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鉄九郎の青?裸々な日常 第97号


2003年11月1日〜30日

カーテンを貼る!?(ライヴ+名取式+徳島+引越+ライヴの日々)

11月1日(土) 日本大学芸術学部 学園祭 歌舞伎・舞踊研究会 公演
朝九時に行きました、日芸に。邦さん、杵屋勝彦くん、杵屋六ショーゴさん、杵屋喜太郎くん。みーんな、眠そうに到着しました。いやぁ、よくぞ来てくれました。十時からの舞台稽古のために揃ってもらったんですが、朝早いから、もし大変だったら来なくてもいいよと言ってあったのです。まぁ、それでも来るわなぁ、仕事だものねぇ。午後一時「伊勢音頭」開演。学生たち、みんな目が光って良い舞台でございました。三時には解散したのですが、夜八時からの打ち上げに、長唄・囃子チーム12、3人が全員揃ってましたからねぇ。その間家帰って、荷物置いてきたりしてね、なんという出席率。これも、学生たちが真剣にやってる姿にうたれて、労をねぎらってあげようという心の現れですかねぇ。まぁ、そうじゃないんでしょうなぁ、飲みたいんでしょうなぁ、騒ぎたいんでしょうなぁ。

11月2日(日) ちょんまげライヴ
今年最後のちょんまげライヴということで「感謝祭ライヴ」と銘打ってみました。一杯飲みながらということですな。昨夜の飲み過ぎがたたって、邦さんも僕も二日酔いぎみです。お手伝いの(松永)鉄駒・鉄平(二人とも歌舞伎・舞踊研究会のOG・OB)も昨日御簾内に参加したということもあり、ドヨーンとしています。鉄平などは午後4時から午前4時まで飲んでいたという。耐久レースか!!古典空間の森山も昨日、日芸に来ていて、大道具さんらとめずらしくケッコーな時間まで飲んだらしい。唄のゲスト(というか無理矢理きてもらった)の(杵屋)三七郎くんも、昨夜実家で飲み過ぎたといってドンヨリと楽屋入り。

オイッ!!どういうことや!!お客さま、怒っていいですよ。こんな状態でいいのかああああ。

でもね、本番になるころにはちゃーーんとピシッとするのですよ、ピリッとしていましたもの。お客さまに失礼ということでなくてね、ピリッとしていないと自分たちがシンドイんですわ、そういうことなんですね。

で、本番始まる前までは、なんか、ドンヨリしていました。 そんな雰囲気の中、普段なら、気が付きそうなことも気が付かないままに時間が過ぎて行くというようなことがあるのですなぁ。

開演一時間前のことです。開場時間ということで、舞台でリハをしていたのをやめ、楽屋に荷物を運ぼうとしていたのです。フト妙なことに気が付いたのですね。僕が座る楽屋のスペースに三味線が置いてあるんです。それは良いのです。でも三味線しきゃ置いてないんです。普段ならお弟子さんが紋付き袴を風呂敷から出してハンガーにかけてあるのですが・・・・ないのです。三味線しきゃないの。鉄駒・鉄平もドンヨリしていましたからね。そりゃ、しょうがないわね。ハンガーにかけるの忘れたくらいで怒るようなアタシではありません。自分の内弟子の時のことを考えたら、アータ、どーーーんなにかすばらしい鉄駒・鉄平であるか。僕はぜーーーんぜん気の利かないバカな内弟子でしたもの。師匠に申し訳なくてしかたがないのです。と、反省はそのくらいにして、ハテサテ、では、ワタシの着物はどこにあるのかということですね・・・・・・・・・・。
「(小声)くにさーん。くにさーん」
「なんだ?」
「(さらに小声)どうやら・・・わすれてきちゃったみたい」
「えっ?なんだ、きこえないぞ」
「どうやら(とーっても小声)・・・わすれた」
「『・・・』のとこが聞こえないよ」
「ふぃものぉ」
「ひもの?」
「ちかい!」
「なにが近いだ」
「きもにょぅ」
「きもの!」
「おっ、わかったか」
「わかるよ・・・なにっ、着物わすれてきただー?」
「うん、やっぱないとまずいかね」
「まずいにきまっとるだろーが。よく忘れたねぇ、どーも。なかなか忘れられないよぉ、着物は」
「あはははは」
「あはははは」

