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鉄九郎の青?裸々な日常 第71号


2002年3月17日〜31日

二十二年ぶりの・・・

3月17日(日)
 大阪は暑い。夏だ。ザ・フェニックスホール。「和み会」に出演。といっても司会ということで。松永の和三寛さん、和三千紘さん、和三千保さん、和佐比路さん、(藤間)紋蝶さんが主催する会で今年で三回目になる。活気があってすばらしい。演奏会を続けていくことってすごく大変なことだ。ましてや活気を持続させていくことはもっと難しい。来年も再来年もずっとずっと続けて行ってもらいたい。僕としてはそのお手伝いさせていただけることがうれしい。もうひとつうれしいことは、今年は僕んとこの弟子で名取り第一号の鉄駒(女の子です。辰巳芸者みたいな粋でカッコイイ名前でしょ。)の初舞台でもあったことだ。

3月18日(月) 京都。うっ、寒いっ。夜はコートいるわ。

3月19日(火) 昨晩も今晩も、おそーまで飲んでます。

3月20日(水) 倉敷音楽祭 アイシアター公演
 10時起床。ちょいと気持ち悪い。軽い二日酔いなんだな。邦さんと森山(古典空間)はもう「のぞみ」に乗っているのだろうか?
 小生もあわてて支度をして京都駅へむかう。岡山まで新幹線で1時間、気持ちが悪い時には何か食べるに限ると言い聞かせ、カレーを食べ、倉敷行きの電車に乗る。ここで邦さんと森山と合流。10分で倉敷に到着。倉敷芸文館へ。リハーサルをしているうちに元気になり、いつもの感じになった。
 はじめてやらせていただくところは、僕たちもドキドキするが、実は主催者はもっとドキドキしてるんじゃないのかな?だって伝の会なんて宣伝のしようがないもの。普通の人は「長唄」といえば「堅苦しい、むずかしそう、陰気そう・・」と思い、「たのしい」といえば「どうして三味線で楽しいの?」となるだろうし。集客はのぞめないね。伝の会みたいなものが無いのだから説明しようがないと思う。
 それでも今夜来てくださったお客様は、何かがひっかかって「よし見に行ってみるか」と腰をあげてわざわざいらしてくださった人たちなんだろう。「なんと好奇心と冒険心の強い方たちか!なんと鼻のきく人たちか!」ライヴでそんな話をしたら大いにうけていた。そしてみんなが頷いていた。そんなお客さまに「やっぱり自分の勘はあたっていたと思わせるような舞台にしますよ」と言ったら大きな拍手をもらった。そしてライヴが終わったとき、言ったとおりのライヴだったとお客さまも僕たちも思うことができた・・・たぶん。
 倉敷国際ホテルは素敵なホテルだ。もうちょっと起きてたいなぁと思ったが、バタッと倒れたら翌朝になっていた。

3月21日(木) 京都南瓜亭ライヴ
 フイーーっ、なんとか目覚める。だるーい。ライヴの翌日はぐーったりする。重い体を引きずって京都にむかう。雨が降ってるなぁ、やむといいなぁ。午後3時、かぼちゃの花に到着。さっそくリハーサル。途中20分くらい昼寝もした。一年ぶりのライヴ。たくさーんのお客さまにきていただいた。ちょっと窮屈かなと思うほど。この次にやるときもたくさん来てくださいね。えてして、満員の次のライヴではちょいとさびしい客数だったりすんですよね。伝の会のキャリアかお客さまが良かったのか、とても和やかな良いライヴでした。終演後、大将の山田さんにいつものようにごちそうになり、フラフラになってサンルート京都のベッドにたどりつく。もうちょっと起きてたいなぁと思いつつ・・・。

3月22日(金)
 グデーーーっ。身体シンドーーーイ。必死になってなんとか起きる。小雨降る京都の道はこんでいた。京都駅まで15分もあれば行くはずが1時間かかった。

3月23日(土) 伝の会おしゃべりコンサート さくら・春風・日本の音
 横浜市栄区民文化センターリリスで昨年からやって来た3回シリーズの最終日。川島佑介さんをゲストに迎えて古典の囃子と長唄三味線とを聴いてもらった。一見地味に見えるこの企画だが、とてもおもしろい。ご来場いただいたお客様にはきっと満足していただけたことだろう。カルチャーになってしまうところをうまくさけてショーになっていると思う。これからも続けていきたい企画だ。

