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鉄九郎の青?裸々な日常 第95号


2003年 9月1日〜30日

お江戸日本橋亭ライヴ&韓国で「甚五郎泣三味線」



9月1日(月)
昨日携帯電話なくしちゃったんで朝10時に近所のドコモへ。ちょうど買い換えの時期だった。初めて携帯を持ったときからパナソニックだった。使い勝手もなれてて便利だが、もうひとつ刺激が欲しいなぁ。かといって予算の都合もあるし・・・。お店のお兄さんと話しながら悩んだ末にシャープにしてみた。「使い勝手というよりは画像がきれいです」といういさぎよさが気に入った。さすがに会社をかえると使い方がチンプンカンプンに近い状態だ、あははは、あはははは。

9月2日(火)
午前中にみやざきみえこさんとこに行って、13日の仕事の打ち合わせ。みえこさん家は僕の家と邦さんの家のちょうど真ん中あたりに住んでいる。集まるのに便利な所だ。

9月3日(水)
改築のため明後日に取り壊しがきまったお稽古場での最後のお稽古となった。冷蔵庫が処分されたのでお弟子さんたちは飲み物持参である。五十坪の平屋をお稽古のためだけに使っていた。贅沢なことである。200メートル先の自宅よりも広い敷地なのだ。お稽古道具以外はほとんど自宅に移したか処分してしまったガラーンとした稽古場に10/4の「てんの会」に向かってはりきっているお弟子さんたちの音が響きわたった。

9月4日(木)
お江戸日本橋亭ライヴの下ざらいをお江戸日本橋亭で。今回「船揃」を六ショーゴさんと勝彦さん、それぞれの独吟でやらせていただく。「杵六」の唄と「杵勝」の唄。どちらとやっても楽しみな一番です。ショーゴさんとの方が日にち的には先にやらせていただくので、本日はショーゴさんとよーく合わせていただいた。勝彦くんとはショーゴさんとのが終わってから浚うことにする。今はショーゴさんの唄だけ聴いて「船揃」にむかいたい。

9月5日(金)
師匠(鉄十郎)に「橋弁慶」を浚ってもらいに出かける。昨日、勝彦くんショーゴさんバージョンの「橋弁慶」は浚ってもらった。師匠とは15日にやらせていただく。僕が言うのもヘンだけど師匠の「橋弁慶」とても良いっス。

稽古場解体開始。初日の今日は梅の木の保管作業が行われた。植木屋さんに保管しておいていただいて家が建った頃にまた植えてもらうのです。クレーンでつる下げられた梅の木を見て、元気に帰ってきて欲しいと願った。
今日は父の祥月命日だ。
この日に父の家の解体工事が開始されるというのも不思議なものだ。

9月6日(土) 高輪区民ホール
「三味線ニューウェーブの旗手が繰り広げる、卓越した演奏と抱腹絶倒トーク。初心者から“通”の方まで、伝統芸能の楽しさを伝えるライブ。」ということで、Kissポート財団主催のコンサートに伝の会が登場致します。ということで、本日高輪区民ホールでライヴ。ここの会場が300席くらいなんだけど、とっても良いホールなの。どこに座っても舞台がよく見えるし、音もなかなかですしね。
たくさんのお客さまに来ていただきました。ありがとうございました。
単独の二時間ライヴを東京でやるのは、随分と久しぶりです。「マンダラ」も「お江戸日本橋亭」もテーマがあるでしょそれにそったライヴですからね。「これが伝の会の全てだー」的ライヴは、何年も東京ではやっていませんでした、はい。楽しい時間をすごさせていただきました。ご来場のみなさまに深く御礼でございます。
帰りにですね、事務所によりましてね。ワタクシ今、引っ越しの最中でしょ。でね、自宅に稽古場の荷物があふれかえっちゃってんですね。それでも大半のモノは処分したのですけども。でね、伝の会の荷物というのも結構あるんですね。旅用のセットとかグッズとか譜面代やら三味線台やら・・・。それをね、一時、事務所に預かってもらおうと思ってね。ドサッと置いてきてしまいました。

