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鉄九郎の青?裸々な日常 第62号


2001年11月11日〜26日

てつくろパパが語る「狐忠信」

皆さん風邪ひいてませんか?僕はもー、なおんなくてなおんなくて、12/1てんの会の時に獅童くんと二人ですっごい声ではなしてたんですよ。あいつもすごいの。ぜーんぜんなおんないって。勘九郎さんもすっごーい風邪ひいてるそうで、中村座の打ち上げをはやびきしたというんだから、よっぽどだーね。でも翌日の7時からゴルフはいったんだと・・・やっぱ怪物だーーー。

11月11日(日) 国立劇場
踊りのおさらい会です。良いお天気になりました。久々に車飛ばして出かけます。すいてて気持ちがいいーー。車はラクじゃーー。国立の3階で「忠臣蔵展」をやっていた。うおっ、おあつらえむきだねー。というのも、来月5日のマンダラライヴのテーマが「忠臣蔵」で、今いろいろ調べてるとこなんでゲス。昨日も電車にのりながら忠臣蔵の本読んでいてすっかり乗り過ごしてしまったんでした。

11月12日(月)
猫がポツンとさびしそうに見えた。娘は声色で言った。
「おかあさんのところにかえりたいにゃあ」
「おう、猫もお前と同じにお父さんお母さんと一緒にいたいんだろーね」
「いっしょにいたいにゃあ、ぱぱとままがすきなんだにゃあ」
「狐の世界でもそうなんだってよ」
「えっ、きつね?」
「うん、狐の世界じゃなぁ、親孝行しないやつは、悪い子だって言われてんだってさ。いっぴきの狐くんがいてな、その狐くんのお父さんお母さんは、鼓にされちゃってたんだよ。鼓ってわかるか?だからその狐くんには親孝行する親がいないんだよ、鼓にされちゃったんだから。だからな狐くんは子どもの時から親孝行ができないので、みんなにとてもいじめられたんだよ」
「へー、かわいそうだね」
「静さんてお姉さんがな、その鼓を持って旅をするんだよ。狐くんはその鼓のそばにいたいじゃないか、だってお父さんとお母さんなんだもの」
「うんうん」
「でも狐くんの格好では一緒にいらんないからってんで、人に化けるんだな。で、義経くんてとこに行ったときに、狐くんが人に化けてることがわかっちゃったんだよ」
「どうなんの?」
「おこられるわなぁ。それでな狐くんは言うんだ」
「なんて?」
「泣けるぞ。実はその鼓は僕のお父さんとお母さんの皮で作ってあるんです」
「いたしょうだね」
「ま、せやな、痛かったろうけどな。そんなとこで泣くんじゃないぞ。鼓の音がさ、みんなにはポンとかトンとか聞こえるでしょって。でも僕にはお父さんやお母さんの声に聞こえるってよ・・グスッ・・今その音はな、義経さんに迷惑かけるなって聞こえるって・・・グスッ・・だから僕は帰りますって帰るんだよ。お前、パパやママと離れたくないだろ」
「やだよー」
「狐くんだってつらかったろーよ。そしたらな、おまえ、義経くんだって悪いひとじゃねーやな。狐くん、狐くーんって呼び戻してよ。その鼓を狐くんにあげたんだってよ。そんで狐くんはよ、そりゃもうよろこんでころこんでよ。なっ、これが今度お前がみるバッタリ(=歌舞伎のツケの音を擬音でバッタリと表現します。転じて、我が家では娘に話すとき歌舞伎芝居のことをバッタリといいます。)だ。なっ楽しみだな・・・いやあ、いい話を聞かせちゃったなぁ、うんうん。どうだ?楽しみだろ?」
「・・・・・・・ころこんでってどういうこと?」
ガクッ!!