3月24日(日)
 さすがにつかれが出たのか午後1時すぎまで寝てしまった。お彼岸にお墓参りにいけなかったので今日を予定していたが、気のゆるみのせいでご先祖さまにもうしわけないことをした。必ず近々参ります。

3月25日(月)
 久しぶりのお稽古日。久しぶりの娘との自転車。そして忘れていた歯医者。

3月26日(火)
 人気若手落語家の柳家喬太郎さんの独演会「喬太郎伝説」のゲスト。以前、蕨市でご一緒したことがあり、その後伝の会にもちょくちょく見に来ていただいて。アンケートに「喬太郎さんが来てる」とよく書かれてあって、喬太郎さんが見に来ている伝の会なんだからおもしろいのだろうと随分と口コミの材料になっていたのでした。
 喬太郎さん好きです。おもしろいよなぁ、古典も新作も。その喬太郎さんの独演会に出させていただくなんて、アータ、てぇーしたカンゲキでっせーっ。し、しかも紀伊国屋ホールっ。あこがれの紀伊国屋ホールっス。開場前のガラーンとした客席に座り、「ああここが紀伊国屋ホールなんだなぁ」としみじみしてみましたがな。ここの舞台に今夜立つのかぁ、いや座るのかぁと邦さんとね、しみじみとね。
 25分くらい伝の会のコーナーをやらせていただきました。あたたかいお客様のおかげで楽しいライヴができました。喬太郎さんのCDに「東京ホテトル音頭」っていうのがありましてね、これは結構有名な曲なんです。それもちょっとやらせていただきました。打ち上げにまで誘ってくださり楽しい夜でした。

3月27日(水)
娘「ゆきがふってるねぇ」
僕「えっ」
娘「ゆきがふってるよ」
僕「あっ、雪じゃないなぁ、桜が散ってるんだよ」
娘「あっ、そうだよね。でもほんとゆきがふってるみたいだねぇ」

3月28日(木)
 夜中、稽古場の前に立っていると父が来た。父が来たら明け方になった。父はシルバーグレーのスーツを着て白のワイシャツに見たことのないネクタイをしている。髪の毛もバッチリきめて、よそいきのメガネをしている。どうしたんだろ?正装してるやんっ。僕の部屋に入っていろいろ話をしている間に朝になった。居間に行くと、めっちゃ普段着の母親が、会ったことのない僕の娘と遊んでいた。父も母もキラキラしていた。
 目がさめたら朝の6時だった。今朝は早くに出かける。良いお天気だ。そう言えば、夢の中の父と母がなんか気の利いたことを言っていた。僕の目が覚める間近のことで、僕は一生懸命その言葉を覚えようとしていた。くり返し頭の中で言って。でもやっぱり覚えられなかった。たしか、こないだの夢での父は、母にはまだ会えてないんだと言っていた。会えたんだなぁ母に。良かった良かった。

3月29日(金)
 目がかゆい。2,3日前から目やにがでてかゆかった。今朝はいよいよえらいことになっており、眼科に行くことにした。妻や娘の結膜炎がうつったのかとおもいきや、診察結果はアレルギー性結膜炎ということで、ひらたく言うとヒノキの花粉症だということ。ギェッ、か、花粉症ー。我が身には関係ないことだと思っていた花粉症。目がかゆかろうと、くしゃみが出ようと、風邪だ風邪だといいはっていたのに、ついに花粉症のレッテルをはられてしまったかぁ。ヴーーー。でも、目薬もらってさしてるうちに見る見る回復してきた。いやーっ、よしよし。

3月30日(土)
 目薬がうまくさせない。というか、目とか弱いのだ。コンタクトを入れるとこなんか見せられると、身体の力がぬけていく。目薬をさす場合、目薬液を見ていなくてはいけない。これがどうにも苦手だ。目薬液が落ちてくる寸前にどうしても目をつむってしまう。そんな僕にイライラしたのだろう。娘がよってきて「めをあけていてあげるよ」と言って僕の目を無理矢理開く。ウエッとなりながらも、なんとかさせた。子どもはありがたい。

