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鉄九郎の青?裸々な日常 第63号


2001年11月27日〜12月10日

忠臣蔵と眉間ならぬ目尻の傷

11月27日(火)
ここんところ良い天気がつづいてる。メッチャ乾燥してるんだろう。今日から30日までは毎日お稽古日。「てんの会」への猛ダッシュがはじまる。まずは稽古場の掃除から。暇をみつけての片づけも大分進んだので掃除もしやすくなってきた。石油ストーブへの石油入れにも慣れた。

11月28日(水)
シンドイ。風邪風邪風邪。ダーールイぜ。いや、こんなことではいかん。てんの会も迫っている。みんな必死でお稽古に来るのだ。気を引き締めてかからんと。しっかりとお弟子さんに風邪をうつして・・・・あっ、いやっ、お弟子さんに風邪をうつしてどうすんのじゃ、うつさないようにしなきゃいけないではないか。しかし風邪は人にうつすと治るというしな・・・やっばりうつして・・・こらこらこらっ、なんちゅう師匠だ。いかんいかん。お弟子さんが風邪で倒れたらどうするのだ。まったく目先の「楽さ」を考えてはいかん。だってさー、シンドイんだものぉ。一応、お弟子さんが来るたびに「僕の風邪をもらってってくださいね」と言ってみながら稽古をする。僕よかひどい風邪をひいてる人がいて、帰りには楽になって帰って行った。・・・てことは、俺がもらっちゃったのかよーー!!さすがはてつくろの弟子たちや、なかなかやりよるぞ。

11月29日(木)
はいはい、今日もお稽古してまっせー。それと同時に5日の忠臣蔵のネタつくって、22日の(みやざき)みえこちゃんとのセッション考えたり、DMの住所印刷したり、鼻かんだり・・・・。いそがしいっちゅうねんっ。頭ん中、わけわかんないっちゅぅねんっ。その間に新しくみつけたラーメン屋で堪能し、ユニクロに普段着買いに行ってるっちゅーねんっ。わざわざいそがしくしてるんちゃうん!!風邪がなおんないっちゅうねんっ。家帰ってお風呂入ったら、そりゃバタッと寝るっちゅうねん。

11月30日(金)
いよいよ明日が「てんの会」ということで、お弟子さんも「フンカフンカ」と息が荒くなってるよーな、いないよーなです。緊張というのはいいもんだなぁと思う。世の中がだんだんわかってくると緊張することが少なくなってくる。ダラーーっとしてくる。よくないね。よくないよくない。常に緊張する場面を作るというのは大事なことだと思う。美容にも健康にもいいはずだ。一人一人の出し物のときに、間違ったとか、失敗したとかは全く心配ない。失敗せず間違わずにつとまるわけがない。そんなことではなくて、一人一人が「ああ弾いて良かった」と思えるものが得られるといいな。そのためには、事故がなく、普通に舞台がつとめられるといいなぁとそればかり思う。

12月1日(土) お江戸日本橋亭  てんの会
良いお天気になった。
たくさんのお客さまに来ていただいた。
もうこれで大成功だ。
くにさんとこも僕んとこも、みんな上出来だった。
「気」が良かった。
プレッシャーと緊張感に真正面からぶつかってうち破っていったような強さがあった。
誰も負けなかった。
すごいなぁと思った。

12月2日(日)
昨夜、二次会に出席せずに帰ってきて早めに就寝した。そうです、まだ風邪は絶好調なのです。中村座が千秋楽になろうと、「てんの会」があろうと、ドッカといすわった風邪くんはいっこうに姿を消そうとはしないのです。そういえば、昨日、獅童くんが「てんの会」によってくれました。彼もひどい風邪で全然なおらないようでした。