9月7日(日) 京都
朝五時はまだ薄暗いのだ。京都に向かって愛車bBで出発。12時に京都に着こうという感じで走る。東名を走るのは久しぶりだ。陽が昇ってくると眠たくなってきた。妻に運転をかわってもらい就寝。一時間くらい寝たら、元気になった。予定どおり12時に京都に着いた。京都の街を自分の車で走るなんてうれしいなぁ。先斗町「丹鶴」さんへ。 良介(杵屋寿典)くんの浴衣会に遊びにきたのです。来られる方はたまったもんじゃないでしょうなぁ、勝手に来ちゃうんだから、あはははは。せめて娘にひとつ唄わしてね。こんなことを三年もやってますね。

9月8日(月) 浜松
昨夜は家族揃って10時前に就寝してしまった。「就寝」と言うよりは、「倒れた」という感じだ。そりゃあそうだよね。6日にライヴをガッツーンとやってほとんど寝ずに京都まで走ってきたんだからね、寝るな、倒れるわな。せっかく車で来たんだから、二、三日いろいろまわって帰ろうと計画していたんだが、10日に仕事が入っていたり、家のこともありとうまく行かないものである。それでもこのまま東京には戻りたくないので、温泉にでも入って帰ろうということにした。(杵屋)勝彦くん(=たしか鉄道旅行検定や温泉旅行検定の資格持ってるんだよね)に聞いたら「そんなら舘山寺などいかがで・・・」と言われたので、とにかく目指せ舘山寺。着いた時間が七時ちょいと前。微妙な時間だなぁ。夕食あるかなぁ?まぁ、とにかく宿を決めよう。立派に見える宿からあたりをつけていって山水館欣龍に決定!夕食も大丈夫だと言う。いやいや、なかなかきれいで、素敵で、露天風呂もあって、いうことなしですわぁ。いやぁ、休暇って感じやわーーー。

9月9日(火) 帰京
「浜名湖で乗ったの楽しかったな」
「ゆうらくちょうせん?」
「違うがな!地下鉄のってどうすんだよ」
「あはは、そうか。ゆう・・らくうちょうせん。あれ?」
「あれ?じゃないよ。遊覧船だ」
「あ、ゆうらんせん」
「楽しかったな」
「うん」
「どこが?」
「うーん」
「考えてやがるな。ほんとに覚えてんのか」
「おぼえてるよ」
「じゃ、なにが楽しかった?」
「ゆうらんせんが」
「だから、遊覧船のどこが楽しかったていうんだよ」
「ぜんぶ」
「なにが全部だ。『彼女は彼氏のどこが気にいりましたか?・・・全部』バカな見本だぜ」
「アヒャヒャヒャー、もっとやってーー」
「見てんのと乗るのじゃ違うだろ?」
「うん、あんなにしろいのがおおいとおもわなかった」
「ああ、波がな、後ろの甲板から見たからな」
「かんぱん?」
「かんそうしたパンツのことだ」
「アヒャヒャヒャー、うそーー」
「嘘に決まってらあ、なんで乾燥したパンツに乗らなぁあかんのや」
「あははは、パパもっとそういうのやってー」
「オマエ、そんなん好きやなぁ」

9月10日(水) 新田町 中学生芸術鑑賞会
群馬県ですね、新田町文化会館エアリスホールに参りました。 木崎中学校・生品中学校・綿打中学校の三つの新田町の中学校の先生生徒に伝統芸能を見ていただこうという企画です。落語/柳家喬太郎さん、浪曲/太田ももこさん、太神楽曲芸/鏡味仙三郎社中というメンバー。学校寄席という感じですがね。で、伝の会の位置はといいますと、司会進行なのです(笑)。いろいろやりますな、伝の会。ちょっとは弾きましたけどね。落語・浪曲・太神楽と三味線音楽との関わり合いですね。そんなものを聞かせられたらいいなぁと。
喬太郎さんは紀伊国屋の独演会に呼んでいただいた以来の再会で、会えてうれしい人です。大好きですね、おもしろくって。
のんびり運転して帰宅。あれ?キーがぬけないぞ。ロックできない。ありゃ、キーがぬけなきゃ車からはなれ られないじゃん。あ、車買ったときに車体につけといたスペアキーがあるはずだ。車の外側にいきガサゴソする。えーと、たしかこのへんにつけておいた・・・あった、あった。おそるべし磁石の力。ちゃんとバンパーの裏にくっついていた。このスペアキーさえあればキーがぬけなくても、エンジンきってロックできるぞ。キーはつけっぱなしにしておける。とりあえず、イッケン落着やわ、ただいまー。