11月3日(祝) 東京芸術劇場
邦さんのお仕事で日舞のおさらい会です。勝彦くん・六ショーゴさん・三七郎くんら、いつものメンバー。
家帰って、談志の「子ほめ」のDVDを見ていたら、本日の会場のライヴだった。なんだか、妙にうれしい。こういうことありますな。落語ファンといいますか、好きなアタシといたしましては。国立演芸場・紀伊国屋ホール・池袋演芸場・・・などなど、ジーンとくる場所がありますね。いや、誤解があるといけませんが、歌舞伎座とかももちろんそうなんですよ。

11月4日(火)
フアーーーっ。三日間、違うパターンの仕事が続き少々疲れました。今日はお弟子さんのお稽古の日なので、自宅にいられます。

11月5日(水)
先月は電車によく乗った。おもに地下鉄だが、その時おにぎりをたべてる人の姿を何回か見た。食べている方は学生だったり20代前半だったりだ。いずれも女の人。 まあ、昔もまったくいなかったということはないが、電車でなにか食べるということは、上品なことではないと認識していたなぁ。いや、食べるのが似合う 電車もありますわな、駅弁というものがあるのですから。今言ってるのはそういうことではなくね。「あの人、なんか食べてるよぉ」と妙な目でみたものですなぁ。東京だけかなぁ?まあ、昨今はお化粧もしたりする人みかけますからねぇ。それに比べればとなるでしょうけどねぇ。でも比べてどうのではないですねぇ。

11月6日(木) 
「まい泉に行こうかな」
「あそこのですか?」
「ええ、あそこが井泉のころから通ってますよ」
「ああ、以前はイセンだったんですか?」
「ええ」
「えっ?イはどういう字ですか?」
「井戸の井ですね」
「えっ?インドのイ?」
「それじゃあ、カタカナじゃねーかよ!!」
美容師のヨーコさんは、きれいで品が良く、素敵な方なんですが、時々トンチンカンな人です。

11月7日(金)
やっと娘と遊ぶ時間がとれたと思ったら雨が降った。自転車に一緒に乗ること、上手になったという一輪車を見てあげることはできないとガッカリしている。じゃ、まあ、散歩でもしようかということになる。

11月8日(土) 名取式
僕のとこに、今年も松永御家元よりお許しを得て、新名取が誕生した。女性二人だが、鉄二と鉄六という名前にした。鉄駒、鉄平に続いて行ってくれることだろう。

二文字が気に入っている。

なんか良い響きでいいなぁと我ながら思っている。名前をとるということは、新しい人生が与えられたことだと理解している。その名前を良くするも悪くするも自分次第。今までの自分のイヤなところを一新するもヨシ、本名の延長にあるもヨシ。どちらにしてもこれから好きなように自分で色づけすることができるのだ。「芸名」という制度は良い物だなぁと思う。

その、鉄二・鉄六の名取式が松永御家元宅で行われた。二人とも緊張していた様子だが、良い経験であったろう。二人もうれしかったろうが、僕が一番うれしかった。

11月9日(日)
「え?どういうこと?」
「ひっこしもいやだけど」
「ん?引越、イヤなのかい?」
「そうでもないかな。はんぶんはんぶん。50パーずつ」
「なに、ナマイキな口調使ってんのよ。」

