たちもいるはずである。どんどんのぞきに来ていただきたいと思っている。それが僕らからお弟子さんに対する最大の送り物だと思っている。おかげさまで過去二回ともたくさんのお客さまに来ていただいている。うれしい限りである。

10月24日(水)
伝の会の練習を邦さんとやる。「船弁慶」の上調子のボリュームがわからない。大勢で弾くときのボリュームは心得ているつもりだが、なにせ二挺の「船弁慶」は初体験。「吾妻八景」とか「秋の色種」の上調子とはまったく違う。いやっ、どう違う?と聞かれてもうまく答えらんないんだけど・・・。

10月25日(木)
11月の伝の会の下合せのため(松永)鉄十郎師匠宅へ。「新曲浦島」と「船弁慶」の独吟は骨がおれるだろうなぁ(11/2は師匠の独吟で11/5は松永忠次郎さんと二人で唄われる)。
明日、胃カメラを飲む僕は21時以降は飲食ができない。下合せ終わったのが21時30分、師匠一家始め邦さんたちは、「アツシ(=鉄九郎)かわいそうになぁ・・・」とか言いながら酒盛りが始まった。ンーーーーーっ。

10月26日(金)
胃カメラーーーーっ、うーーーっ、イヤじゃーーーっ・・・・と言ってもしょうがない。
8時30分に本橋医院へ。
注射打たれて、うがいの麻酔で口ん中ボアンボアンにしていざっ。
「横になって横むいてくださいね。おどろくほどヨダレが出ますからね。肩の力ぬいてね」
「ウガー」
「はいはい、ちょっとゴクンと飲み込むようにしてみてださい」
「ウガガー」
「はいはい、がんばりましょっ、ここまで入ったんだから」
「ン゛ナ゛ナ゛マ゛ー゛ー゛」
・・・・・
「はい、おしまいですよ。うがいしてきてください。飲んじゃだめですよ。麻酔きいてますからね、むせて大変なことになりますよ」
うーーーっ、すんだーーー。まあとにかく良かった良かった。ポリープがあったらしく細胞を採取したから一週間後に結果を聞きにきてくださいということだ。まあとにかくすんだのだ。はぁ、なんかうまくしゃべれないなぁ。水がのみたいが1時間くらいがまんしないとむせそうだなぁ。
「健康診断みたいなのがあってもね、バリウムはもう飲まなくていいですよ」
「ンアッ(おっ、そりゃいいやぁ。けっこうしんどいもんなバリウム)」
「年に一度、胃カメラ飲みましょうね」
「アゥナ$!ッ゛(ゲッ)」

10月27日(土) abc会館ホール
内弟子のころからお世話になっている(杵屋)佐枝久師のお浚い会があり助演をさせていただく。伊三郎さんと飲む。

10月28日(日)
中村座ーーー。平成中村座の稽古がはじまったぞーー。
昨年やったんですよね。「法界坊」をね。残念ながら見逃したのです。すっごく悔しくってね。今回の「義経千本桜」も楽しみにしていました。
車で邦さんと一緒に隅田公園のとこにある中村座に到着したのが11時30分でした。今日はあいにくの雨です。そして寒いです。知盛編・権太編・忠信編と三つの演目があって毎日昼夜、そのなかから二つの演目をするんですな。

10月29日(月)
本日は良い天気になりました。電車で浅草まで行こうと思い、iモードのJRナビで行き方ベストスリーを調べたら、どうがんばっても2回は乗り換えなくてはいけない。
まあ、うちから浅草は遠いしなぁ。有楽町線飯田橋駅で大江戸線に乗り換え、蔵前で都営浅草線に乗り換える。ほほぅ、大江戸線が開通したからちょっと近くなったかな、48分と出たぞ。まっ、行ってみよう。
あっ、定期買おうっと。定期、定期。こんなときにしか使えないからな。今、定期ってどうやって買うんだろ?
蔵前の乗り換えは外に出るんだなぁ。雨ふったらめんどくさいなぁ。途中のコンビニについよってしまうなぁ、などと思いながら浅草につく。
時間通りだ。このiモードのJRナビを使いだしたら、もう「どうやって行こうかなぁ?」などと考えなくなってしまった。いいことなのか?悪いことなのか?こうして脳をつかわなくなるんやなぁ。使うのは左の親指だけじゃわい。
浅草駅から徒歩13分、着きました着きました、汗びっしょりです。いい運動になるぞこりゃ。そういやぁ、仙台の検査のあと「運動してください、一週間に三日、20分以上歩くといいですよ」と言われた。その時は「へーっ、そんだけでいいんだぁ、ラッキー」とか思ったけど、20分歩くだけで「運動」になってしまうという「年齢」にアゼンとするね、しかし・・・。
本日ちょいと芝居の稽古を早退して日芸(=日本大学芸術学部)へ。
途中で待望の定期を購入しました。自動販売機で買えるんだぁ、スッゲー。池袋から西武池袋線にのり江古田へ。久々にのったぞ、西武線。
日芸歌舞伎の公演が2日にあって、今日はその下ざらいなのです。2日は中村座の初日と伝の会のお江戸日本橋亭ライヴがあるのです。三つも行けないので伝の会に行くことにしました(あったりまえやろが)。
であるからして、日芸歌舞伎は(塚原)勝利くんにお任せすることになってるんです。一応責任者なので下ざらいには顔をだしたということです。ワキ三味線に(長坂)雄太郎くん、唄に(杵屋)勝吉治くんをお願いしました。下ざらいも無事に終わり、勝利くんたちを飲み屋にお連れして僕は帰路につきました。

10月30日(火)
今日は松竹稽古場でお稽古なんです。三味線弾きは(杵屋)源次郎師、(岡安)喜久三郎さん、(杵屋)栄徳郎さん、邦さん、マサル(=松永忠史朗)と僕の6人。
一つの芝居を3人でやるので、みんなで交代しながら編成を組んでいくんです。「香盤(こうばん)」と言うんですけどね、昼の部はこの三人、夜の部はこの三人とかね。知盛編・権太編・忠信編とそれぞれ責任者である立三味線の人は決まってるんです。その下につく二人をいい具合に、なんとなく平等に決めていくんですよ。それを僕が今回作ってんですけどね。なんかこの三日間ずーーっとそのことばかり考えててね。みんなのわがまま聞いたりさ、なかなかうまくいかなくてね。まあ、そんなのやってんのが楽しいんですけどね。みんなが稽古場で弾いてんのに、一人で楽屋で表とにらめっこしてたら、すっかり乗り物酔いみたいになっちゃって「ワシはいったいなにやってんだろーか」なんて思ってました。

10月31日(水)
松竹稽古場で総ざらいやったあと中村座に移動して舞台稽古。邦さんが車で来ていたので便乗させてもらう。やったーラッキー。客席で舞台稽古を見学いたしました。 ウワーッ、報道陣がいっぱいきてるーー。さすがやね。いろんな席に移りながら見たけれど、どこで見ても以外に見やすいんだなぁと感心した。
えっ、今日で10月もおしまいかいっ。はえーなーしかし。これで芝居がはじまったらアッという間に11月も過ぎるだろーなぁ。


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