3月31日(日)
 邦さんのお弟子さんで「てんの会」にも出演してくださり、以前より伝の会にもご夫婦でよくいらっしゃってくれている、中村先生がDOZというホールをおつくりになった。漢方のお医者さんで病院を建て直したので二階をホールにしたというすっごい話。「こけらおとしで伝の会をやってください」ということで喜んで行かせていただいた。
 「中村先生は六本木でお医者さんをやってるんだよ」ということは知っていたが病院名とか住所とかは知らなかった。邦さんが「場所は西麻布で、しょうはくどういいんっていうんだ」と言う。・・・ハテ、「しょうはくどういいん」と聞いたときに僕の頭の中で「松柏堂医院」と漢字で浮かんだのだ。こんなことってある? 田中医院とか青木病院とかなら漢字で浮かびそうだけど、「しょうはくどういいん」だぜぇ。大したもんだなてつくろは・・・・と思っていたら、記憶の中では字ばかりでなくさらに「松柏堂医院」と書いてある看板が浮かんだのだ。さすがに呑気な僕でも、看板が浮かんだ時には気が付いた、そう、知ってるのだ。「松柏堂医院」って知っていたのだ。遠い記憶の中に埋もれていただけなのだ。
 時は1980年、「運転手をやるんだから免許をとってから内弟子に来なさい」と言われ、必死でとった運転免許をひっさげて鉄十郎師匠のもとに弟子入りした。車はオペルレコード。左ハンドルでオートマチックじゃない。この車を乗り回すなんて免許をとったばかりの僕にはすっごい重圧だった。そして駐車場に行くには狭い道を通りいきなり左に車一台分のスペースしかない空間があり、グッと左折して入れるようになっている。しかも斜面なのだ。登り坂の途中に止める感じのスペース。止めるときは必死、そして出すときはもっと必死。毎日気が気でなかった。「お前も免許とったばかりなんだから、人さえひかなきゃ多少ぶつけてもいいぞ」と師匠の懐のデカさに感謝しつつ、一か月も乗ってるうちに随分とこすったりぶつけたりして白い車体がグレーになっていた。だって難しいんだよ。狭い道から90度に左折して登り坂にとめるのって。しかも左ハンドルでギアチェンもしなきゃいけないし・・・。でね、90度に曲がることは難しいから大回りをするわけでしょ。右側のお宅の敷地にすこーし入んなきゃいけない。初心者にとっちゃドキドキすることなんですよ。なにせヘタッピーなんだから。でも毎日やってるもんだからだんだん心得てくるわけですよ。で、右側のお宅には最初はちょこっと乗り入れるだけで左にきってたんだけど、もっと大回りしたほうがやりやすいことに気がついてね。結構右側のお宅に乗り入れてたんですよ。
 そう勘のいい人も悪い人ももうおわかりでしょう。そのお宅というのが病院で、名前が「松柏堂医院」だったのだぁぁぁ。思い出したぞー。住所を聞くと西麻布1-5-11。僕が内弟子していたのは西麻布1-2-3。すっげー近所じゃん。まちがいないじゃん。ワクワクして今日「松柏堂医院」に行くと、まさしくその場所(オペルレコードの駐車場はなくなっちゃってたけど)。ウーーー内弟子時代が蘇るーーーーっ。
 中村先生にその話しをしたらビックリしてましたね。「松柏堂医院」の歴史も22〜3年だというから、僕はできたばかりの漢方のお医者さんの敷地にいったん入り込んでその前にある駐車場に毎日車を止めていたことになる。たしか、何度がその病院の先生に見つかってにらまれた記憶も蘇ってきた。そ、それが中村先生なのだ。いやぁ、世間は狭いとはいうけれどビックリやわぁ。しかも、妻が(僕も)お世話になっていた幡ヶ谷診療所の漢方の先生がいたのだ。いっぱい漢方出してくれてとても重宝していた。けれど昨年お亡くなりになってしまった。どうしよ、これから・・・と途方にくれていたら、中村先生がそのお亡くなりになった先生の先生だった。ほなええやんっ。いやぁ世間は狭いと・・・・。


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