9月11日(木)
汗がふきでるとはこういうことなのだという天気だった。5分歩いただけで水を、いや、お湯をかぶったような暑さ。
美容院に行くついでに飯田橋の警視庁遺失物センターによって行くことに。こないだ地下鉄で落とした携帯がみつかったんだそうだ。
すごい日差しだね、しかし。サングラスはどこだったかな?あ!車か。ありゃサングラスのケースがギアにひっかかってとりずらいぞ。エイっ、とれたとれた。ん?ひょっとすると・・・。昨日からつけっぱなしのキーをまわしてみるとロックできてキーがぬけた。なあんだ、サングラスのケースが引っかかってたんだぁ。

9月12日(金) 
赤い葉っぱはすぐれたもの
青い葉っぱはこれからのもの
散る葉は未練を遺すものか
黄色くなるまで待てないものか
赤い葉っぱはすぐれたものか

9月13日(土) サンビレッジ国立
みやざきみえこちゃんが何年かきている施設での演奏に伝の会もと誘われてやってきました。お年寄りの方がたくさんいるところでね。そういえば敬老の日が近いですものね。その催し物なのでしょう。久々にみえこちゃんとセッションもしました。
しかし猛暑ですなぁ。

9月14日(日)
稽古場改築のため自宅で稽古しはじめて二回目。お弟子さんたちは実家の稽古場の前を通ってくるのだろう。「門塀だけ残ってさら地になっちゃいましたねえ」と寂しそうに言っている。

9月15日(祝)  伝の会本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
映画「るにん」の撮影日とライブがかさなってしまった。「るにん」のほうは鉄平にいってもらう。(第93号7/16の日記参照)
昼の部は師匠(松永鐵十郎師)の独吟で橋弁慶を弾かせてもらう。めずらしく僕は緊張した。迫力ある師匠の唄に助けてもらう。
夜の部。女流義太夫の竹本駒之助師匠にご出演願った。昨年、黒部コラーレのあとの打ち上げで、お話したのがきっかけで本日実現した。「帯屋」を演っていただき、その後僕らと対談をしてもらう。「あんなにおしゃべりをした師匠を見たことがない」と側近の方たちが驚いていた。ありがたいことだ。義太夫三味線の鶴沢津賀寿さんらと三味線セッションをする。とにかく盛りだくさんで楽しいひとときだった。 (毎日新聞 2003年9月17日「木村万里のお笑い漂流記」欄でこの日のライヴについて書いてくださっています。 この記事は
http://www.mainichi.co.jp/entertainments/engei/hyoryuki/2003/0917.html
でもご覧になれます。)

9月16日(火) 伝の会本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
昼の部の「橋弁慶」、杵屋勝彦くんの弁慶の名乗りに迫力を感じ力がはいった。ちょいと入り過ぎて反省。夜の「船揃」ショーゴさんの独吟。幕開きに勝彦くんが洒落で波音(=波の音を表現する太鼓)を打ってくれたので曲にすっと入ることができた。ショーゴさんと楽しい曲にあがったと思う。客席にこっそり座って聞いていた勝彦くんがおもしろがっていた。明日は勝彦くんの独吟でやる。さて・・・。

9月17日(水) 伝の会本公演 お江戸日本橋亭ライヴ
都庁へパスポートをとりにいく。大江戸線で都庁前までいき指示通りA3出口にでたらパスポート受取所の前に出たなんと便利なことだ。スターレーン航空サービスの込田さんに電話をし韓国大使館の前で待ち合わせる。