幼稚園の子供会という、いわゆる「幼稚園の学芸会」があるので見にいく。娘は二日続けて本番だ。彼女のクラスでは「ジャックと豆の木」の劇をやった。娘の役は牛と種を交換するおばあちゃん役。なんでも杖を持ちたいから志願したらしい。唄もあって、よく家でも唄ってるんだけど「にんぽーたーてー、かっこーがいいよー、ジャックはー・・・」どうやらジャックと豆の木の歌らしいのだが、「にんぽー」って「忍法」のことか?なんだろうなぁとずっと思っていたんだけど、ふと気が付いた。「にんぽーたーてー」というのは「びんぼーだってー」だ!ね、ね、そうだよねきっと、「貧乏だってかっこがいいよ」なんだろうな、きっと。劇のあとにみんなで歌うのもあって「北風小僧の寒太朗」を歌っていた。「寒太朗」なんだね。「寒太郎」だと思っていた。

午後から古典空間と伝の会で会議・打ち合わせ・意見交換などなどの時間をとりました。これが大事大事大事。

12月3日(月)
娘がふた針縫う怪我をした。あせって、日大光が丘病院に連れていく。病院にはいろんな人がきている。眼科にもさまざまな人たちがきている。付き添われて来るご年配の方たちも多い。年をとるとガタがくる。目も衰えてくる。病にもなる。病院通いが当たり前の人たちの数は多い。家族の人たちのご苦労も多いことだろう。

父も母も病院通いということはほとんどなく逝った。病院通いがシンドイことだとすれば、そのシンドサを父も母も僕には味あわさなかったことに感謝すべきだろう。

当たり前と思ってしまう「健康」。健康を保てることは稀にみる偶然なことだ。

12月4日(火)
いろいろ事務仕事がたまってたりします。風邪はあいかわらず居座っています。明日のライヴのことを考えている自分がいます。

12月5日(水) 南青山マンダラライヴ
邦さんとお昼前から稽古、もちろん今夜のマンダラのため。

忠臣蔵ってさぁ、いろいろ調べたらおもしろいこといっぱいあるし、実話はくらーーいところもいっぱいあるし、とてもじゃないが2時間にはおさまらない。そこをどうするかがテーマなんだな。とにかく、ちょっと詳しくなりましたよ。

元禄14年は1701年。きっちり300年前の3月に刃傷松の廊下があったんですな(ま、これも本当は刃傷が起きたのは松の廊下ではないんですが)。僕のご先祖さまは、どこにいて、何をしていたかは知りませんが、この赤穂浪士の話は知っていたかなぁ。どんな風に聞いたのかなぁ。どんな風に思ったのかなぁ、と想像するとおもしろい。今夜マンダラにいらした人の中の全員のご先祖さまは確実に、あの元禄の時代に生きてたんだからね。あたりまえだけど、なんかすごいことだなぁと。

歌舞伎(文楽)の「仮名手本忠臣蔵」はよくできてますなぁ。ま、こんな職業していて今更感心するのも恥ずかしいことですが。

例えば、まったく知らないで見るとするとさぁ、師直に意地悪されてる若狭之助がいてさぁ。おっ、師直は吉良上野介だよな、すると若狭之助が浅野内匠頭か、なんて思っちゃってさぁ(思わないかな?)で、若狭之助は「明日、師直を殺すぞ」と加古川本蔵に話してさぁ、本蔵が若狭之助に内緒で師直に進物を届けてるとさぁ、翌日、若狭之助が師直にあったときにさ、師直が「意地悪して悪かったなぁ」なんて言って。なんか頭下げられちゃったら若狭之助も切れないじゃない。で、若狭之助が去る。師直は、なんか若僧に頭下げたことでムシャクシャしてるところへ判官が遅刻してくる。なんだこいつは?なんてさ。ま、いろいろあったんだけど。でも師直もいじめたくなっちゃうよね、しかも判官の奥さんのことが好きで恋文なんかも送っちゃってるしさぁ。まじめな判官さんは急にいじめられちゃってカーっとなって師直に斬りかかっちゃう。本蔵がとめるでしょ。本蔵は、若狭之助vs師直を見ててさぁ、なんとかうまくいったなぁと思ってるとこへ判官がきてさ、ずっと見てたんだね。「おっ、なんだなんだ」とか思いながら見てたんだね。そいで判官が斬りかかっちゃうから、あわててとめちゃったんだね。なんかおもしろいよね。若狭之助がムカっとしなかったら師直もイライラしなかったろうし、判官だって師直を切らなかったかもしれない。それが発端でさ、最後に討ち入りしてさ、判官のお墓まで歩いてるときに若狭之助が出てきてさ「よくやったよくやった」てみんなを讃えるんですわね。「あんたがムカっとしなきゃ、討ち入りになんかなんなかったんだぜー」って思うよね。うまく考えてあんなー。コントみたいじゃない。定九郎が斧九太夫の息子っていうのもおもしろいよなぁ。親子で金に汚くてね。