11月10日(月)
新宅でミサワホームと打ち合わせ。外回りのですな、ガイコー(外構)。塀をどうするか庭をどうするかとね。デザイナーの紋谷さんが、今までの門塀を気に入ってくれて、そのまま残すということでそれにあった家をデザインしてくれた。ありがたいことだが、門が腐っていたりで、修繕して使うよりも新しいもののほうがということになってきた。せっかく紋谷さんが気に入ってくれているのに申し訳のないとこだが、やはり門は新しいものと決定。なんとか、庭で使えないものかと検討に入る。

11月11日(火)
12月13日に「お稽古場開き」をやろうということになって、ただ、お弟子さんと集まって飲み食いしてもしょうがないので、みんなで弾いたり唄ったりしましょ、ということになった。タテになったりワキになったり、はたまた唄ったりと一人四つくらいずつの曲をこなすことになった。僕は弾かずにみーんなやってもらう。ヒャハハ、こりゃいいアイデアだとホクホクしていたが、稽古が大変だ。一人の人の一回の稽古で四つ五つずつ教えにゃならない。一時間じゃ終わらない。三人くらいお稽古すると十二、三曲やったことになる。ヒエーー、このところ稽古終わるとグタッとする理由がわかった。

11月12日(水)
家の中にカレンダーの黒板(マジックで書くヤツ)があって、娘が自分の予定を書き入れたりする。今日、フト見ると、メモの欄に大きく「11月12日 きょうは水ようび」と書いてあった。仕事柄なのかどうかわからないが、僕は曜日感覚があまりない。仕事柄だろうなぁ。「曜日で暮らしてるんじゃなくて日にちで暮らしてる」ってヤツ。で、そのメモを見て「ああ、今日は水曜日かぁ。へぇ、こうやって書いてくれるとわかるねぇ」と言うと、「でしょ。そういうサービスをはじめたのよ」得意そうな娘であった。

11月13日(木) 徳島
寒くなった。コートを着ている人もちらほらいる。僕も薄手のコートを着て行くかなあ。あー微妙だよな。行き先は徳島だしなぁ。でもいくら南のほうといっても寒いだろうしなぁ。でもコートは恥ずかしいかぁ。いないかなぁ、コート着てる人は。でも出歩くの夜だしなぁ。いるなぁ。でも車で移動するか、暖かい車内かぁ。いくらも歩かないかぁ。いやいや飲んだ帰りはたいてい歩いてホテルまでいくなぁ。いるなぁコート。あ、でも酔ってるだろうから、かえって暑いかなぁ。

やってきましたあ、とくしまあーー。はい、そういうわけでございましてね。久々に徳島にやってこられたわけでございましてね。第二の故郷とでも言いましょうかね。(松永)和佐次朗師匠の思いでがたくさんある土地でしてね。皆様方と久々の再会でしてね。

鉄十郎師匠ともご一緒に「河久」さんで串カツをごちそうになりました。いやあ、おいしい。「永島」に行かなければいけませんね。高級クラブですね。大勢でいきましてね、「ぎゃれっと」にも行きましてね。「くつわ」に行って仕上げですね。

11月14日(金) 徳島 ライオンズクラブライヴ
阿波観光ホテルでライオンズクラブの集まりで伝の会ライヴを。楽しんでいただけたようでなによりでございました。開演前に、おかあ(和佐和)さん、ときわ(和佐比路)さん、ハヤシ(和佐瞳花)さんらと、永島のママに「鳥ぼん」に連れていってもらう。ンマイっ。ここ、おいしいー、またきたーーーい。終演後、ライオンズクラブのお疲れさま会に出席。「花ねずみ」で飲む。

11月15日(土) 徳島 長唄小屋ライヴ
鉄十郎師匠主催の「長唄小屋」というタイトルで会がある。富田町の見番で年に数回行われている。今日は「長唄小屋特別編 伝の会」というライヴが行われる。長唄はひとつ、師匠と九月にやった「橋弁慶」をやらせていただいた。