9月18日(木) 地鎮祭
ついに本日、新築する家の地鎮祭です。さら地になった稽古場に壇がつくられ荘厳な感じにされていきました。むっちゃくちゃ暑くなくてヨカッタです。地鎮祭と井戸のお浄めと進むにつれ、この土地がスーッと浄まって行く感じがしました。地鎮祭が終わると、緊張がとけたのか、ドーッと疲れが出て、バタッと寝てしまいましたわ。

9月19日(金)
まだボーッとしている。まぁ、普段はだいたいボーッとしているからいつもの通りなのだが・・・。いろいろと用をすませに車で出ておりました。良いお天気でしたね。

9月20日(土)
雨が降ってきました、ええ、かなりの感じで。車走らせていたらバーンとなんかふんだらしくて、アッという間にパンクですわ。いやぁ、なにふんだんでしょうか?近くのスタンドでスペアにかえてもらってね。元のタイヤは、かなり思いっきり穴あいてました。なにふんだのだろう?ディーラーも近くにあるので行きましてね。タイヤ交換してもらいましたよ。ディーラーの人も「すつごいですねぇ、なにふんだんですかねぇ」と言っててね。
なにふんだんですかね?

9月21日(日)
バタバタしていて子供とゆっくり遊べずにいる。「どこかに連れていって」「なにか買って」というわけでない。夕食後からお風呂にはいる時間までのちょっとの時間に遊んで欲しいと言うだけだ。「ちょっと待ってて」というとだまって待っている。たぶん、遊んでもらえる時間はうやむやになってしまうだろうと思いながら。

9月22日(月)
長唄協会秋季演奏会でやる「えにしの橋」のリハーサルを今夜やることになった。妻子を連れ出かける。静かに待っていた娘は眠いし、おなかへったと言っている。 あわてて食事をとると「おやすみ」といって車の後ろの席にコロンとした。これで明日までおきないな。起きた頃には僕は韓国だぞ。家に帰りベッドに寝かす。台風の影響で肌寒い今夜。娘は丸まって寝息をたてる。手を枕の下に入れて。明日はお彼岸だね。帰ったらみんなでお墓参りにいこうやな。

9月23日(火) 韓国
午前五時、14度。さむぅ。池袋で地下鉄降りたら明るくなってた。快晴。東京はまた暑くなるかな。6時35分のスカイライナーで成田空港へ。成田空港にはいるときのチェックゾーンで係の人と受け答えしていると、向こう側のレーンで騒ぐ大人たち。「やかましいやい」と目をむけると邦さんとあんみ通がオレを指さし「あの人あやしいです」と言っている。にぎやかな旅になりそうだ。さて出発だ。スタッフは小野木さんと斉藤。12時。仁川空港。大使館の深野さんとは誰もがおなじみ、ともに再会を喜ぶ。
ホテルに直行ーー。だが、ソウルの渋滞はすごいっ!!半端じゃないっ!! 明洞のど真ん中SAVOY HOTELSEOUL 716号室にチェックイン。まずランチ。サムギョクサルーー。ワーイ。豚焼いて胡麻油塩でたべるー。ワーイ。韓国きたぞー。あっというまに平らげる。
ソウル日本人学校へ。明日ここで公演をするので下見に。南出校長にあった途端に思い出した。昨年12月に韓国大使館での公演終了後のパーティで話かけてくださった人だった。日本人学校でやってもらえないかと、言っていた方だ。その時佐々木先生もいた。ああ、なあるほどぉ。あれが明日実現するのかあ。イヤアびっくり。あのときの話が発端で大使館も協力し、明日の公演にとつながったんだ。感動した。
夜は前回も来た「明洞冷麺」へ。12月にきたときは新婚だった深野さんご夫婦。今回はおめでた。いやぁ、めでたいめでたい。昨年の12月もここで、このメンバーで深野さんご夫婦と飲んで食べた。談笑していると昨日のようだ。僕らはまたソウルに来ている。どのメンバーも欠けずに、みんな元気で。家族のように焼肉をつついている。誰ともなく、公演の成功を祈って乾杯した。