こんな風に書いちゃうと、あんまり良くないかも知れないけど、今から250年前くらいにこれが芝居でかかってさぁ、サイコーだったろうね。まあ、忠臣蔵に限らず歌舞伎ってストーリーだけを追ってみてもすっごく奥がふかくって、隠れコマンドみたいのがいーっぱいあってさ、マニア的なものが流行ってる今の人たちにぴったりだよなぁと思うよ。

ほんとうの赤穂浪士のこともちょっと調べてみました。いろいろ文献とかもあるし、見方によってぜーんぜん違って映ってくるし、事実だけをとっていっても随分違う部分がみえてきました。なんで内蔵助があんなに悠長にしてられたか、どこにそんなにお金があったのかとか調べただけでもおもしろい説がたくさんある。今から299年前に起こった実際の事件。なぜ「仇討ち」ではなく「討ち入り」なのか?どうして本所から高輪まで大行列したのか?だって午前6時すぎから歩きだしたんだよ。もう立派な朝にさ、大変な騒ぎだったろうね、江戸の町民たちは。

また機会があったら忠臣蔵のことをやりたいと思います。みんながなかなか気が付かない芝居のおもしろいとこと、本物の討ち入りのエピソードを織り交ぜて。

今日のお客さまもあたたかかった。始めてのかたもたくさんだったにも関わらず、なぜかホンワカとした空気だった。 森山の前説のせいか(?)。終演後、スタッフと次回のテーマやネタについての話ができた。これがなによりうれしい。お客さまのご意見はもちろん一番大事なことであるが、スタッフの意見・要望が僕らをグッと前向きにさせるのだ。邦さんも僕もスタッフの考えや思いなくしては突き進んでいくことはできない。常に思いっきりのライヴをするために大きな支えでありブレーンであるのは、いっつもそばにいるスタッフたちだ。2月、6月のお江戸日本橋亭ライヴ。3月、5月のマンダラライヴ。タイプの違う二つのライヴ。おのおのパターンは決まっている。決まっているから、慣れないようにするためにみんなの知恵を借りて掘り下げ作業をしていいものにしていきたい。「2種類の定席ライヴ」というとらえ方はもうやめて、ひとつひとつが大きなイベントという気持ちでとりかからないといけないとヒシヒシと感じる。

12月6日(木)
「てんの会」の感想やらが耳に届いてきている。伝の会の評判と違って、すこーし客観的に聞けるものだ。出演者もお客さまも喜んでいただけたようでホッとする。「出演者のレベルが高くで聴いてて疲れた」と言う意見をいただいた。前向きにとらえる僕は、その意見をお誉めの言葉と聞いた。ほんとみんなレベルが高くなったのには驚いた。誰かがコケるんじゃないかと冷や冷やしたほどだ。しかしみんなちゃーんと結果を出していた。邦さんとこもウチも。ウチの会ののろけをいうつもりはないんですよ。ただね、邦さんと僕のお弟子さんたちの意識がね、向上してるっていうかなぁ、なんて言うんだろ。緊張はもちろんものすごくしてるんだろうけれど、幕が開いた時点からの開き直りが良かったと思った。舞台に立つ(座ってっけどさ)ということをしっかりと認識してるんじゃないかと思った。しかもそれを当たり前のようにさ。それは邦さんと僕の舞台、伝の会を常にそばで見て感じでいるんではないかと思った。それがとてもうれしかった。