打ち上げは「楽屋」という焼き肉屋さん。ここのキムチがおいしかった。韓国でベスト2にランクされた(僕の中でですよ)キムチにそっくりで懐かしくおいしかった。なかなかこの味のキムチがないんだなぁ。永島のママに言わせると、徳島のある所で売っているキムチだそうだ。僕も酔っぱらっちゃって、店の場所とかを聞き忘れた。
食事が終わると早々に「永島」へ。「カギあけてお店に入るの、初めてだ」と永島のママがつぶやく。たしかにそうか。だいたいクラブのママというものは開店したときにはいないものだ。十時すぎくらいの出勤だろうか?いつもの7、8人のメンバーで開店したての店ではしゃぐ。この日は邦さんが随分とサービスをした。尾崎紀代彦の「また逢う日まで」(いやぁ、なつかしすぎるぜ)を唄うときにもみ上げを書いたのが始まりで、「TOKIO」では襷がけして赤いマラカスをつけ、パラシュートのかわりに傘を広げてしょった。なぜか、なつかしの時代の歌ばかりになり、ザ・タイガースやらザ・テンプターズやらとなりピンキーとキラーズの時は、ステッキがわりの傘を使い踊っていた(なんでキラーズのあんな踊り知っているんだろ?)。次々と出勤してくる女の子達の目を奪っていた。
永島も僕らの騒ぎのおかげて(?)で混雑してきたので、「ナイトアンドデイ」へ。ここは生バンドの店なのだが、着物姿の師匠やときわさん、メイクがちゃんと落ちてなくて奇妙な顔の邦さんらがステップを踏んでいた。僕も久々にドラムを叩かしてもらう。
飲んで騒げば腹もすく。焼肉はどこいったー。「白水」でごはん。そのあと邦さんと二人で「伊都木」に行き解散。

11月16日(日) 徳島
徳島の人「アイタっ!」
僕「ああ、そこの角ぶつけやすいから気をつけてね」
徳島の人「おそいわ、うっておわったわ」

阿波弁っておもしろい。

11月17日(月)
いつもは徳島に来ていても、和佐次朗さんの思いでがいっぱいつまっている稽古場にいられる時間が少ないが今回はたっぷりとこの空間にひたれる時間ができたいるだけで三味線がうまくなるような気がする。

11月18日(火)
有楽町でよくいく立ち食いそば屋があってね。そこはヤキソバがあるのね。僕は目もくれないんだけど10人中8人、ヤキソバ食べてるときがあるサ。

11月19日(水)
お弟子さん同士で練習している姿にとても嬉しさを感じる。

11月20日(木)
「もうすぐこのお風呂ともお別れだね」
「えっ?もうすぐ?」
「うん、えーっとね、今夜入れてあと六回だ」
「えーーー、さみしいー」
「最後の日は泣くかね」
「ビエーーッて」
「ようく覚えておこうね、ここのお風呂」
「ここで、ゆうはそだったんだものね」
「ああ」
「おふろのスリッパをかけるとこはあそこ、ミッキー(体洗うスポンジ)さんはあそこ」
「10年住んでるわりには、お風呂場はきれいだな」
「7ねんすんだんだな」
「オマエもナマイキ言うようになったな」
「えへ」
「誉めてねぇよ」
「えへへ、ギチョーーーっ」
「オブチユウコか!」
小渕優子衆院議員、議事進行を。

11月21日(金)
だまっているか語ってみるか
なにが正義でなにが正論か
知らん顔は簡単なことか
聞こえませんは正しいことか
うまくやるとはどういうことか
黙っていられないは正しいことか
嵐は花のカタキなる

11月22日(土)
「にんにくいれてあげようか?」
西台大勝軒の二才年上のおばちゃんは言った。今朝起きたら節々が痛い。寝違えかなと思ったが、どうやら風邪ひきっぽい。そんなことを訴えたらニンニク入りのつけめんを食べることになった。ワーーーっというくらい入っている。なかなか美味である。これを夕食にして午後八時床についた。