9月24日(水) 韓国/ソウル日本人学校&ニューセンチュリーホール
昨夜は12時前に寝たようだ。今朝は7時すぎに目が覚めた。まだ寝ていたいが必死で起きる。ソウル日本人学校に9時到着。10時30から僕等は幼稚園児と小学一年生、二年生を相手に音楽室でライヴ。あんみ通は同時刻に体育館で、三年生、四年生、五年生に聴かせている。40分のステージがおわると、僕等は体育館に移動し、六年生ともよりの中学生たちなど200人余にあんみ通とのジョイントライブを。たのしいステージとなった。
終演後、南出校長佐々木先生とともに昼食。待ちに待ったランチだ。もうお腹ペコペコ。かるーく喉もうるおしながらおいしくいただく。もうサイコー。
公報文化院へ向かう。しかしこっちの渋滞はすごい。東京の昼間などかわいいものだ。おかげでぐっすり睡眠がとれた。公報文化院のニューセンチュリーホールは、昨年12月にもやったところ。つい昨日のようだ。さっそくサウンドチェックし、18時30分開演。伝の会のステージ30分。今回、あえて通訳のお姉さんに全部しゃべってもらって曲だけ4曲やるという趣向にしてみた。ワー、しゃべんないステージなんてはじめてだー。それでも35分はかかってしまった。僕等がしゃべったらこの4曲で90分になるな。あんみ通が30分やって、すぐにセッションになる。これも楽しいステージだった。
おわりー。ごはんだごはんだーーー。ホテルの近所のおいしいお店へ。ビビンバとかいろんなのがあるところ。ンマイっ!! いうことなしっ。

9月25日(木) 大田
ソウルから大田JAPAN WEEK公演のため大田にセマウル号で移動。快適な旅でした。400〜500人くらいのキャパだったかしら、楽しみにしていた公演場所です。
前日、小野木(社長)ちゃんから、ある提案をされたのでした。日本語を勉強されている方がとても多く来場する予定なので、「甚五郎泣三味線」をやってみないかと言うのです。
うーーーーん、どうだろ?
「いくら日本語がわかる方が多いと言えども、わからない人もいるんですよね。その人たちにはどうなのかなぁ?」
「イエイエ、甚五郎は万国共通!!多少言葉がわからなくとも通じます!」
「でもなぁ・・・」
「よし、やってみるか」
わっ、邦さんまで賛同しちゃったぞ。僕は最後までゴネましたね。ただやってウケればいいってものじゃない。やるからには、やるまでのテンションってもんがあると。「甚五郎泣三味線」をやるまでの15分間のトークと三味線が、大田の人たちに受け入れられたとわかった時点でやりたい。
じゃ、山台だけこさえときましょう。テンションあがったらやると言うことでね。ということになり、本番。
テンションあがった。あげすぎくらいあがった。海外初の「甚五郎泣三味線」。韓国の猫は「ヤオン」と泣くのだそうだ。
チントンシャン
ヤオンヤオンヤオーン
大いにウケた。
会場で記録ビデオをとっていた小野木ちゃんは、感激で涙がでそうになったと。