と僕が思っているだけで、ほんとは、ただクソ度胸のある人たちが僕らのお弟子さんになってるだけだったりして・・・

12月7日(金)
昼寝。
なんとすばらしい響きだろうか。ヒルネ。パジャマに着替えて日が射し込む寝室でニコニコしながらベッドに横になる。
もったいなくてすぐには寝ない。「こち亀」を読んで、ひと笑いしてから目をつむる。
うーーー、幸せなひとときじゃー。
目覚ましをかけずに寝られる時は、なおのことシアワセを感じる。
目がさめたときに真っ暗になっていようと後悔はしない。
うーーーー、オトコらしいー。

アホやなワシ

12月8日(土)
成道会。お釈迦さまがお悟りを開いた日。
目尻をふた針縫う怪我をした娘は、めざましい回復をしている。「若さってすごいなぁ」と夫婦で感心する日々である。怪我をした晩、試合後のボクサーのように腫れ上がった左まぶた。翌朝には痛みもまったくなくなったらしく、はやくも怪我をしていることを忘れて元気いっぱいになっていた。その腫れも見る見るうちにひきはじめ、2日後、3日後には元通りになった。昨日からは傷口がかゆくて仕方がないらしい。な、なんという快復力だ。傷口もきっと縫った瞬間にくっついているに違いない。もう絆創膏もいらないくらいだ。僕らがそんな怪我をしたら、まだまだ大きな絆創膏をはって、顔は腫れ、鈍痛があるのではなかろうか?傷口がなくなるなんて考えられないかも、とほほ。

12月9日(日)
となりの荒居さん(僕の生まれる前から父母、祖父母と仲の良いおばちゃん。僕の子どもの頃のことは、今やこのおばちゃんが一番良く知っている)も長唄をはじめていたらしく、今日がおさらい会だと言うので聞きにいった。

初めて舞台にたったおばちゃん。緊張してほとんど声がでない。僕の生まれる前から僕を知ってるおばちゃんの緊張した舞台を見る。複雑で照れくさい感じがした。一緒に見てた娘も、そう感じたらしく、いやにモジモジしていた。それがとてもおかしかった。

12月10日(月)
ここんとこ、お稽古日だったりもしているんだけれど、一人二人程度なので、ほとんど休暇気分。今日は11時から稽古だというのに、目が覚めたら10時30分だった。ゲッ、あせったぞ。あわてて着替えて稽古場に行き、掃除をしてコーヒーのんで・・・。なんとかお稽古できる状態には間にあった。ただ間に合わないのは僕の寝起きの顔でさぁ、アータ。びっくりするくらい寝起きの顔なんすよ。アキマヘンワ。

怪我した娘の抜糸の日。すっかり先生にもなれて、かるーくすませてきたらしい。 怪我したときはすごかったなぁ。診察室に入るのをこわがり「ちゅうしゃしない?ちゅうしゃしない?」をくり返していた。先生が言うには、ひと針縫うのなら麻酔は無しで、ふた針以上なら麻酔をうちますとのことだった。診察の結果、麻酔してふた針縫うということになり診察台へ。両親は診察室から出されてしまう。どうやら看護婦さんが何人かで子どもをおさえるんでしょうな。なにぶん泣き叫び動くでしょうからね。危ないよね、動いちゃ。けれど子どもに言ったって聞かないでしょうな。バタバタするでしょうなぁ。廊下で待っていたら、娘の泣き叫ぶ声がフロア中に響いてきた。いろんなこと言ってたぞ。 「ワ゛ー、ギャー」はもちろんのこと 「ちょっとまってーー、ちょっとちょっとまってー」 とテレビジョッキーの熱湯地獄のときのようなセリフ。 「ままにあいたい、ままにあいたい」 やっぱりママなんですな。廊下で待ってるパパは呼んでもらえないのかなぁと思っていたら、そのうちに 「ままとぱぱにあいたーい」と言っていた。 よっ、俺の心の声が聞こえたんか? まあ、無事に縫い終わったらしく、ヨレヨレになって診察室から運びだされてきた。 「大変だったな」と聞くと、小声で 「のっかられた」と言った。


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