11月13日(火)
 車を近所のトヨタに持っていった。駅で言うと光が丘駅と春日町駅の間にある。トヨタの人に、「どっちの駅が近いの?」と聞くが「いやぁ、おんなしくらっすねー」と言う。ま、じゃあひとつでも浅草に近い春日町駅まで歩くかとテクテクあるきだす。20分くらいあるくかなぁとぼんやりと思っていた。普段歩くことのない道。知らないんじゃなくてよーーーく知ってる。車でしかとおらない道なのだ。
 車でしかとおらない道を歩くってなんだか不思議な気になる。高速道路を歩いているような。なかなか緑が多い道で落ち葉を踏むサクサクという音が気持ちがいい。天気はいいし、なかなか良い通勤路だなぁ。あれっ、もう春日町駅についちゃった。7分てとこかしら。ほんっとにいい加減だね。すっごく遠いと思っていた。ワシの感覚って・・・・。

11月14日(水) 5日の後日談(?)
久々に幼稚園に娘を迎えにいき、マクドナルドにいった。ハンバーガーをムシャムシャ食べるようになった。こないだまでチキンナゲットしか食べらんなかったのに。食べ終わったら娘がトレイをゴソゴソしだした。
「なにやってんの?」
「ダスチックは?」
「ダムチック?」
「ちがうよ、ダスチック」
「え?」
「ダスチックどこ?」
「なんのことだよ?」
「ほら、ごみをかみとダスチックとにわけるじゃない」
「(あっプラスチックのことだ)・・あっ、ダスチックな。(こらまたおもしろい、なおさんとこ)これとこれだ。ダスチック、ダスチック・・・」
「ん?ほんとはダスチックじゃないんじゃないの?」
「うっ、だんだんするどくなってきやがった」

11月15日(木) 浅草寺
中村座の帰りに一本違う通りを歩いたら浅草寺に出た。
 「センソウジ」って大人の呼び方だなぁ、そんな風に呼んだことなかったなぁ。「浅草の観音さま」だな、やっぱ。祖母が生まれ育ったのが観音さまの裏手の方だと話てくれた。子どものころ下駄はいて学校にいく。仲見世をとおっていく。当時の子どもにとって仲見世を通ることは今で言うと毎日ディズニーランドの中を通って行くみたいなものだ。楽しくて楽しくて、毎日遅刻していたよと言っていた。冬になると仲見世の石畳が凍って危なかったらしい。しかも下駄だ。転んで泣いて学校に行くのやんなっちゃってよく休んだと言っていた。ろくな子どもじゃなかったんだなぁ。久保田万太郎氏の話が出てきたりした。子どものころ「きくちゃんきくちゃん」と言われていたらしい(祖母の名は「きく」といいます)。仲見世の石畳を歩くといつも祖母の話を思い出す。ここをあるいてたんだなぁ、10才にもならない祖母が・・・
 母ともよく行った。なにかっつうと観音さまに行っていた気がする(なんでだろ?)。なんか、昔って「お出かけ」って言うと観音さまとかお墓参りとかだったなぁ。それがとても楽しかった。どこかに連れていってくれるというのが楽しくてたまらなかったんだな。子どもができてよくわかった。彼ら彼女らは親がどっかに連れていってくれるという好意にとても喜ぶものだ。ちょいときれいな格好させてもらって。もちろん遊園地ならもっとうれしいが、実は行く場所は関係なかったように思える。
 初詣は観音さまだった。父と母と一緒に。どこで何を食べたのか、どうやって行ったのかは覚えていないが、ドカーンとした浅草寺の本堂は印象に残っている。何の気なしに一人で歩いていて、そこにヒョコっと出た。観音様はヒョコっと出るようなとこではない。僕にとってはちょっとおしゃれしてウキウキした気分で出発しての到着地なのだ。不思議な気分・・・
 観音経が聞こえる中お参りをする。子どもだったおばあちゃん、僕くらいの年だった父、着物姿の母、半ズボンの僕。みんなこの前で手を合わせ願いをした。感謝をしたり家内安全だったり・・・。半ズボンの僕は何を祈ったのだろ?41才のときの僕を想像したことがあるだろうか?妻や子がいることは想像したかな?おばあちゃんもおとうさんもおかあさんもいなくなってるなんて微塵にも思わなかったろうな、半ズボンの僕にはショックだろうな。でも多くの仲間がいる今の僕をみたら君はきっとうらやむと思うがな。

11月16日(金)
 クリスマスが来月に迫ってきたらしい。子どもたちはそれぞれ、どんなプレゼントをサンタクロースに請求するかを日々考えているんだそうだ。娘も「なにがいいかななにがいいかな」と楽しんでいるようだ。 「いい子にしてないともらえないんだよ。あっそうだ、どっかに書いてはっとけよ。僕たちの言うこと聞いていい子だったらサンタさんにいってあげるから」と何日か前に言った。未だに家のどこにも貼ってないので、忘れちゃったんだなと思っていた。そして今夜、さて青ララを書こうと思いファイルを開いたら今日の日記が書き込まれていた。「えっ?」と思ったら娘が書き込んだんだった。