9月26日(金) 大田からソウル ソウルから東京
ソウルに戻ってきて、お昼ご飯を食べ終わったのが午後一時。出発は三時半。よーし、この二時間半が自由時間だぞーー(まぁ、今までも拘束されているという感じではないのだが)。
「マッサージにいきたーーい!」
「食べたばかりでマッサージに行くのはよくないんじゃない」
「なるほど。あんみ通ーーっ、マッサージ予約しにいくぞー」
「そうか、予約しておいて、お土産を先に買いにいけばいいのね」
「そうだ、なるべく近いとこのマッサージに行こう」
「でもちょっと歩いたとこのほうが・・」
「いやいや、集合場所に近いマッサージの方が楽だぞ」
「なるほど、だるーくなりますものね」
「さっすがーーっ、ではあそこにしましょう」
「うぬ、三階まで階段のぼるのか」
「このさいやむおえないのでは」
「そうだな、ウオーーーーーッ」
「ウオーーーーーッ」
「お姉ちゃん、三人なんだけど二時から足裏マッサージしておくんねぇ」
「おねがいしまーす」
「よーし、あんみ通ーーっ、お土産買いにいくぞーーっ」
「はーーい」
「おーい、のりとキムチをさがせーー」
「はーーい」
「デパートはないのか?」
「ロッテデパートまで行きましょうか?」
「うーん、タクシーだとこの時間、渋滞がすごそーだ。あくまでもこのあたりで探したいのだ」
「そうですね、あの市場みたいなところ、近かったんじゃないですか?」
「どっちかわかるか?」
「さあ?」
「ならば、やはりこのあたりを散策しよう」
「はい」
・・・・・・・
「うーむ、このあたりにはないなー」
「今、何時ですか?」
「一時四十分だ」
「もう時間ありませんね」
「悔しいなぁ」
「この新世界デパートの向こうが市場だったのではないかしら?」
「ん?新世界デパート?」
「ええ、そこを真っ直ぐいったところ」
「デパート?」
「えっ?・・・あっ!!」
「『あっ!』しゃないだろーが、デパートだったら売ってるだろーが」
「そうだ」
「食料品売場は地下に決まっているだろな」
「あるといいですね」
「行ってみますか?」
「うむ、ディエーーーーー」
「ディエーーーーーっ」
「あ」
「あ」
「あ」
「あったーーー」
「さあ買えーーーっ、ケツカッチンだぞーーー!!」
「ウオーーーッ」
「買ったかーーー」
「イエーーーーイ」
「よーし、マッサージに行くぞーーー」
「ワオーーーーーン」
・・・・・・・・
「ねえさん、よろしくたのむぜ」
「ぴったり二時だ」
「よくできました」

マッサージ台に横になったとたん熟睡してしまった僕は、足ツボをおされた途端、あ まりの痛さにギャーッと叫びながら目が覚めた。
「イデス。イ、ワルイデスネ」
「ギャーッ」
「ボウコウデス」
「ギャーッ」
「コシデス」
マッサージのお姉さんは、冷静に悪い箇所を指摘していた。

三時半、キッチリ時間に間に合う。
一路、仁川空港にむかう。チェックインして最後の韓国料理を食べ機内へ。行きも帰りも満席だわ。ドッと疲れが出たのか、ホッとしたのか、飛び立つ前に熟睡。成田に着き、みんなと別れて京成ライナーに乗る。
一人になると、韓国に行っていたことが嘘のように思える。昨日の、あのアツイ異国のお客さんたちの前に立っていたのは本当に自分だったのか?ぜーんぶ、自分の空想なのではないか?もともと伝の会は存在しなかったのではないか?「世にも奇妙な物語」のテーマ音楽が流れてくるような・・・。ふしーぎな気持ちになる。
そう言えば、普段のライヴのあととかもいつもそんな気分になってるなぁ。みんなこうなのだろうか?
まぁ、いろいろ考えずに家に帰ろう。
「おつかれさまでした、ありがとうございました」

9月27日(土)
たった四日だが、随分家をあけていた感じがする。
昨夜ベッドに横たわったら、あっという間に今日になった。お稽古日にしてあるのです。みんな「てんの会」のためにがんばってくれています、うれしいのだ。

「テツクロウさんは初心者には教えてくれませんよね」とアンケートに書かれていた。
どーーして?なんでそんなふうに思うのかしらーーん。
私は誰にでも教えますよ。
ウチの子たちも初心者が多いですのよ。
以前にも書いたが、鉄九郎は「男は教えない」「おばさんは断られる」等々のことをしばしば耳にするのですが、ンナァーコタァナイ!!ぜーーったいにナイ。どなたでも教えます。鉄平は男だし、ちゃーんと80才近いおばさまだって教えているぞ。
そのおばさまは、今回の「てんの会」だって、五月に死ぬほどの手術をしていながら回復して「吾妻八景」で出演するんだぞー、すごいぞーー。ほんと、立派としきゃいいようがない。しかも、家ではぜーんぜん稽古しない(忙しくてできない)で、僕んとこ来たときだけ三味線弾いてる。それで会に出られる。「あたしは度胸だけだから」と言う。これはすごい。この方を見習わない手はない。人生の先輩のなんて素敵なことだ。このご時世で、「お三味線を弾く」という心の余裕を見習いたい。
「長唄がわかんない」からとか「むずかしそうだから」というのはナイのです。「ああ、お三味線の音色ってイイなぁ、あんな音自分でも出せたらなぁ」とちょっとでも思ったア・ナ・タ、そう思った方なら、絶対に素敵な音は出せるのです。うれしーですよ、きれいな音が出せたら。だから、どんどんお三味線習ってください、僕んとこじゃなくたっていいんです。いいなぁと思える人の所に行ってみましょう。芸でもルックスでもなーんでもいいですから。きっと楽しいですよ。
というようなことを前出の「初心者はおしえないんでしょ?」とアンケートに書いた人に言いたいのだが・・・。

