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鉄九郎の青?裸々な日常 第64号


2001年12月11日〜12月20日

プロのナイショ話

12月11日(火)
 うちあわせー、うちあわせー、さあさあみんなでうちあわせー。というわけで、22日にリリスでやる「おしゃべりコンサート」の顔合わせ、打ち合わせ。ゲストはみやざきみえこさん。さてさて、伝の会とみやざきみえこで、どーんなセッションをしようかということで小野木氏のもとに集まったわけです。  おのおの単独の何十分かのステージがあり、せっかく二組いるんだからセッションしようよ的に見えがちなんですが、実は違うのです。以前はそういう考えでいたこともあったんです。というのは、長唄三味線って他の楽器とやる機会がすくない、やらなくても問題ない。清元や常磐津との掛け合いはありますけどね。古典芸能でやってる限り、それで充分なんです。
 「お琴とやるときもあるじゃないか」という人もいるかも知れませんが、あーんまりないよ。あっても、長唄の曲にいろどりをしていただくということなんです。だからね、みえこちゃんとセッションすると言っても、僕らの音楽にあしらってもらう程度のセッションなんです。50対50のセッションにはなんないのよね。
 もっと言えば、プロ同士だから「いいなり」に弾くことなんか簡単なことなんでね。ふつう50対50になんないのよ。主導権持つ方につきあっちゃうの。そういうセッションだから、舞台では「実は即興的にやるのです」とうたっていたりしました。
 それがだんだんお互いの気心も知れてきて、音楽的な方向性もわかってきたりすると、アイデアが出し合うことが出来るようになってきた。即興的なセッションは卒業ですな。伝の会とみやざきみえこの曲として確率できるものを作りたいと思うようになってきたんですな。それはアガッチとでもそうなんです。異ジャンルの方と一緒にやるときに望むようになってきたんですな。  ほんでもって、ちょっと時間をかけて、お互いに50対50になるように意見を出し合い、その場限りの演奏的なものでなく、作品として確立できるものを作ろうとしているのです。
 いい結果がでてきてます。お互いに宿題も出し合って、三曲が決定しました。22日は「伝の会」「みやざきみえこ」「伝の会&みやざきみえこ」という三つのグループが出演するライヴになります。

12月12日(水)
 ここんところ、よく寝たせいか7時30分に、なにげにパッチリ目が覚めた。けっこうけっこう。早めに稽古場に行きお稽古の準備を。

12月13日(木)
 インフルエンザの予防接種をした。今日は「事始め」なんだそうですな。知ってるような知らないようなね。ま、京都の風習ですけど、聞いたことあったようななかったようなという感じですな。
 事始めの「事」は、新しい年を迎えるに際してのもろもろの仕事を意味する。江戸幕府の習わしがその後、民間にも広がったという。分家が本家へ、弟子が師匠に礼を尽くす風習だ、とありますな。 「おことーさんどす」

12月14日(金) 討ち入り
 元禄15年は1702年。299年前ということですなぁ。今夜も忠臣蔵関係のテレビとか映画とかをやってる。ちょんまげして刀をさしてるだけで「戦国時代」のような気がしてしまうが、このころになると刀は飾りにちかくなっていた。天下泰平なんですな。「人斬り」なんて身近にない時代ですよ。そう思うだけで忠臣蔵という印象が変わってくるわな。

12月15日(土) 豊玉南小学校
 「小学生たちに三味線を紹介」「小学生に伝の会を」ていうかんじかな。一時間目を一年生と二年生。二時間目を三年生と四年生。三時間目を五年生と六年生。と三回ステージをしました。演目が三回とも違うのです。45分の伝の会のステージを三回やったのと同じ。子どもの前でやる方が力がぬけるとこもあるし、逆のこともある。おおかたは普段のステージと同じかな。
 子どもたちはおしゃべりしないように静に聴きなさいと言われている。まあそうやね。適度にしゃべったってくつろいだっていいんだけど、適度がわかんないからね。でも「適度」がわかんないのは子どもだからなんじゃない、団体だからだわな。大人だってわかんなくなっちゃうんだから。
 で、一番後ろで見ていた校長先生が僕らを見ていて、ついわらっちゃったんだって、そしたら教員と生徒ににらまれたって。はははは。いい話なんだかどうなんだか・・・おもわず笑っちゃうっていうのがいいなぁと思いました。

12月16日(日) 「役者」
 「長崎ぶらぶら節」を手伝わせていただいたとき、市原悦子さん、八千草薫さん、宮沢りえさんを身近にいさせてもらい、学ぶところがとても多かった。集中力や度胸や気遣いなどなど。真正面からぶつかっていく姿に感動し、自分は今までそうやってきたのかと省みさせてもらった。
 小学生の獅童くんと出会ってから20年が過ぎた。「好きだから芝居する」と言い切る立派な役者になった。李丹さんに初めてお会いし、話した。彼女も「好き」で芝居している人だ。女優のタマゴたちが何人かその場にいる。「芝居が好きで好きでしょうがない」と彼女たちが言えるようになったら、彼女たちは女優になれる。
 書いてしまうと薄っぺらい感じがするけど、何事も「好きでやるかやらないか」ということだ。  

12月18日(火) 22日のリハーサル。
作っていく作業は今更ながらにおもしろい。
この何年かちょっと余裕がなかった。
今気が付いて良かった。
それができる仲間もいて良かった。

12月19日(水) まただよ。
ほんっとにやんなっちゃうなぁ。
どうしてだろ?
情けないのとおりこして笑うよ。
あわてなくなったもの。
目が覚めたら、見慣れないホームが見えた。
気が付いたら「豊洲」だった。
なんで反対方向の電車にのっちゃうんだろ?
ホームを歩いてる時は、確かに池袋方向側を歩いてるんだけどなぁ。
どこでまちがえてんのか見てみたいよ。

12月20日(木)
 地下鉄もいつものように。銀座もいつものように。
 四丁目あたりを歩くのはひさしぶりだ。何軒か店構えがかわっている。
 四丁目の交差点に立つとき必ず空を見上げる。ここから見る空が好きだ。
 子どものときもこうして見上げたに違いない。

 内弟子のころ師匠のお弟子さんたちとしょっちゅうやっていた「舌出し三番叟」を聴く。いろんな思い出がよみがえる。曲ってそういうもんだ。
 邦楽だからと言って、「勉強のため」と肩肘はって聴くことに慣れてしまってはいないだろうか。「ああやって演奏するんだ、はこびかたはこうするんだ」は、まだ良い方で「あの人の三味線良かったよ」とか「あの人うまくなったね」ですんでしまいそうな雰囲気ってある。良い曲だということはわかっているということなんだろうけれど。僕が今日感じた「あのころのことを思い出して」恥ずかしくなったりうれしくなったり、胸が熱くなったりホロッとさせるということが演奏家へのとても大きな賛美なのかもしれないと思った。
 伝の会のアンケートに「昔、この曲習ったころのことを思い出しました」とか「こわかったお師匠さんを思い出した」とかいただくことがある。もちろん曲の力だけど、その人しか持っていない「想い」や「なつかしさ」を描けた 手伝いをさせてもらうなんて最高だなと思った。


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