11月23日(日) 腰がイテーーーっ。
寝腰というやつですね。14時間くらい寝た。

11月24日(祝)
朝、外構の打ち合わせのために新宅へ。今までの門をなんとか残したいのだが無理そうなので、新しい門を作る打ち合わせ。門やら塀やらベランダやら庭やらの工事は引越したあとにやることになっている。それはそれで楽しみだなぁと呑気に思う。自宅での稽古は今日が最後。荷造り段ボールにかこまれてのお稽古でした。

11月25日(火)
さあ、いよいよ、今日で荷造りを終わらせねばならぬぞーーー。しかし、すっごい雨降りなのらぁ。明日引越は大丈夫かしらん?雨の日の引越はつらいよなぁ。
合間で家の仕上がりを見に行く。照明つけたりなんだりと忙しそうにやっている。明日入居に対しての最終打ち合わせ。
夜、この家での最後のお風呂に入る。昭和33年頃、新婚の父と母がこの土地にやってきた。10年前家を建て替え、今日まで暮らした。45年。長いような短いような。「おやすみなさい」と娘がソファで横になり、すぐに寝息をたてはじめた。少なくとも娘にとっては、今までの一生という長い時間をすごした家であり土地なのだ。

11月26日(水) 引越
「おはよーございまーす。アリさんマークの引越社でーす」と威勢のいいお兄さんが三人やってきて、働くわ働くわ、いかに近所の引越と言えども2トントラックで四往復!!積んで降ろして×4=ヘトヘト・・・なのでは。もう充分ですと言うくらい働いていただきました。しかも丁寧、安い!見積とった大手の中で一番親切、やる気充分。11時間かかりました、はい。今夜はとにかく、必要な段ボールをちょこっと開けるだけにして、寝ようっと。

11月27日(木) 南青山マンダラライヴ
ミサワホームのたかなし(現場監督)さんが来ていろいろ打ち合わせです。というのは、外構が全然できてない、門もない塀もできていない、ドロボーが入りやすすぎてかえって入んないかも、ってな状態で。バルコニーがないので、二階のダイニングの窓開けると落っこちる状態。ま、これはこれで楽しいのですが、いろいろこれからの予定を話てるうちに、ワタクシ出発の時間になり、マンダラに向かいました。

昨日たぶんものすごーーく疲れているんだろうから車の運転はやめました。電車で外苑前に向かいます。電車にしてヨカッタ。乗った途端に寝てしまったようです。やっぱつかれてんだろうなぁ、新しい家ということでテンションがあがっちゃってるけど、すっごく疲れてんだろーなぁと感じました。鉄駒と鉄平に外苑前駅で待っててもらって荷物もってもらいましたよ。

11月28日(金)
昨夜のライヴはなかなか面白いライヴだったと思っている。こちらとしてはちょいと勇気のいるようなネタだったんですがね、お客さまの方ではすんなり受け入れてくれたような・・感じがしました。また、名案が浮かんだんでやってみたいと思います。来年のマンダラは、また変わった感じのライヴになると思います。乞うご期待!!

11月29日(土) 証券ホール
杵屋佐枝久師のお浚い会。(柏)伊三郎さんがいろいろお世話していて僕も呼んでいただきました。

11月30日(日)
新宅には引越てきたが、カーテンがなく、棚とかもできていない状態。カーテンがないのもなかなかおもしろいと喜んでもいられない。昼間はともかく、夜風呂上がりとかが大変だ。一番こまるのはダイニングのカーテンがないことだ。道路に面してはいないもののよーく見える。ダイニングで電話しながら、外を通る知り合いと挨拶ができるほどだ。なにかカーテンのかわりになるものはと、夜になるとシーツやらシートやらを窓ガラスにガムテープでペタペタと貼っている。朝になると日が射してくるのではがす。二、三日くりかえすと、習慣になる。朝起きてくるとカーテン(?)をはがすところから一日が始まる。夕方になると「おい、そろそろカーテンはれよ」という会話が当たり前のように我が家で交わされている。


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