9月28日(日)
僕「韓国でメガネ作ってきたんだよ」
娘「えっ、みせて、みせてみせて」
僕「ほい・・・あっ、かけたら目がクラクラしちゃうぞ、度が強いからな」
娘「かけたいなぁ」
僕「よっしゃ、パキッパキッ」
娘「あっ、レンズはずれるの?」
僕「ああ、あんまりはずさないほうがいいだろうけどな」
娘「あははは」
僕「おまえ似合うなぁ」
娘「どがつよかったの?」
僕「ああ、酔っぱらって作ったからな」
娘「ふーん」
僕「もういいだろ?」
娘「もっとかけていたい」
僕「フレームがグニャグニャになるんだぞ」
娘「あはは、ほんとだ」
僕「オマエのおもちゃだな」
娘「よっぱらったおじさんがつくったの?」
僕「えっ、あはは、酔っぱらってたのは俺だ」
娘「つくるおじさんは?」
僕「作ってくれたお兄さんはしっかりしてたぞ」
娘「パパがよってたの?」
僕「そうだ。だから度が強いのができちゃったんだ」
娘「よってると?」
僕「そうだな。なんて言えばオマエにわかるかなぁ」
娘「とにかく、パパがおまぬけだったってことだね」
僕「あひ!」

9月29日(月)
来月中村座に出勤するということで、そろそろ稽古に参加しないといけませぬ。行きました行きました行ってまいりましたよ。楽しみですな。でもね、4時にはお弟子さんたちの稽古があってね、ケツカッチンで帰ってきたのです。ほんと、顔出しただけだよ。みなさまにご迷惑ですな、かえって。
10/4の「てんの会」までの最後の稽古ということで、お弟子さんたちの熱のいれようはすっごいものがあります。びっしり稽古しました。もういいでしょうというくらい。
でもね、うれしいですよ、お弟子さんが上達していくのを見るのが。
「ここをこうしたら、もっとよくなるんでないかい?」
なんて言うでしょ。そうすっと、次の稽古のときに自分なりにやってきたりするのね(やってこないときもありますよ)、うれしいですね。ほんっとうれしいですよ。
和佐次朗さんに教わったことなんかをね、うまーく言うとね、ちゃあんと出来てたりするんですよ。僕なんか10年くらいわかんなかったことをね。自分はなんで出来なかったんだろうって思いますよね。文句ばっかし言ってた自分が情けなくなったりしまさぁね。

9月30日(火) 長唄協会秋季演奏会
国立に12時前には着けた。長唄協会秋季演奏会の委員をさせてもらっているのでお手伝いしないと。毎回手伝えずにいるのだ。会計なので富朗(和歌山)くんの指示をあおぎワサワサやる。これが思いのほか楽しい。オラ事務方向きなんやなあ。義太夫の(竹本)駒之助師匠と(鶴澤)津賀寿さんに会う。演奏会の企画のコーナーにご出演していただくのだそうだ。会えてうれしい師匠たちだ。唄・杵屋勝彦、杵屋六ショーゴ。三味線・邦寿、鉄九郎で「えにしの橋」という二代目勝三郎の曲をやる。楽しかったーーー。
出番が終わると中村座へゴーーーー!!


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