さんたさん
みにもにかあど
あとはむたろうのぱちんこおください
ゆうより

プレゼントはひとつに絞れなかったらしい・・・

11月17日(土)
 定期での通勤が続いている。この定期で40回は乗らないと元はとれない。うーん、40回というと20日間だな。うーん微妙だなぁ、26日までしきゃつかわないし、日曜祭日は車で行ってしまうだろうしなぁ、何日つかうのかなぁ、得すんのかなぁ。邦さんが「定期家に忘れるなよ、すっごく悔しいぜ」と言っていた。なんかわかる気がするな。乗車券買うとき腹たつだろうな、自動券売機の前で「んーーー、ほんとは定期持ってんだよーー、ほんっとは買わなくたって乗れるんだよー、ね、知ってるでしょ僕が定期持ってること、知ってるよね、いつもこの改札をサーっと通っていくでしょ、ね、ね、とおれないかなぁ、定期なくても・・・・」なんてグジグジしそうな。お酒とか飲みにいくと、パーっと使っちゃうくせにね。

11月18日(日)
 車で中村座に出勤。20キロくらいなのかな。すいてるとはやいなぁ、40分くらいかな。これが平日だと二時間ちかくかかるんだからおそろしいね、しかし。

11月19日(月)
 試演会というのがありましていつもの役柄と違うというか、若手に主役をというか、なんというか、本日は板東弥十郎さんの知盛で「知盛編」でした。そのあとに勘九郎さん、福助さん、串田和美さんの対談がありました。芝居が終われば、僕らの仕事は終わりなので帰るんですが、この対談を見ない手はないですわね。共感したり、なるほどと思ったりて良い時間でした。

11月20日(火)
 あっ、今日は「てんの会(=邦寿・鉄九郎のお弟子さん達の合同おさらい会)」だった。急いで海岸に行くと、浜辺に邦さんが一足先に紋付着て待っていた。「ここでいいだろ?」「うんそうだね、これ以上むこう行くと満潮になったとき水びたしになっちゃうもんね」と言いながら、波打ち際に緋毛氈をひいた。「おきゃくさんくるかなぁ?」「海だから大丈夫だろ」「ああなるほど、海だものね、人は集まるわな」その時大事なことに気がついた。「あっ、三味線わすれた。自分のは持ってきたけど、お弟子さんたちのをすっかり忘れてたよ」えらいことである。ウチの出し物の時には邦さんのを借りるか。取りにいってる時間ないしなぁ・・・でもここどこの海なんだろ?三味線にとっちゃ良くない環境じゃないかな?ここで弾くというのわ・・・
 という夢を見た。どうやら行ったことないけど桂浜なんだなきっと。紋付き=坂本龍馬=桂浜なんだろうなぁ。

11月21日(水) 
「今日はどっかでかけたの?」
「うん」
「どこに?」
「うーんとね」
忘れちゃうんだね。今日の夕方の出来事が去年の出来事ぐらいになっちゃうのかな?
それだけ子どもの速度は速いのか?いや、覚えてられないのか?
それでも最近、だんだん覚えられるようになってきた。
「くちびるにいったよ」
「なんだい?のりおよしおの漫才みたいなこと言うな。くちびるってなんだ?どんなビルだ?何階だてだ?」
「ちがうよ。そういうんじゃなくてさぁ、くちびるって、おさかなとかうってるとこ」
「魚売ってるくちびるなんてきいたこたぁねーなぁ」
「あれっ?くちべにだったかな?」
「くちべにー?」
「ヒャヒャヒヤ」
「駅ビルだろ」
まだ記憶もさだかではないようだ。

11月22日(木)
 舞台と客席が一体となる瞬間がある。芝居小屋というのはまさしく一体感を作り出す空間のほうがおもしろい。舞台を囲むように客席がある。中村座はまさしくその芝居小屋に間違いない。そういう空間にはいると人は顔が変わる。黒御簾から客席をみると一人一人が生き生きとした顔で芝居を見ている。
 今日は試演会。四の切の忠信を獅童くんがやった。獅童源九郎狐がその芝居小屋の空間に生きて飛び跳ねた。みごとに一体感を作り出した。すばらしかった。泣けてしょうがなかった。

11月23日(祝)
 風邪ひいた。今年はよくひくなぁ。おととい喉がイガイガして昨日は痛くなって、仲見世のマツモトキヨシに行って薬を買った。薬を飲むと喉が痛いのはなおったけど、今度はボーッとしてきた。楽屋で横になるわけにも行かず、きつーい一日を過ごした。出番が終わってから客席に行って獅童くんの忠信を見て涙しながら浅草まで歩いて、満員電車で帰宅したころには、パジャマ着るのもシンドイくらいだった。
 昨日バタッと寝たのが良かったんだろ。今朝は昨日ほどのシンドサはない。仕事終えて帰宅。今夜は昨日入らなかったお風呂入ろう。気持ち悪くていけねーぜ。

11月24日(土)
 えっ?、えっ?、えっ?、三連休ですって?、昨日から?・・・。
 へーーっ、いやいや知らなかったなぁ。この世界に入って21年。曜日感覚がなくなって21年。カレンダーの数字が赤くなっていようと目が祝日だとは感知していない。まあ、その前にカレンダーもみないけど。
 今月なんてさ、「明日の出番は昼の部かな?夜の部かな?何編かな?」しか見てない。こんな風に生きてるんですよ、我々は・・・あっ、我々と言ったらいかんな、「僕は」かな。
でね、6人くらいいた楽屋で
「昨日は祝日だったんだね」って話が出てね。
「あっ、そうですよ」
「あっ、そうだんたんだ」
「へーっ」
「何の日だったんだろ?」
「秋分の日だよ」
「あっそう」
「へーっ」
「違いますよ、勤労感謝の日ですよ」
「あっそうか、はははは、俺も大したことねーなぁ」
「へーっ」
マックのおっちゃんとかわらんやんけ。(注:11/3の日記参照)
こんな風に生きてるんですよ、「我々」は。

11月25日(日)
 忠信編は道行の引っ込みを弾きます。静の引っ込みが「花の雲路」。忠信の引っ込みが「見渡せば」っていうんです。忠信がキマって「見ィわァたァせェばァァァ・・・」と唄うんですけどね、忠信はその唄に合わせて見渡しているんですよね。いいよなぁ、なんか。
 それで休憩が入って「川連法眼の館の場」になります。最初なんて読むんだろ?ってね、「カワレンホーゲン?カーレン?センレン?」なんてね、みんなが「四の切」って言ってるから「シノキリ」って読むのかぁ、なんて感心したりしてね。四段目の山場なんで「四の切」って言うんだそうで、なんだかてんでわかっていなかったんですが、そのうちに「ああ、カワツラホウガンという人の家に義経がいるんだ」とわかってきたりしてね。川連法眼というのが人の名前だとも思わなかったんですよね。
 その四の切で狐忠信が出てくる前で黒御簾で弾く三味線の仕事は終わりなんです。終演より30分くらい前には終わってしまってるんですね。そのあとの楽しいとこを僕は二階からよく見てるんです。帰っちゃうのもったいなくてね。毎回泣いちゃうんだけど、今日は、なんと一回の竹席で座ってみたんですよ。もちろんお金払ってますよ。
 いやーっ、良かったなぁ、いい小屋ですね、中村座。舞台稽古のときとか、一階松席で見たりしたんですけどね。お客さんがいっぱいにあふれてる時とは全然ちがうんですよね、あたりまえと言えばあたりまえだけど。勘九郎丈もこないだ黒御簾から客席見ながら「ここはいい小屋だね、見てごらんよ、お客さんの顔が違うもの、生き生きとしてるよ、○○劇場とは全然違うよな」とおっしゃっていました。その生き生きとした客席でお客さんと息を飲みながら見る「四の切」のラスト20分、堪能しました。
 泣きました。「源九郎狐良かったなぁ、鼓もらえて良かったなぁ、ウウウっ・・・、義経も偉いなあ、ウウウっ」
 明日は千秋楽。最後の源九郎狐をまた客席のどこかでこっそり見るんだ。

11月26日(月) 千秋楽
 一ヶ月通った中村座の千秋楽。仮説小屋なので何日かするとここは以前の公園になるのだろう。不思議な気がする。浅草からここまで息が切れずに歩けるようになったが、今度、もしくることがあったら、また最初の何日かはゼイゼイするのだろう。そんなことのくり返し。けれどそのくり返しはたいくつなものではない。楽しいことだ。そんなことを思いながら超満員であふれそうになっている客席のはじっこで源九郎狐を目に焼き付けた。


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